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マッキンタイアの思想を要点解説。日常で使える思考技術

全ての記事

「正しいはずなのに、なぜか伝わらない。」

そんな風に、もどかしい思いを抱えているあなたへ。

この記事を読めば、そのすれ違いの本当の理由がわかるよ。そうすれば、対立を恐れるのではなく、それをチームの「力」に変えていく、確かな視点が手に入るはずだよ。

まず、どうして私たちの言葉が“意味の断片”になってしまったのか、その根本原因を一緒に見ていこう。

その上で、「相手の思考の背景をそっと理解する技術」から、「対立する意見を超えた、全く新しいアイデアを生み出すための問いかけ」まで。日常で明日から使える、具体的な5つの思考の道具を、一つひとつ丁寧に解説していくよ。

そのすべての土台となるのが、現代の思想家マッキンタイアの、人間への深い洞察に満ちた知恵だよ。

さて、ここからその話を始めよう。

  1. はじめに。なぜ、あなたの「正しさ」はいつも空回りするのか?
    1. 会議室で感じる「見えない壁」と、議論の後の「徒労感」の正体
    2. この記事を読めば、対立を「力」に変える、新しい視点が手に入る
  2. 【要点解説】マッキンタイアの思想が暴く、現代社会が抱える「言葉の病」
    1. 私たちの「正義」や「公正」は、意味を失った「言葉の断片」である
    2. 正体。すべての議論が個人の「好き嫌い」の表明になる「情動主義」
  3. 解決の糸口。マッキンタイアの思想が示す「私たちにとっての善」という問い
    1. 「どちらが正しいか?」から「私たちにとっての善とは何か?」への転換
    2. そして彼は、「共通善」が育まれる“場所”の条件を発見した
  4. 【本質理解】マッキンタイア思想の核心。日常を変える4つの要素
    1. ①伝統。あなたの思考の“基本”となる、共有された過去
    2. ②実践(プラクティス)。「やりがい」が生まれる、共通の活動の場
    3. ③徳(アレテー)。卓越性を生む「血肉となったスキル」としての誠実さや勇気
    4. ④ナラティブ。伝統を土台に未来を描く「人生の探求」
    5. 【考察】これら4要素が紡ぐ「徳の成長サイクル」とは?
  5. 【実践編】明日から使える、マッキンタイアの思想に基づいた5つの思考技術
    1. Step1:まず自分を守り、状況を理解する2つの技術
    2. Step2:次に対話の質を変え、チームを動かす3つの技術
  6. 【深掘りQ&A】マッキンタイアの思想への注意点と、その現代的意義
    1. 「共同体主義」は、多様性や個人の自由を抑圧する危険な考え方ではないか?
    2. 変化の激しい現代社会で、彼の「伝統」を重んじる思想は本当に通用するのか?
  7. まとめ。マッキンタイアの思想を「心の指針」に、明日からの対話を変える

はじめに。なぜ、あなたの「正しさ」はいつも空回りするのか?

 

 

会議室で感じる「見えない壁」と、議論の後の「徒労感」の正体

誰しも一度くらいは、経験があるんじゃないかな。

例えば、こんな場面。

夜遅くまで準備した、データも完璧な提案。なのに、返ってきたのは「理屈っぽい」「人の気持ちを考えていない」という、思いがけない感情的な反発だったこと。

チームのために良かれと思って、勇気を出して伝えた指摘。それが相手には人格を否定されたかのように受け取られ、場の空気がすっと冷めてしまった、あの気まずさ。

白熱した議論の末に会議室を出たとき、「結局、何も決まらなかったな」という虚しさと、ずっしりとした疲労感だけが体に残る、あの感覚。

こういう経験の後に残るのは、一種の「徒労感」や、どうにもならない「もどかしさ」だよね。まるで自分一人だけが、その場から少しだけ置いていかれたような、そんな感覚を伴うこともある。

この、目には見えないけれど確かにそこにある「壁」の正体。

それは、単に意見が違うという、表面的な話ではないんだ。

もう少し深いところで、そもそもお互いに見ている世界や、物事を測るための「物差し」が、根本的に違っているんだよ。

センチの物差しを持つ人と、インチの物差しを持つ人。お互いに自分の数字の正しさを主張し合っているとしたら…話が噛み合わないのも、ある意味で当然だね。

誰が悪いというわけでもなく、ただ、そういう構造的なすれ違いが起きているだけなんだ。

この記事を読めば、対立を「力」に変える、新しい視点が手に入る

まず初めにお伝えしておきたいのは、この記事が提供するのは、相手を言い負かすための弁論術や、その場しのぎで事を収めるための交渉術ではない、ということだね。

そういったものも、時には役に立つだろう。

でも、根本的なすれ違いを解きほぐすには、少しだけ力が足りないかな。

ここで目指すのは、もっと本質的なことなんだ。

対立が起きてしまう根本の構造を理解し、その上で状況を乗り越えていくための「思考の土台」そのものを、あなたの中に静かに築いていくことだよ。

具体的には、この記事を通してあなたは、

  • なぜ議論が噛み合わないのか、その理由を感情論ではなく、構造で理解できるようになる。

  • 感情的な対立の渦中にいても、一歩引いて冷静に状況を全体から見れるようになる。

  • 意見の対立を「厄介事」として片付けるのではなく、チームがより良い答えを見つけるための「健全で、不可欠なプロセス」だと捉え直せるようになる。

といった変化を、手に入れることができるはずだ。

この記事が目指す最終的なゴールは、「対立をなくす」ことではないんだ。

それはおそらく、不可能で、もしかしたら不健全なことですらあるからね。

そうではなく、避けられない対立を、より良いものを生み出すための“力”に変えていく。そのための、確かで、揺らがない視点を手に入れること。

では、そのために必要な「思考の土台」とは、一体何なんだろう。

次の章から、いよいよその核心に迫っていこう。

【この章のポイント】

  • 意見が伝わらないのは、個人の能力不足ではなく、お互いの「物差し」が違うという構造的な問題が原因かもしれない。

  • この記事では、小手先の技術ではなく、対立の構造を理解し、それを乗り越えるための「思考の土台」を提供する。

  • 最終的なゴールは対立をなくすことではなく、対立を「より良いものを生み出す力」に変える視点を得ること。

 

【第一部】問題の構造を理解する

 

【要点解説】マッキンタイアの思想が暴く、現代社会が抱える「言葉の病」

さて、前の章では、私たちのすれ違いの原因が、互いの「物差し」の違いにあるのかもしれない、という話をしたね。

ここでは、その問題の構造を、もう少しだけ深く掘り下げてみたいと思う。なぜ、私たちの物差しはこんなにもバラバラになってしまったのか。その問いに光を当てたのが、アラスデア・マッキンタイアという思想家だったよ。

少し専門的な話も出てくるけど、あなたの日常で感じる、あの「どうにもならない感じ」の正体が見えてくるはずだ。

大丈夫。ゆっくり、一緒に見ていこう。

私たちの「正義」や「公正」は、意味を失った「言葉の断片」である

私たちは普段、何気なく「公平であるべきだ」とか、「個人の自由は尊重されるべきだ」といった言葉を口にする。どれも、誰もが正しいと信じている、大切な言葉のはずだよね。

けれど、どうしてだろう。その言葉は、相手に届く前に、まるで空気に溶けるように、ふっと消えてしまう。そんな空虚さを感じたことはないかな。

マッキンタイアは、その状況をある印象的な比喩で説明したんだ。

ある大きな災害によって、科学に関する知識がほとんど失われてしまった世界を想像してみてください。

人々は、図書館の焼け跡から、数式や化学式といった“断片”だけを拾い集めます。

そして、その本来の意味や、それがどのような理論の体系の中で使われていたのかを全く理解しないまま、まるでおまじないのように、その言葉の断片を口にしている…。

彼は、現代社会における私たちの「正義」や「公正」といった道徳的な言葉も、これと全く同じ状態にある、と静かに診断したんだ。言葉そのものは、今も私たちの手元に残っている。

けれど、その言葉がどういう価値観の体系(Téleological Framework)の中で、どんな意味を担っていたのかという、本来の“背景”や“文脈”が、ごっそりと抜け落ちてしまっているんだね。

例えば、同じ「公平」という言葉を口にしていても、

ある人は「全員が同じ結果を得ること」を思い浮かべ、

またある人は「全員に同じ機会が与えられること」を想像しているかもしれない。

私たちは、意味がバラバラになってしまった“言葉の断片”を、お互いにぶつけ合っているだけ。

そう考えると、同じ言葉を使っていても話が噛み合わないのは、ある意味で当然のことなんだ。あなたのせいでも、相手のせいでもないよ。

正体。すべての議論が個人の「好き嫌い」の表明になる「情動主義」

では、言葉の背景にあった共通の土台が、もし失われてしまったとしたら。

私たちの議論は、一体何を根拠に進んでいくんだろう。

マッキンタイアが提示した答えは、少しだけ、手厳しいものだったね。

それが、「情動主義」という、この社会に静かに蔓延しているものの正体だよ。

これは、少し難しい言葉に聞こえるかもしれない。でも、その意味するところは、とてもシンプルだ。

情動主義とは、一見すると論理的で、道徳的な主張に見えるものが、結局は個人の「感情の表明」や「好き嫌いの表明」に過ぎなくなってしまう状態のことなんだ。

この病は、私たちの日常の、本当にいたるところに顔を出す。

  • 会議の場面で

    • 「理屈は分かりますが、なんとなくこちらの案は受け入れがたいですね」

    • 「私は、A案のデザインはあまり好みではありません」

  • SNSの世界で

    • 「〇〇なんて、常識的に考えてありえない!」

    • 「こんなやり方は絶対に許せない。私はそう感じます」

これらはすべて、論理的な反論の衣をまとってはいるけれど、その核にあるのは「私はこう感じるから、これが正しい」という、個人の感情や好みに過ぎないんだ。

そして、この情動主義が本当に厄介なのは、感情や好みの対立には、論理的な“決着点”が存在しないことだよ。そこにあるのは、どちらの声が大きいか、どちらがより強く感情を表明したか、という単なる力比べだけ。

これでは、建設的な合意にたどり着けるはずもない。

あなたの議論がいつも平行線で終わり、あの重い徒労感だけが残る。その根本的な原因が、ここにあるんだ。

少し、気が滅入るような話だったかもしれないね。

でも、大丈夫。正体が見えれば、そこから抜け出す道筋も、ちゃんと見えてくるから。

次の章ではいよいよ、この絶望的にも見える状況から抜け出し、失われた共通の物差しを取り戻すための、「思考の土台」に迫っていくよ。

【この章のポイント】

  • 私たちが使う「正義」や「公正」といった言葉は、本来の文脈を失った“断片”と化している可能性がある。

  • その結果、私たちの議論は、論理的な決着点のない、個人の感情や好き嫌いのぶつけ合い(情動主義)に陥りがちになる。

  • 議論が空回りする徒労感の正体は、この「情動主義」という社会全体の病にあるのかもしれない。

 

【第二部】思考の土台を築く

 

解決の糸口。マッキンタイアの思想が示す「私たちにとっての善」という問い

さて、前の章では、私たちの対話がなぜすれ違うのか、その少し手強い原因を見てきたね。個人の感情や好き嫌いがぶつかり合うだけの「情動主義」

でも、ここからは、そこから抜け出すための話をするよ。

マッキンタイアの思想が本当に価値があるのは、問題を鋭く指摘するだけにとどまらず、そこから抜け出すための、とても実践的な糸口を示してくれている点にあるんだ。

その最初の一歩は、驚くほどシンプルだ。

「どちらが正しいか?」から「私たちにとっての善とは何か?」への転換

「私の好き」と「あなたの嫌い」が真正面からぶつかり合う。その土俵にいる限り、そこに生産的な結論が生まれることは、残念ながらないだろう。

マッキンタイアが示した、この状況を乗り越えるための最初の、そして最も重要な一歩。

それは、この議論の“土俵”そのものを、がらりと変えてしまうことだったよ。

具体的には、議論の中心に置く「問い」を、根本的に入れ替えるんだ。

不毛な議論を招く問い (情動主義的) 建設的な対話を拓く問い (共通善の探求)
議論のテーマ:「私の意見」と「あなたの意見」、どちらが正しいか? 「私たちのチーム」にとって、何が“善い状態”か?
参加者の意識:「個人の正しさ」を証明しようとする 「共通の目的」を一緒に探求しようとする

この表が示す違いは、単なる言葉の”あや”ではないんだ。

これは、議論の参加者を「自分の正しさを守るために戦う個人」から、「チームの未来のために協力する仲間」へと、その役割そのものを変えてしまうほどの力を持っているよ。

自分の意見の正しさを証明しようとすれば、相手は自然と身構え、反論を探し始める。

でも、「私たちにとっての善い状態とは何だろう?」という問いを真ん中に置けば、相手はあなたの「仲間」として、一緒に答えを探すための思考を始めてくれるんだ。

不思議なものだよね。

でも、人間って、そういうところがあるものだよ。

そして彼は、「共通善」が育まれる“場所”の条件を発見した

とはいえ、こんな風に思うかもしれない。

「いきなり『私たちにとっての善とは何か?』と問われても、そんなに簡単には答えられないよ」と。

うん。ごもっともだね。

そんな都合のいいものが、すぐに見つかるわけではないだろう。

マッキンタイアの貢献が本当に偉大だったのは、「これが共通善だ」という絶対的な答えを、誰かに押し付けなかった点にあるんだ。

そうではなく、彼は歴史を深く、静かに読み解く中で、「共通善が、まるで植物が育つように、自然と育まれていくような“場所”には、いくつかの共通した条件がある」ということを見つけ出したんだよ。

そして、その“場所”を形作るための設計図こそが、これから解説する「伝統」「実践」「徳」「ナラティブ」という、彼の思想の中心となる4つの要素。

これらを理解することは、あなたの職場やチームを、単なる個人の集まりから、「共通善」を育むことができる生産的な場所に変えていくための、確かな足がかりとなるだろう。

次の章で、それを見ていこうか。

【この章のポイント】

  • 「情動主義」の罠から抜け出す鍵は、議論の中心にある問いを「どちらが正しいか?」から「私たちにとっての善は何か?」へと転換すること。

  • この問いの転換は、対立する個人を、共通の目的を探す「仲間」へと変える力を持つ。

  • マッキンタイアは、「共通善」が育まれる場所の条件を発見した。それが、これから見ていく4つの核心的な要素となる。

【本質理解】マッキンタイア思想の核心。日常を変える4つの要素

ここからはいよいよ、マッキンタイア思想の心臓部へと入っていくよ。

「伝統」「実践」「徳」「ナラティブ」

一つひとつは、少しだけ抽象的な言葉に聞こえるかもしれないね。でも、心配はいらない。これらの言葉はすべて、あなたの日常にある、とても具体的な感覚や体験と、深く、深く、結びついているから。

この4つの要素を理解することは、バラバラになった「言葉の断片」をもう一度繋ぎ合わせ、私たちの対話に豊かな意味を取り戻すための、「思考の土台」を築く作業だと思ってほしい。

①伝統。あなたの思考の“基本”となる、共有された過去

まず、「伝統」という言葉から始めようか。

もしかすると、少し窮屈で、時代遅れなものを想像するかもしれないね。

しかし、ここで言う伝統とは、むしろ「私たちが物事を考えるための、基本ソフト」のようなものだと考えてみてほしい。どんなに高性能なコンピューターも、基本ソフトがなければただの箱であるように、私たちもまた、何かを考え、判断するための基準となる土台がなければ、思考を始めることすらできないんだ。

  • あなたの会社が、創業以来ずっと大切にしてきた、企業文化

  • あなたのチームに、いつの間にか根付いている、暗黙のルールや仕事の進め方。

  • あなたが家族から、言葉ではなく、背中を見て受け継いできた、大切な価値観

これらもすべて、広い意味での「伝統」なんだ。

それは時に、私たちを縛るものになるかもしれない。けれど、それ以上に、私たちが道に迷ったとき、「何が重要か」という価値の出発点を、静かに教えてくれる、思考の“土台”となってくれるんだよ。

②実践(プラクティス)。「やりがい」が生まれる、共通の活動の場

次に、「実践」という言葉だね。

これは、単なる「作業」や「仕事」とは、少しだけ意味合いが違う。

少しだけ、思い出してみてほしい。

「給料や評価のためだけではない、この仕事そのものに面白さを感じる」

「これをやっていると、時間を忘れて没頭してしまう」。

そんな瞬間が、あなたにもないかな?

その、じんわりと心に広がる「やりがい」の源泉こそが、マッキンタイアの言う「内的善」だよ。

それは、その活動に真摯に取り組むことでしか得られない、喜びや達成感、自分自身の成長実感といった、内側から静かに湧き上がってくる報酬のこと。

そして、この「内的善」を目的として内包している、共通の活動の場。それこそが、「実践」なんだ。

  • チームで一丸となって取り組む、仕事のプロジェクト

  • 仲間と息を合わせ、高め合う、スポーツや楽器の練習

  • 試行錯誤しながら、答えのない問いに向き合う、子育てもまた、尊い実践の一つだね。

これらはすべて、外的な報酬だけを目的とするのではなく、その活動自体をより良く行うことに、価値を見出す場なんだ。

③徳(アレテー)。卓越性を生む「血肉となったスキル」としての誠実さや勇気

「徳」という言葉もまた、少し堅苦しい道徳の授業を思い出させるかもしれないね。

けれど、マッキンタイアが語る『徳』は、もっと力強く、そして実践的なものなんだ。

その本来の意味(ギリシャ語のアレテー)は、ある目的を達成するための『卓越した能力』を指すんだよ。

そして、彼にとっての『徳』とは、共通の活動の場である『実践』の中で、その活動が本来持っている『内的善』…つまり、本当の意味でのやりがいや成長を達成するために、どうしても必要になる性質(たとえば、誠実さや勇気といったもの)のことなんだね。

それは、単なる表面的なテクニックではない。

何度も何度も練習し、失敗を繰り返す中で、ようやく体に染み込んでいく。その人の人間性や在り方にまで深く根差した、“血肉となったスキル”と呼ぶべきものなんだ。

例えば、困難なプロジェクト(実践)を最後までやり遂げるには、ただ技術があるだけでは不十分だ。

  • 先の見えない状況でも、足を止めない「粘り強さ」

  • 異なる意見にも、真摯に耳を傾ける「誠実さ」

  • 言うべきことを、言うべきときに、相手への敬意を込めて言う「勇気」

これらもすべて、その「実践」の場で卓越性を発揮するために不可欠な、具体的な「徳」なんだ。そして、これらの徳は、目標を真剣に追求する、その中でしか磨かれることはない。

④ナラティブ。伝統を土台に未来を描く「人生の探求」

最後の要素は、「ナラティブ」だ。

これは、日本語にすれば「語り」や「物語」といった意味合いになるね。

もし「伝統」が私たちの出発点だとすれば、「ナラティブ」は「私たちはどこへ向かうのか」という、未来への探求の物語だよ。

私たちは、意識するしないにかかわらず、常に何かの物語の中に生きている。

  • あなたが、ぼんやりと、あるいは明確に思い描く、自分自身のキャリアプラン

  • あなたのチームが、一枚岩となって目指している、未来のビジョン

これらもすべて、あなたやあなたのチームが、これから紡いでいこうとする「ナラティブ」の一部なんだ。

マッキンタイアは、私たちの人生そのものが、このナラティブによって一貫した意味を与えられる、一種の「探求」なのだと考えたんだよ。

「私は誰なのか?」という問いの答えは、自分がどのような物語の登場人物であるかを理解することによって、初めて見出されるんだ。

【考察】これら4要素が紡ぐ「徳の成長サイクル」とは?

さて、ここまで4つの要素を一つずつ見てきたね。

これらは、バラバラに存在する単なるキーワードのリストではないんだ。

実は、この4つの要素は相互に影響し合いながら、個人と、そしてチームを共に成長させていく、一つの「生命的なサイクル」を形作っている。

これは、この記事ならではの、少し踏み込んだ視点だよ。

そのサイクルが回るプロセスを、少しだけ、一緒に見てみようか。

まず、私たちは【伝統】という共通の土台(会社の文化やチームの価値観)の上に立つ。

その上で、共通の目的を持つ【実践】(仕事のプロジェクト)に、みんなで取り組むんだ。

実践の中で、当然、困難な壁に直面する。それを乗り越えようと努める中で、私たちの【徳】(粘り強さや誠実さといった、血肉となったスキル)が磨かれていく。

その成功や失敗の経験が、チームの中で「あのプロジェクトがあったから、今の私たちがあるよね」といった、共有される【ナラティブ】(語り)として、紡がれていく。

そして、その語られた物語が、次の世代の新たな【伝統】(チームの文化)を、静かに、しかし豊かに更新していく…。

このサイクルのイメージが、つかめたかな。

このサイクルの流れが本当に素晴らしいのは、議論のステージを「“私”の正しさ」を主張する段階から、「“私たち”の物語」を共に創る段階へと、自然に引き上げてくれる点にあるんだ。

これこそが、「情動主義(個人の好き嫌い)」という病を乗り越え、「共通善」を育むための、温かいプロセスの正体だよ。

ただ、この素晴らしいサイクルは、私たちが何もしなくても、勝手に回ってくれるわけではないんだ。

次の【実践編】でご紹介する5つの思考技術は、このサイクルを、あなたの日常の中で意識的に回していくための、具体的な「ハンドル」や「アクセル」の役割を果たしてくれるものだよ。

【この章のポイント】

  • 「伝統」は私たちの思考の土台となる基本ソフトであり、「実践」はやりがいが生まれる共通の活動の場である。

  • 「徳」は実践における内的善の達成に不可欠な“血肉となったスキル”であり、「ナラティブ」は過去と未来を繋ぐ探求の物語。

  • これら4要素は、個人とチームを成長させる「徳の成長サイクル」を形成しており、これこそが「情動主義」を乗り越える鍵となる。

 

 

【第三部】実践編日常で使える思考の道具箱

 

 

【実践編】明日から使える、マッキンタイアの思想に基づいた5つの思考技術

さて、ここまでの章で、私たちの対話がすれ違う原因と、それを乗り越えるための「思考の土台」を、一緒に見てきたね。

この第三部では、いよいよその土台の上に立ち、あなたの日常で実際に使える、具体的な「思考の道具」を手に取っていこう。

これまで見てきた思想は、決して難しい机上の空論ではない。それは、私たちの人間関係をより豊かにし、仕事をより生産的にするための、極めて実践的な知恵の宝庫なんだ。

ここからご紹介する技術は、いわば“思考の素振り”のようなもの。いきなり試合で完璧に使いこなせるわけではないし、相手や状況によっては、うまく機能しないことも当然ある。

大切なのは、まず自分一人で考えを整理するために使ってみること。

そして、もし対話の中で試すのであれば、場の空気や相手の状態をよく観察し、使うタイミングを慎重に選ぶことだね。

難しく考えず、まずは「こんな考え方があるんだな」と、気軽に眺めてみてほしい。きっと、明日から試してみたくなるものが見つかるはずだ。

Step1:まず自分を守り、状況を理解する2つの技術

最初にご紹介するのは、対立の渦中にいても冷静さを失わず、まずは自分自身を守るための技術だ。相手を変える前に、まず自分の心の置き場所を確保し、状況を客観的に見るための、いわば「守りの技術」だね。

私たちはつい、自分と違う意見を聞くと「いや、それは間違っている」と、反射的に反論したくなるものだよ。でも、その一言をぐっとこらえて、代わりに心の中でこう問いかけてみてほしい。

「この人の『正しさ』を支えている、一番大切な価値観は何だろう?」

と。

【具体的なやり方】

  • 相手の言葉の端々から、その人が何を一番守ろうとしているのかを、そっと推測する。

  • それは、何よりも「効率」や「スピード」だろうか?

  • それとも、結果よりも「公平性」や「プロセス」を重んじているのだろうか?

  • あるいは、新しい挑戦よりも「安全性」や「これまでのやり方」を大切にしているのかもしれないね。

  • もし会話の流れで自然に聞けそうなら、「そのご意見が実現すると、私たちにとって一番守られるべき『大切なこと』は何だと思われますか?」と、相手を尊重しながら問いかけてみるのも、とても良い方法だ。

  • そして、ここが一番大切なのだが、相手の答えに対して反論はしない。まずは、「なるほど、あなたは『公平性』という点を、最も重視されているのですね」と、相手が大切にしている価値観を、ただ静かに受け止めることに徹するんだ。

【なぜ、これが有効なのか】

これは、マッキンタイアが言う「多様な道徳的前提」がぶつかり合っている状況を、冷静に認識するための技術だよ。

相手を「間違っている敵」として見るのではなく、「自分とは違う考えを持つ、一人の人間」として捉え直す。それだけで、あなたの心には不思議と、小さなスペースが生まれるんだ。

この行為は、相手を変えるためのものではない。

むしろ、あなた自身の「世界の見え方」を、少しだけ豊かにするためのものなんだ。

相手の価値観を理解しようと努めるその態度は、それ自体が「敬意」や「誠実さ」といった、一つの立派な「徳」の実践でもあるからね。

感情的な議論がこじれていくとき、その多くは「客観的な事実」と「主観的な解釈」が、ぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまっていることが原因なんだ。

熱くなればなるほど、私たちは自分の「解釈」を、まるで動かぬ「事実」であるかのように語り始めてしまう。そうなる前に、一度だけ、立ち止まってみる。そして、全員が同じ場所に立てる「共通の地面」を、丁寧に固めることが大切だ。

【具体的なやり方】

  • 議論が紛糾しそうになったり、話が噛み合わなくなったりしてきたら、「少しだけ、頭の整理をしませんか。まず、この件に関して『全員がYesと言える事実』だけを、一度洗い出してみましょう」と、そっと提案する。

  • 可能であれば、ホワイトボードやノートに一本の線を引き、左側に「事実(Fact)」、右側に「解釈(Interpretation)」と書いたエリアを作る。

  • 「先月の売上が、目標に対して10%未達だった」「Aというお客様から、〇〇というご意見が3件届いている」といった、誰が見ても否定しようのない客観的なデータや出来事だけを、「事実」のエリアに書き出していく。

  • 全員でその「事実」を静かに共有した後で、初めて「さて、この事実を踏まえて、私たちは何を『考え』、どう『感じる』でしょうか?」と、それぞれの「解釈」を交換する時間に移るんだ。

【なぜ、これが有効なのか】

これは、マッキンタイアが批判した「情動主義(個人の好き嫌いの表明)」という沼に、足を踏み入れてしまうのを防ぐための、極めて強力な対話の作法だ。

最初に共有された「事実」という名の、固い、固い地面があるだけで、その後の意見交換は、単なる感情のぶつけ合いではなくなる。

それは、同じ景色を見ながら、「あなたには何が見えますか?」「私には、こう見えます」と、互いの「解釈」の、異なる世界の見え方を豊かに共有し合う、建設的な対話へと変わっていくんだよ。

Step2:次に対話の質を変え、チームを動かす3つの技術

自分の中に、静かで冷静な視点を確保できたら、次の段階だね。

今度は、その視点を土台にして、周囲に積極的に働きかけ、対立をより良い方向へと導いていくための「展開の技術」を見ていこう。

議論はしばしば、「A案か、B案か」という、二者択一の袋小路に入り込むものだ。

A案(例えば、スピード重視)とB案(例えば、品質重視)が対立しているとき、どちらかを選べば、どちらかが犠牲になる…。そんな、息苦しい膠着状態を、打ち破るための問いかけだよ。

【具体的なやり方】

  • まず、「A案の背景には『スピード』という大切な価値観が、B案の背景には『品質』という、これまた重要な価値観がありますね」と、両者の価値を、どちらも認める。

  • その上で、こう問いかける。「ここで、A案かB案か、と考えるのを一度やめてみませんか。そして、『圧倒的なスピード“かつ”譲れない品質』を両立させる、全く新しいC案は存在しないだろうか?と、一緒に考えてみるのはどうでしょう。」

  • この問いかけは、対立を「どちらが勝つか」の競争から、「どうすれば両方の善を実現できるか」の共同作業へと、議論のルールそのものを、がらりと変えてしまうんだ。

【なぜ、これが有効なのか】

これは、対立する個別の善を超えて、より高次の「共通善」を探求しようとする、マッキンタイア思想の核心に触れるアプローチだ。

そして、この問いはチームに新しい「ナラティブ(語り)」の可能性を提示する行為でもある。「私たちは、困難な二項対立を乗り越え、誰も思いつかなかった革新的な解決策を生み出したチームになる」。

そんな、少しだけワクワクする未来の語りへの、入り口を作ることができるんだよ。

議論が行き詰まり、目の前の対立点ばかりに、みんなの目が行ってしまうとき。

そんなときこそ、少しだけ視点をぐっと引き上げ、時間軸を広げてみることが、驚くほど有効だったりするんだ。

【具体的なやり方】

  • まず、過去を振り返る。「少しだけ、思い出してみませんか。私たちはこれまで、〇〇という目標のために、△△という大きな困難を、一緒に乗り越えてきましたよね」と、チームが共有してきた体験(伝統)を、静かに再確認する。

  • 次に、現在の対立を、その文脈の中に位置づける。「今回のこの対立は、私たちが次のステージに進むために、乗り越えるべき重要な局面なのかもしれませんね」と、目の前の困難を、物語の「展開」として捉え直す。

  • そして、未来に問いを投げかける。「この経験を経て、私たちのチームは、どんな新しい物語を紡いでいけるでしょうか?」と。

【なぜ、これが有効なのか】

これは、マッキンタイアの「ナラティブ」「伝統」という考え方を、会議室の場で実践するための、最も直接的な技術だね。

このアプローチがとても力強いのは、メンバーを「孤立した個人」から「共有された歴史と未来を持つ、物語の登場人物」へと、その立ち位置そのものを、そっと変えてしまう力があるからだ。

そうなれば、目先の利害や感情を超えて、「この物語を、より良い結末に導くために、自分に何ができるか?」という、より大きな視点から物事を考えられるようになるんだよ。

最後の技術は、チームが良い仕事を継続していくための、文化そのものを作っていくアプローチだ。少し、息の長い話になるね。

【具体的なやり方】

  • プロジェクトの節目や、定例会議の最後の5分間などで、こう問いかける。「このチームが、さらに良い仕事をしていくために、今、私たちに最も必要な『性質』や『行動』は何だと思いますか?」

  • メンバーから出てきた言葉(例えば、「率直に意見を言う勇気」「最後まで相手の話を聞く誠実さ」「データを客観的に見る公正さ」など)を、みんなが見える場所に、丁寧に書き出す。

  • そして、「今週、誰かのどんな行動に、その『徳』が表れているのを見ましたか?」と問いかけ、具体的な行動を互いに承認し合う、温かい時間を作るんだ。

【なぜ、これが有効なのか】

これは、マッキンタイア思想の最終目的地である「徳」を、ただのお題目で終わらせず、共同体の中で意識的に育んでいくための、具体的な仕組み作りだよ。

ルールや罰則で人を縛るのではなく、メンバー自身が「私たちにとっての善い状態」を自分たちの言葉で定義し、互いにそれを実践し、承認し合う。

そうすることで、チームの中には自律的な成長のサイクル(徳のサイクル)が、ゆっくりと回り始めるんだ。

【この章のポイント】

  • まず自分を守るために、相手の「正しさの基本ソフト」を理解し、「事実」と「解釈」を分離する技術が有効。

  • 次に対話を発展させるために、「第3の案」を創造し、「私たちの物語」という視点を導入し、チームが目指す「徳」を言語化する。

  • これらの技術は、マッキンタイア思想の核心(伝統・実践・徳・ナラティブ)を、日常の行動へと落とし込むための具体的な道具となる。

【深掘りQ&A】マッキンタイアの思想への注意点と、その現代的意義

ここまで、マッキンタイアの思想を、私たちの日常を豊かにするための「思考の道具」として見てきたね。

ただ、どんな考え方にも、光があれば影もあるものだ。彼の思想に対して、これまで多くの鋭い問いが投げかけられてきたことも、また事実なんだ。

ここでは、その中でも特に重要な2つの問いを取り上げ、誠実に向き合ってみたいと思う。こういう批判的な視点を持つことで、逆にこの思想が現代において持つ、本当の意味が、よりくっきりと見えてくるはずだからね。

「共同体主義」は、多様性や個人の自由を抑圧する危険な考え方ではないか?

「『共同体』や『伝統』といったものを重視する考え方は、ともすれば『みんな同じであるべきだ』という同調圧力に繋がり、個人の自由な生き方や、少数派の意見を抑圧する危険性があるのではないか?」

…これは、彼の思想に対する、非常に鋭く、そして最も重要な問いの一つだね。

そして、この懸念は決して的外れなものではない。

歴史を振り返れば、多くの共同体が、その結束を維持するという名の下に、異質なものを排除してきた。その事実は、私たちが決して忘れてはならない、痛みを伴う教訓だ。

しかし、とマッキンタイアは言う。

彼が描く健全な伝統や共同体とは、静かで、変化のない、閉鎖的なものでは全くないんだ。

むしろ、その逆。

彼が考える健全な伝統とは、「その伝統が掲げる“善”とは一体何なのか」という問いを巡って、その内部で絶え間なく、真剣な論争が続いている状態をこそ、その本質とする。

つまり、健全な共同体とは、全員が同じ意見を持つ、のっぺりとした集団ではないんだ。

「私たちは、一体どこへ向かうべきなのか」という、一つの大きな問いを共有し、その答えを巡って、時には激しく対立し、それでも対話を諦めない人々の集まりなんだよ。

そう考えると、彼の思想は多様性を否定するどころか、むしろ逆だということが分かるだろう。

価値観が多様で、誰もが違う「正しさ」を持っている現代だからこそ、「私たち」という主語で対話し、共に未来を探求するための土台が必要なのだ、と。彼の思想は、そのための可能性を、私たちに静かに示してくれているんだね。

変化の激しい現代社会で、彼の「伝統」を重んじる思想は本当に通用するのか?

もう一つ、こんな疑問も湧いてくるかもしれない。

「グローバル化が進み、テクノロジーがこれほど日進月歩で変化する現代において、『伝統に根ざせ』という主張は、どこか時代遅れで、変化の足かせになるだけではないか?」と。

確かに、もし「伝統」を、「過去のやり方を、ただ盲目的に繰り返すこと」と捉えるなら、その通りだろう。

しかし、マッキンタイアが言う伝統とは、博物館に飾られた、美しいけれど生命を失った剥製のようなものではないんだ。

それは、変化の荒波を乗り越えるために、先人たちが命がけで書き記してきた、知恵の「航海日誌」のようなもの。

私たちは、その航海日誌を読むことで、まず「自分たちがどこから来たのか」を知ることができる。そして、変化の激しい大海原の中で、「自分たちが今どこにいるのか」という現在地を、初めて正確に確認することができるんだ。

そして、その現在地が分かるからこそ、私たちは初めて「これから、どこへ向かうべきか」という未来への舵を、自分の意志で切ることができるようになる。

真の新しい挑戦(イノベーション)とは、単なる過去の全否定からは生まれないんだ。

乗り越えるべき、豊かで偉大な「伝統」という土台があって初めて、それを超えようとする、本当に価値のある挑戦が可能になるんだよ。

彼の思想は、変化の時代にただ流されてしまうのではなく、その流れの中で主体的に未来を創り出していくための、揺るぎない「錨(いかり)」の役割を、私たちの心の中に果たしてくれるだろう。

【この章のポイント】

  • マッキンタイアが言う健全な共同体とは、同調圧力の場ではなく、むしろ「共通善」を巡る真剣な対話が続く場である。

  • 「伝統」は変化を妨げる足かせではなく、変化の時代に自分たちの現在地を知り、未来へ進むための土台(航海日誌)となる。

  • 彼の思想は、多様で変化の激しい現代社会だからこそ、私たちが共に生きていくための「心の指針」となりうる。

まとめ。マッキンタイアの思想を「心の指針」に、明日からの対話を変える

最後に、この記事でお伝えしてきたことを、少しだけ振り返ってみたいと思う。

【この記事のポイント】

  • 私たちの対話がすれ違う根本原因は、共通の物差しを失い、個人の感情がぶつかり合う「情動主義」にあること。

  • その状況を乗り越える土台として、「伝統」「実践」「徳」「ナラティブ」という4つの要素が循環する「徳の成長サイクル」があること。

  • そして、そのサイクルを日常で回していく具体的な道具として、5つの思考技術があること。

この記事を通して、私が一番あなたにお伝えしたかったのは、あなたの「正しさ」を、無理に相手に押し付ける必要はない、ということだよ。

そうではなく、あなたのその大切な「正しさ」を、一度「私たちにとっての、善い状態とは何だろう?」という、より大きな問いの中に、そっと置いてみてほしいんだ。

もちろん、この記事でご紹介した考え方や技術が、あらゆる問題を解決してくれるわけではない。

ときには、どうにもならない組織の構造や、対話の席にさえついてくれない相手もいるだろう。

しかし、たとえそんな厳しい状況にあったとしても、なぜ事態がこうなっているのかを感情論ではなく構造で理解できるだけで、あなたの心は、不必要な自己否定や、先の見えない消耗から、きっと守られるはずだ。

明日、もし意見が対立する場面があったなら、ご紹介した5つの技術の全てを、いきなり試す必要はない。

ただ一つ。

相手を言い負かそうとする、その一瞬手前で、心の中でそっとこう問いかけてみてほしい。

「この人の思考の背景にある、大切にしているものは何だろう?」

と。

たったそれだけで、あなたの心には小さな余裕が生まれる。

マッキンタイアの思想は、複雑で、時には理不尽にさえ感じるこの世界を、それでもより善く生きていこうとする私たちにとって、確かな「心の指針」となる。

この記事が、あなたの明日からの対話を、そして人間関係を、少しでも豊かなものにする一助となればうれしいな。

このサイトでは、こうした古今東西の知恵を手がかりに、私たちが日々をより幸せに、そして豊かに生きていくための「考え方」や「物事の捉え方」を探求しているんだ。

もし、興味があれば、他の記事も覗いてみてくれると嬉しいな。

きっと、あなたの心の指針となる、新しい発見があるはずだよ。

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