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【超入門】功利主義と義務論、これだけで全部わかる決定版

すべて

「ニュースを見ていて、どっちの意見も正しい気がする…」

「仕事で大事な判断を迫られたけど、どっちを選ぶべきか決められない…」

 

毎日を生きていると、私たちは大小さまざまな「どっちが正しいんだろう?」という分かれ道に立たされますよね。

 

そのたびに頭を悩ませ、ときには自分の決断に自信が持てなくなってしまう。

その気持ち、もう本当によく分かります…

 

でも、もしその迷いの正体が、あなたの心の中に眠る「2つの正義」のぶつかり合いだとしたら、どうでしょう。

 

この記事では、一見むずかしそうに聞こえる「功利主義(こうりしゅぎ)」「義務論(ぎむろん)」という2つの考え方を、世界一わかりやすく、あなたの日常に寄り添いながら解き明かしていきます。

この記事を読み終える頃には、なぜ自分が迷っていたのかがスッキリと理解でき、物事を深く考えるための「思考のコンパス」が手に入っているはず。

 

もう「なんとなく」で選ぶのはおしまいです。

 

これからの人生で、もっと自信を持って、あなたらしい判断ができるようになる。

そんな未来への第一歩を、ここから一緒に踏み出しましょう。

  1. なぜ私たちは判断に迷うのか?答えは「功利主義」と「義務論」の中に
  2. まずは功利主義から。「結果」で正しさを決めるシンプルな思考法
    1. 功利主義の核心は「最大多数の最大幸福」という考え方
    2. 【具体例】ケーキの分け方でわかる功利主義のキホン
    3. メリット・デメリットは?功利主義が持つ「光」と「影」
  3. 次は義務論。「動機」で正しさを決めるブレない思考法
    1. 義務論の核心は「正しいからやる」という揺るぎないルール
    2. 【具体例】「嘘も方便」はアリ?義務論が示す一つの答え
    3. メリット・デメリットは?義務論が持つ「強さ」と「不器用さ」
  4. 功利主義 vs 義務論!「トロッコ問題」でわかる決定的な違い
    1. もしあなたが運転士なら?有名な思考実験「トロッコ問題」
    2. 結果が全てか、ルールが全てか。二つの正義がぶつかる瞬間
    3. 【保存版】ひと目でわかる功利主義と義務論の比較一覧表
  5. 功利主義と義務論を使いこなす!日常の悩みが消える思考の道具箱
    1. 【仕事編】「締め切り」と「品質」、あなたならどっちを優先する?
    2. 【人間関係編】親友を想う「優しい嘘」は本当に正しい選択?
    3. 大切のはバランス感覚。あなただけの「ものさし」を育てるヒント
  6. まとめ 「正しさ」に正解はない。功利主義と義務論から学ぶ本当に大切なこと

なぜ私たちは判断に迷うのか?答えは「功利主義」と「義務論」の中に

「正直にミスを報告すべきか、それとも黙っておくべきか…」

「遅刻してくる友人を待ち続けるべきか、先に店に入っているべきか…」

私たちの日常は、こんな風に、答えの出ない問いで溢れています。

どっちを選んでも誰かをガッカリさせてしまうかもしれないし、どっちが「正解」なのか分からなくて、頭を抱えてしまうことも少なくありません。

 

でも、そんな風に悩んでしまうのは、あなたが優柔不断だからでも、意志が弱いからでもないんです。

どうか、自分を責めないでくださいね。

実は、このような迷いの多くは、私たちの心の中に、全く異なる「2つの正しさの基準」が同居していることから生まれています。

まるで、天使と悪魔がささやき合うように、あなたの心の中で、2つの正義が

「こっちが正しいよ!」

と主張し合っている状態。

それが、判断に迷う、あのモヤモヤした感覚の正体なのです。

 

そして、その「2つの正しさの基準」こそが、この記事のテーマである「功利主義」「義務論」という考え方。

 

「うわ、哲学用語だ…」なんて身構える必要はまったくありません。

これは決して机の上の難しい学問ではなく、あなたの毎日の選択をそっと助けてくれる、いわば「考え方の道具」のようなもの。

これから、その道具の正体と使い方を一つずつ丁寧に見ていきます。

なぜ自分が迷っていたのかが分かれば、心はきっと、ふっと軽くなるはずですから。

まずは功利主義から。「結果」で正しさを決めるシンプルな思考法

さて、あなたの心の中にいる「2人の正義の味方」のうち、一人目にご登場願いましょう。

 

その名は「功利主義くん」

 

彼の口ぐせは、いつもこうです。

 

「とにかく、みんながハッピーなら、それでOK!」

 

少し楽天的に聞こえるかもしれませんが、この考え方、実はとっても奥が深いんですよ。

功利主義の核心は「最大多数の最大幸福」という考え方

「功利主義って、結局のところ何なの?」と聞かれたら、私はこう答えます。

 

関係者全員の“ハッピーの合計点”(ハッピーポイント)が、一番高くなる選択肢を選ぶ考え方

 

つまり、ある行動を「正しい」か「間違っている」か判断するときに、その「結果」に注目するんです。

どんなに立派な動機があっても、結果的にみんなが不幸になってしまったら意味がない。

逆に、たとえ動機が不純でも、結果的にみんなが幸せになれたなら、その選択は「正しい」と考える。

ある意味、すごくシンプルで分かりやすいですよね。

 

この考え方を象徴する有名なキーワードが「最大多数の最大幸福」という言葉です。

 

これは、「できるだけ多くの人が、できるだけ大きな幸せを感じられる状態を目指そうよ」という意味。

社会全体の利益や幸福の総量を天秤にかけて、一番重くなったほうを選ぶようなイメージです。

この考え方を広めた人としては、ベンサムや、その弟子のJ.S.ミルといった哲学者が有名です。

特にベンサムは「幸福は計算できる!」と考えた、徹底した功利主義者でした。

ちょっとドライに聞こえるかもしれませんが、この「結果がすべて」という功利主義の考え方は、私たちの社会のいろいろな場面で、実は当たり前のように使われているんですよ。

【具体例】ケーキの分け方でわかる功利主義のキホン

「言葉だけだと、まだピンとこないな…」と感じるかもしれませんね。

では、ここで一つ、とても身近な例で考えてみましょう。

イメージしてみてください。

 

あなたの目の前に、とっても美味しそうなホールケーキが一つあります。

そして、それをあなたを含めた3人で分けることになりました。

メンバーは、甘いものが大好きなAさん、人並みに好きなBさん(あなたです)、そして、甘いものは少し苦手なCさん。

 

さあ、このケーキ、どうやって分けるのが「正しい」でしょうか?

 

多くの人は「ケンカにならないように、きっちり平等に3等分する」と答えるかもしれません。一見、これが一番公平に見えますよね。

 

でも、功利主義くんは、ちょっと違う考え方をします。

 

なら、きっとこう言うでしょう。

 

「Aさんには多めに、Bさんには普通に、そしてCさんには少しだけ分けようよ!」と。

 

なぜなら、その方が「3人の満足度の合計」が一番高くなるからです。

大好きなAさんが大きなケーキをもらえば満足度は「+10点」、普通のBさんは「+5点」、苦手なCさんは少しで十分なので「+1点」。

合計のハッピーは「16点」です。

 

もし平等に3等分したら、

Aさんは「もっと食べたかった…」と満足度が「+7点」くらいに下がり、

逆に苦手なCさんは「こんなにいらないのに…」と少し困って満足度は「±0点」かもしれません。

Bさんは変わらず「+5点」。

これだと、合計のハッピーは「12点」にしかなりません。

 

功利主義の視点では、前者の「16点」になる分け方こそが「正義」なのです。

 

「結果として、みんなの心のハッピーメーターの合計が最大になるか?」を考える。

これが功利主義の基本的なスタンス。なんとなく、イメージが掴めてきたでしょうか。

メリット・デメリットは?功利主義が持つ「光」と「影」

ここまで見てきたように、功利主義はとても分かりやすく、私たちの直感にもフィットしやすい考え方です。

でも、どんな考え方にも良い面(光)と、少し気をつけなければいけない面(影)があるもの。

功利主義も例外ではありません。

【功利主義の「光」の部分 メリット】

 

まず、最大のメリットは、その理性と分かりやすさです。

 

「みんなの幸せを最大化する」というゴールがはっきりしているので、議論がしやすく、多くの人が納得できる結論を導きやすい。

政策決定やビジネスの現場で、費用対効果を考える時などは、この功利主義的な視点が欠かせません。

また、ルールに縛られず、状況に応じて一番良い結果を追求する柔軟性も魅力です。

固定観念にとらわれず、その時々で最善の答えを探すことができるのは、大きな強みと言えるでしょう。

【功利主義の「影」の部分 デメリット】

一方で、この考え方には、少しゾッとするような「影」の部分も潜んでいます。

 

一番大きな問題は、「最大多数」を優先するあまり、少数の意見や幸福が犠牲にされてしまう危険性があることです。

 

例えば、「99人の利益になるなら、1人が大きな犠牲を払っても仕方がない」という結論になりかねません。

でも、その「1人」がもし自分や、自分の大切な人だったら…と考えると、手放しで賛成はできませんよね。

もう一つの弱点は、「人の幸福って、そもそも数字で測れるの?」という根本的な問いです。

先ほどのケーキの例では満足度を点数にしましたが、実際の人の気持ちはもっと複雑です。

友情、愛情、誇り、悲しみ…。

そういった数値化できない大切なものを、どうやって「幸福の総量」に含めるのか。

これは功利主義が抱える、とても大きな課題なのです。

このように、功利主義は非常にパワフルで便利な考え方ですが、これだけを絶対の正義としてしまうと、どこか冷たく、危うい道に進んでしまうこともあるのかもしれません。

さあ、ここでいよいよ、もう一人の正義の味方に登場してもらいましょう。

次は義務論。「動機」で正しさを決めるブレない思考法

さあ、お待たせしました。

あなたの心の中にいる、もう一人の正義の味方の登場です。

 

彼の名前は「義務論さん」。

 

功利主義くんが「結果がよければOK!」という柔軟なタイプだったのに対し、彼は少しカタブツで、とっても真面目な性格。

彼の信念は、ただ一つ。

 

「結果がどうであれ、人として正しいことを、断固としてやるべきだ」。

 

そのブレない姿勢は、時に頑固に見えるかもしれませんが、なぜか不思議と信頼できる。そんな魅力を持った考え方なんです。

義務論の核心は「正しいからやる」という揺るぎないルール

もし「義務論って、一言でいうと何?」と聞かれたら、それはこうなります。

 

結果や感情に左右されず、その行動自体が『正しい』か『間違っている』かで判断する考え方です。

 

功利主義が行動の「結果」に注目したのに対し、義務論が何よりも大切にするのは、その行動の「動機」「プロセス」。

「みんなが幸せになるから」とか「自分が得をするから」といった理由で行動するのではなく、

 

「それが、人として守るべきルール(義務)だから、やる」。

 

ただ、それだけ。非常にストイックで、筋が通っている感じがしませんか。

この考え方を代表する哲学者が、ドイツのカントさんです。

彼は、私たちが従うべきルールについて、こんな風に考えました。

「もし、あなたのその行動が、この世の全ての人が従うべき普遍的なルールになっても、あなたは胸を張って『問題ない』と言えるかい?」と。

つまり、「自分だけは特別」という言い訳は一切通用しない、ということですね。

例えば、「嘘をつく」という行為。

もし「自分の都合がいい時は、嘘をついても良い」というルールが世界中に広まったら、誰もがお互いを信じられなくなり、社会はめちゃくちゃになってしまいます。

だから、どんな状況であれ「嘘をつくべきではない」というのが、義務論の基本的なスタンスなのです。

【具体例】「嘘も方便」はアリ?義務論が示す一つの答え

では、義務論の考え方も、具体的な例で見ていきましょう。

ここに、あなたが心から大切に思っている親友がいます。

彼は今、重い病気と闘っていて、気持ちが沈みがちです。

そんな彼を少しでも元気づけたくて、あなたはお見舞いに行きました。

その時、彼が力なくこう尋ねます。

「僕の病気、本当に良くなるのかな…?」

医者からは厳しい状況だと聞かされています。

でも、ここで本当のことを伝えたら、彼はもっと落ち込んでしまうかもしれない…。

さあ、あなたならどうしますか?

「大丈夫、きっとすぐ良くなるよ!」と、彼を元気づけるための「優しい嘘」をつきますか?

功利主義の視点なら、「友人が元気づく」という良い結果が期待できるため、この嘘は「正しい」と判断される可能性が高いでしょう。

いわゆる「嘘も方便」という考え方ですね。

 

しかし、義務論さんは、首を横に振ります。

 

彼の立場は明確です。

 

たとえどんなに良い結果が期待できたとしても、親友に対して『嘘をつく』という行為自体が、人として間違っている。だから、やるべきではない」。

 

結果として友人が傷つく可能性があったとしても、誠実であるという「義務」を果たすことの方が重要だと考えるのです。

なんだか、すごく不器用で、冷たく聞こえるかもしれません。

でも、考えてみてください。

もし後でそれが嘘だと分かった時、親友は「心配して嘘をついてくれたんだ」と感謝するでしょうか。

それとも、「一番信じていた人に嘘をつかれた」と、もっと深く傷ついてしまうでしょうか。

義務論の考え方は、短期的な感情よりも、長期的で普遍的な「信頼」や「誠実さ」という価値を、何よりも重んじていると言えるのかもしれません。

メリット・デメリットは?義務論が持つ「強さ」と「不器用さ」

結果よりも動機を重んじる義務論。

その一本筋の通った考え方は、私たちに安心感を与えてくれる一方で、少し窮屈に感じることもあります。

この義務論が持つ、頼もしい「強さ」と、愛すべき「不器用さ」を見ていきましょう。

【義務論の「強さ」の部分 メリット】

義務論の最大の強みは、その公平性です。

「誰に対しても、どんな状況でも、守るべきルールは同じ」という考え方なので、個人の感情やその場の空気に流されることがありません。

「あの人は好きだから」「この人は偉いから」といった、えこひいきが生まれる余地がないのです。

これは、社会の公正さを保つ上で非常に重要な力となります。

 

また、個人の尊厳を何よりも大切にする点も、大きな強みです。

功利主義が「全体の利益」のために個人の犠牲を容認しかねないのに対し、義務論は「いかなる理由があろうと、一人の人間を単なる手段として扱ってはならない」と考えます。

一人ひとりがかけがえのない存在として尊重されるべきだ、という強いメッセージは、私たちの人権意識の根幹を支えています。

【義務論の「不器用さ」の部分 デメリット】

一方で、その真面目さゆえの不器用さも抱えています。

 

一番の弱点は、例外を認めないカタブツな面があることです。

 

先ほどの「優しい嘘」のように、ルールを頑なに守ることで、かえって誰も幸せにならない、悲しい結果を招いてしまうことがあります。

「ルールはルールだから」の一点張りでは、現実の複雑な問題に対応しきれない場面も出てくるでしょう。

もう一つ、難しい問題があります。

 

それは、「守るべき正しいルール同士が、もしぶつかってしまったらどうするの?」という問いです。

 

例えば、「嘘をついてはいけない」というルールと、「人の命を危険から守るべきだ」というルール。

もし、正直に話すことで誰かの命が危険に晒されるとしたら、どちらの義務を優先すべきか。

義務論は、この問いに対して明確な答えを出すのが苦手なのです。

このように、義務論はとても高潔で信頼できる考え方ですが、この考え方だけを頼りにすると、世の中が少しギスギスして、生きづらくなってしまうかもしれませんね。

功利主義 vs 義務論!「トロッコ問題」でわかる決定的な違い

さあ、ここまでで、あなたの心の中にいる二人の正義の味方、「功利主義くん」と「義務論さん」の性格が、だんだんと分かってきたのではないでしょうか。

一人は「結果」を重視する柔軟なリアリスト。

もう一人は「動機」を重視する頑固な理想家。

ここからは、この二人がもし、ある究極の状況に置かれたらどう判断するのか、世紀の思考実験を通じて、その決定的な違いを覗いてみることにしましょう。

準備はいいですか?

少しだけ、頭の体操の時間です。

もしあなたが運転士なら?有名な思考実験「トロッコ問題」

あなたに、一度は聞いたことがあるかもしれない、有名な問題を出します。

それは「トロッコ問題」

想像してみてください。

あなたは、猛スピードで暴走するトロッコの運転士です。

ブレーキは壊れていて、もう止まることはできません。

目の前の線路上では、何も知らずに5人の作業員が働いています。

このまま進めば、間違いなく5人全員が犠牲になってしまう…。

その時、あなたは気づきます。

目の前に、線路の分岐点があることに。

そして、あなたの手元には、その進路を切り替えるための一本のレバーが。

ただし、問題があります。

あなたがレバーを引いて切り替えた先の線路にも、一人の作業員がいるのです。

さあ、あなたならどうしますか?

選択肢は二つ。

  1. レバーを引き、1人を犠牲にして、5人を助ける。

  2. 何もしないで、運命に任せ、5人を見殺しにする。

どちらを選んでも、誰かの命が失われるという、あまりにも過酷な状況です。

すぐに答えは出なくて大丈夫。

まずは、この重い問いを、あなた自身の問題として、じっくりと考えてみてください。

この問いこそが、功利主義と義務論の違いを、くっきりとあぶり出してくれるのです。

結果が全てか、ルールが全てか。二つの正義がぶつかる瞬間

この絶望的な状況で、功利主義くんと義務論さんは、それぞれ全く異なる判断を下します。

二人の正義が、ここで真っ向からぶつかるのです。

 

【功利主義の答え 「レバーを引く」】

まず、功利主義くんの考えを見てみましょう。

彼の判断基準は、ただ一つ。「どちらの選択が、より大きな幸福(=より少ない不幸)を生むか?」。

彼は冷静に計算します。

  • 何もしない場合:死者5人、生存者1人。

  • レバーを引く場合:死者1人、生存者5人。

「1人が亡くなるのは悲劇だ。でも、5人が亡くなるのはもっと大きな悲劇だ」。

功利主義の視点では、

 

「結果」としてより多くの命が助かる方が、明らかに「正しい」選択となります。そのため、彼はためらわずに「レバーを引く」という決断を下すでしょう。

 

そこには、「1人の命を犠牲にする」という行為へのためらいよりも、「5人の命を救う」という結果を最大化する合理性が優先されるのです。

 

【義務論の答え 「何もしない」】

一方、義務論さんは、この功利主義の判断に「待った!」をかけます。

彼の判断基準は、「その行為自体が、人として正しいかどうか」。

彼にとって、レバーを引くという行為は、単なる進路変更ではありません。

 

それは、「5人を助けるという目的のために、1人の人間を意図的に犠牲にする(=手段として利用する)」という、紛れもない「殺人行為」に他ならないのです。

 

「いかなる理由があろうと、人を殺してはならない」という普遍的なルール(義務)に反するため、彼は決してレバーを引くことはできません。

たとえ結果的に5人が亡くなったとしても、それは「事故」であり、自分が殺人に加担したわけではない。

彼にとって重要なのは、結果の悲惨さよりも、自分の行動が「正しい動機」に基づいているかどうか、ただその一点なのです。

 

結果が全てか、ルールが全てか。

 

どちらの言い分にも、頷ける部分があると思いませんか?

この問題に、世界中の誰もが納得するような「唯一の正解」は、まだ見つかっていません。

【保存版】ひと目でわかる功利主義と義務論の比較一覧表

ここまで、言葉で二つの考え方の違いを見てきましたが、「結局、どっちがどうだっけ…?」と、頭の中が少し混乱しているかもしれませんね。

でも、ご安心ください。

そんなあなたのために、功利主義と義務論の決定的な違いを、一枚のシンプルな比較表にまとめてみました。

判断のポイント 功利主義 義務論
何を基準にする? 結果(その行動が何をもたらすか) 動機・ルール(その行動自体が正しいか)
重視するもの 社会全体の幸福・利益 個人の権利・尊厳
キーワード 最大多数の最大幸福 定言命法・義務
長所 合理的で、柔軟な判断ができる 公平で、誰にでも同じルールを適用できる
短所 少数の意見が犠牲になる可能性がある 融通が利かず、例外を認めにくい
トロッコ問題の答え レバーを引く(5人を助ける) 何もしない(殺人に加担しない)
一言でいうと 「みんなのハッピーが一番!」 「正しいから、やるんだ!」

どうでしょうか。

こうして並べてみると、二つの考え方が、まるで鏡のようにお互いの長所と短所を映し出しているのが分かりますよね。

どちらか一方が絶対的に正しいわけではない。

だからこそ、私たちはこの二つの視点を両方とも知っておくことが大切なのです。

さあ、次の章では、この二つの「思考の道具」を、私たちのリアルな日常でどうやって使っていけばいいのかを見ていきましょう。

功利主義と義務論を使いこなす!日常の悩みが消える思考の道具箱

功利主義と義務論。二つの考え方の違いがスッキリと分かったところで、いよいよこの記事も最終段階です。

「でも、こんな哲学みたいな話、実際の生活の役に立つの?」

そう思ったあなた。

実は、大いに役に立つのです。

この二つの考え方は、あなたを縛る難しい理論なんかじゃありません。

むしろ、日々の悩みや迷いを整理し、より納得のいく決断を下すための、いわば「思考の道具箱」に入った、2つの便利なツールなんです。

ここからは、その道具箱のフタを開けて、具体的な使い方を一緒に見ていきましょう。

【仕事編】「締め切り」と「品質」、あなたならどっちを優先する?

社会人なら、きっと誰もが一度は直面するであろう、このジレンマ。

想像してみてください。あなたは今、大事なプロジェクトのリーダーを任されています。

しかし、計画に遅れが生じ、クライアントに約束した「締め切り」が、もう目前に迫っている。

このまま提出すれば締め切りには間に合うけれど、チームの誰もが納得していない、中途半端な「品質」のものになってしまう…。

かといって、品質を追求すれば、確実に締め切りを破ることになる。

そうなれば、クライアントや後工程の部署に、大きな迷惑をかけてしまうでしょう。

さあ、あなたならどうしますか?

 

こんな時こそ、「思考の道具箱」の出番です。

2つの異なるメガネをかけて、この問題を眺めてみましょう。

まず、功利主義のメガネをかけると、見えてくるのは「関係者全体の利益」です。

「締め切りを守ることで、クライアントの信頼を維持し、チームや会社全体のプロジェクトがスムーズに進む。

その利益の方が、目先の品質を少し落とす不利益よりも大きい」と考えることができます。

この場合、まずは納期を優先する、という判断に至るかもしれません。

 

次に、義務論のメガネにかけ替えてみましょう。

すると今度は、「プロフェッショナルとしての責任」という視点が浮かび上がります。

「プロとして、自分が納得できない品質のものを世に出すべきではない。それは、自分自身の仕事に対する誠実さというルール(義務)に反する」と考えるのです。

この場合、たとえ頭を下げてでも、締め切りを交渉し、品質を高める道を選ぶかもしれません。

 

どちらが絶対的に正しい、というわけではありません。

でも、この二つの視点を持つことで、「ああ、自分は今、全体の利益と、プロとしての矜持の間で揺れているんだな」と、悩みの構造を客観的に分析できるようになります。

それこそが、感情論でパニックにならず、冷静で納得感のある決断を下すための、大きな一歩になるのです。

【人間関係編】親友を想う「優しい嘘」は本当に正しい選択?

仕事のような公の場面だけでなく、私たちの悩みは、もっとプライベートな人間関係の中にこそ、深く根ざしているものかもしれません。

ここでも、一つの身近なシーンを考えてみましょう。

あなたの親友が、思い切って新しい髪型にして、少し不安そうにこう聞いてきました。

「ねえ、この髪型、どうかな…?」

正直に言って、あなたの目には、あまり似合っているようには見えません。

前の髪型の方が、ずっと素敵だったように感じます。

 

さあ、あなたはどう答えますか?

 

親友を傷つけたくない一心で、「すっごく似合ってるよ!素敵だよ!」と、「優しい嘘」をつきますか?

それとも、正直な気持ちを、言葉を選びながら伝えますか?

 

ここでも、二つのメガネがあなたの思考を助けてくれます。

 

まず、功利主義のメガネでこの状況を眺めてみましょう。

このメガネが重視するのは「その場の幸福度の合計」です。

あなたが「似合ってるよ!」と言えば、親友は喜び、安心する。

その場の空気は和やかになり、二人のハッピーの合計点は高まるでしょう。

だから、「優しい嘘は、良い結果を生む正しい選択だ」と判断するかもしれません。

 

次に、そっと義務論のメガネにかけ替えてみます。

このメガネが問いかけるのは、「親友に対して、誠実であるべきではないか?」という、あなた自身の内なるルールです。

たとえ相手のためを思った嘘であっても、それは「嘘」に変わりありません。

「親友だからこそ、嘘偽りのない関係でいるべきだ」という義務を重んじるなら、正直に伝えることを選ぶでしょう。

もちろん、「前の髪型も素敵だったけど、これも新鮮でいいんじゃない?

ただ、こっちの分け方の方がもっと似合うかも!」というように、伝え方を工夫する知恵は必要ですが。

この葛藤を通して見えてくるのは、あなたが人間関係において何を大切にしているか、というあなた自身の価値観です。

その場の「調和」を何よりも重んじるのか。それとも、時として痛みを伴ってでも、長期的な「信頼」を築きたいのか。

二つの思考法は、そんな自分の心の奥をそっと覗き込み、自分という人間をより深く理解するための、鏡のような役割も果たしてくれるのです。

大切のはバランス感覚。あなただけの「ものさし」を育てるヒント

ここまで、仕事や人間関係の例を見てきて、あなたはどう感じたでしょうか。

「結局、どっちのメガネをかければ正解なの?」

もしそう感じたとしたら、それはとても自然なことです。

でも、この記事で私が一番伝えたかったのは、実はここから。

大切なのは、功利主義か義務論か、

 

どちらか一方の考え方に偏ってしまうことではないのです。

 

思い出してみてください。

功利主義には「少数の犠牲」という影があり、義務論には「融通の利かなさ」という不器用さがありましたよね。

どちらの考え方も、それ一つだけでは完璧ではありません。

むしろ、お互いの弱点を補い合うような関係なのです。

 

功利主義と義務論は、あなたの「思考の道具箱」に入った、ドライバーとハンマーのようなものだと考えてみてください。

もし、壁にネジを打ち込みたい時に、ハンマーを力任せに振り下ろす人はいませんよね。

きっと、ドライバーを手に取るはずです。

逆に、釘を打ちたい時に、ドライバーの先でこじ開けようとする人もいないでしょう。

それと同じで、大切なのは

 

状況に応じて、最適な「道具」を使い分けるバランス感覚なのです。

 

社会全体の利益を考えるべき場面では、功利主義のメガネが役立つでしょう。

一方で、一人の人間の尊厳や、自分自身の誠実さが問われる場面では、義務論のメガネがあなたの背筋を伸ばしてくれるはずです。

これらの思考法は、あなたをがんじがらめに縛るためのルールではありません。

むしろ、複雑な世界を生き抜く私たちが、思考停止に陥らず、自分の頭で考え、より良い判断を下すのを助けてくれる、心強いツールなのです。

様々な場面でこの二つのメガネを意識的にかけ替える練習をしてみてください。

その繰り返しの中で、あなたの中に、誰かの受け売りではない、あなただけの、しなやかで折れない「判断のものさし」が、ゆっくりと、でも確実に育っていくはずですから。

まとめ 「正しさ」に正解はない。功利主義と義務論から学ぶ本当に大切なこと

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。

 

「みんなのハッピー」という結果を何よりも大切にする、柔軟な功利主義

「人としての正しさ」という動機を何よりも大切にする、実直な義務論

 

私たちは、この全く異なる二つの「正しさ」の間で、日々、小さく揺れ動いている。

この記事を通して、まずはそのことに気づけただけでも、大きな一歩です。

トロッコ問題が示したように、どちらの立場にも、深く頷ける部分があったはずですから。

私たちが功利主義と義務論という「思考の道具」を手に入れる本当の価値。

それは、「どっちが優れているか」を判定するためではありません。

 

そうではなく、この世界には「絶対的なたった一つの正解なんて、どこにも存在しないんだ」と知ること。

そして、一つの物事を白か黒かだけで判断するのではなく、多角的に見るための「視点」を手に入れること。

 

これこそが、本当の価値なのだと、私は思います。

 

これらの考え方は、あなたを導く「完成された地図」ではなく、あなた自身が道を選ぶための「思考のコンパス」(手段の一つ)なのです。

「正しい答えがない」と聞くと、少し不安な気持ちになるかもしれません。

でも、それは裏を返せば、私たちが「どう生きるか」を自分で考えて決める自由を持っている、という素晴らしい証明でもあります。

完璧な人間がいないように、完璧な考え方もありません。

だから私たちは迷い、悩み、それでもその時々で自分なりの「より良い」と信じる選択を探し続ける。

その考えるプロセス自体が、人間らしくて、とても尊いことなのではないでしょうか。

 

最後に、あなたに試してみてほしい、一つの小さな宿題があります。

難しく考えなくて大丈夫。

たとえば、今日の夜、ニュースを見ながらこう考えてみてください。

「この問題、功利主義的に考えたらどういう結論になるかな?」

「義務論の立場だったら、なんてコメントするだろう?」

あるいは、明日のランチを選ぶ時でさえ、「みんなが好きそうなカレーにするか(功利主義)、私はどうしてもパスタが食べたいという自分の気持ちに誠実でいるか(義務論)」なんて、遊び心で考えてみるのも面白いかもしれません。

その小さな思考のトレーニングが、あなたの視野をぐっと広げ、これからの人生をより深く、豊かなものにしてくれるはずです。

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