チームの「不公平感」に、一人で悩み、心をすり減らしているあなたへ。この記事を読めば、もう判断に迷わない「揺るぎない心の指針」と、明日から使える「具体的な4つの思考技術」が手に入るよ。
この記事では、2000年以上前の思想家「墨子」の教えを、まずその本質がわかるように紐解き、その上で、現代のチームで使える具体的な思考技術として紹介しているんだ。
一見、古くて難しい思想だよね。でも、あなたのチームを風通しの良い場所にするための、非常に合理的な知恵が詰まっているよ。
それでは、見ていこう。
はじめに「公平でありたい」のに、なぜチームはギスギスするのか?
オフィスの、あの独特の空気。
特定のメンバーと少し楽しそうに話していると、ふと、他のメンバーたちの視線が、ちくりと背中に刺さるような気がする。
Aさんの出した成果を、みんなの前で心から褒めたたえたら、その隣にいたBさんの表情が、ほんの少しだけ、曇ったように見えた。
…あなたにも、そんな経験はないかな?
リーダーとしてチームの成果を考えれば、意欲のあるメンバーや、現実に結果を出しているメンバーと話す時間が増えるのは、ある意味、当然のことだよ。とっても合理的な判断だ。
でも、その合理的な判断が、周りのメンバーの目には、なぜか「感情的なえこひいき」と映ってしまうんだね。
この、なんとも言えない「ねじれ」。
これこそが、チームの空気を、静かに、でも確実にギスギスさせていく問題の正体だよ。
そして、この問題が本当に厄介なのは、リーダーが「公平であろう」とすればするほど、誰からも理解されず、だんだんと孤独になっていく点にあるんだ。
チームのために、良かれと思ってやっている。そのはずなのに、なぜか伝わらない。気づけば、自分だけがみんなの輪から弾き出されて、置いていかれたような感覚に陥ってしまう。
そんなに、ずっと頑張ってきたのなら。
疲れてしまうのも、当然だよ。
では、一体、どうすればよかったんだろうね。
そもそも、組織における「公平」とは、何なんだろう。
実は、このとても根深い問いに、2000年以上も前から、驚くほど合理的で、かつ力強い答えを用意していた思想家がいたんだ。
それが、かの有名な孔子の、最大のライバルと呼ばれた男、「墨子」だよ。
【この章のポイント】
リーダーが陥る「公平さ」のジレマは、合理的な判断が感情的なえこひいきに見えてしまう、という構造にある。
真面目なリーダーほど、「公平であろう」とすることで、逆に孤立しやすいという現実。
その根深い問題の解決策は、2000年以上前の思想家「墨子」の教えの中にある。
なぜ今、孔子ではなく「墨子」の思想なのか?―多様性の時代が求める思考の土台
古典を学ぶにしても、なぜ有名な『論語』の孔子じゃなくて、あまり聞き慣れない「墨子」なんだろう?
きっと、そう思われた方もいるんじゃないかな。
その問いに答えるために、少しだけ、あなたが今率いているチームの顔ぶれを、そっと心に思い浮かべてみて。
そこにはきっと、自分とは全く違う業界から来た、価値観の違う中途採用の社員がいて。会社には属さない、専門スキルを持った業務委託のメンバーもいて。そして、仕事と同じくらい、自分の人生の時間を大切にする、しなやかな感性を持った若手社員もいる。
本当に、色々な人がいるよね。
リモートワークが当たり前になって、かつてのような「まあ、一杯飲みながら話せば分かり合えるさ」といった、ウェットなやり方は、もはや通用しなくなった。
こういう、一人ひとりの背景が全く違う現代のチームに、伝統的な孔子の思想をそのまま当てはめてみると、なんだか少し、窮屈な場面が出てきてしまうんだ。
孔子の教えの中心にあるのは「仁(じん)」や「礼(れい)」。
これは、血縁や師弟関係といった身分や関係性に基づいた差愛(区別のある愛)を前提とし、年長者や上司を敬う家族的な秩序(序列)を重んじるという、人間社会の基本とも言える、素晴らしい考え方だよ。
でも、その「良かれ」が、現代では思わぬ副作用を生むことがある。
例えば、チームの結束を高めたいと願うあまり、古くからいる気心の知れたメンバーだけで大事なことを決めてしまえば、新しく入った人は、まるで透明人間になったかのような疎外感を抱いてしまうかもしれない。
筋を通そうと、丁寧な根回しや序列を重んじれば、ビジネスのスピードはどんどん遅くなり、あっという間に時代の変化から取り残されてしまう。
もちろん、孔子の思想が間違っている、なんて言うつもりは全くないよ。
ただ、メンバーの背景がカラフルになり、変化のスピードがぐんと上がった現代のチーム運営において、それだけでは対応しきれない部分が、確かに出てきた。そういうことなんだ。
じゃあ、墨子はどうかな。
彼の思想は、こうした「差愛」を前提とした枠組みを、一度ひらりと取り払ってくれる。
そして、もっとフラットで、風通しの良い判断基準を示してくれるんだよ。
兼愛(けんあい)
特定の属性や関係性で人を区別しない、という考え方。これは、多様なメンバーが誰一人「自分だけがここに居てはいけないんじゃないか」なんて思わずに済む、「心理的安全性」の、まさに土台になるよ。尚賢(しょうけん)
年齢や社歴といったラベルではなく、その人が持つ能力と、実際に出した成果で判断する、という考え方。これは、誰もが「正当に評価されている」と感じられる「公平性(フェアネス)」の、ど真ん中を射抜く考え方だね。非攻(ひこう)・節用(せつよう)
昔からの慣習や誰かの感情論に流されず、チーム全体の利益のために、今、最も合理的な選択は何かを考える姿勢。これは、変化の速い時代に不可欠な「俊敏性(アジリティ)」を生み出す。
つまり、だね。
多様な人々が集まり、昨日までの正解が、明日にはもう通用しなくなるかもしれない。そんな、予測不能な現代のチームを率いるリーダーにとって、墨子の思想は、もはや単なる古典の知識、選択肢の一つなんかじゃないよ。
それは、チームを一つの方向に導き、そこにいる全員の力を最大限に引き出すために、学び、実践する「必然性」のある知恵だと言えるだろうね。
…さて。
それでは、そのとっても強力な思考の土台とは、一体どんな構造になっているんだろうか。
次の章で、そのびっくりするほど合理的な全体像を、一気に解き明かしていこうか。
【この章のポイント】
現代のチームは価値観や働き方がカラフルになり、従来の「差愛(区別のある愛)」を前提とした考え方では、少し限界が見えてきた。
墨子の思想は、「心理的安全性」「公平性」「俊敏性」といった、現代のリーダーシップに欠かせない要素を、たくさん含んでいる。
だからこそ、今、孔子だけでなく「墨子」の思想を学ぶことには、ものすごく大きな価値がある。
【墨子の思想】の全体像。孔子との「愛の違い」で本質を掴む
さて、ここからだよ。
一見すると、なんだかとっつきにくい墨子の思想。その「全体像」を、たった一つのキーワードと、彼のライバルであった孔子との比較から、誰にでも分かるように解き明かしていくね。
この章を読み終える頃には、きっと墨子の思想の骨格が、あなたの頭の中に浮かび上がっているはずだよ。
そもそも墨子とは?痛みを原動力にした、徹底した実践家の思想
墨子という人が、どんな人生を歩んだのか。
実を言うと、その詳しい記録は、あまり残ってはいないんだ。
ただ、分かっているのは、その出自が決して高い身分ではなく、下級の職人階級の出身で、貧しい人々の生活を熟知していたこと。(一説には孤児だったとも言われている。)
彼が、きらびやかな宮殿の中からではなく、社会の底辺から、泥にまみれた人々の「痛み」を、その肌でじかに感じていた人物だったということだね。
彼を突き動かしたのは、たぶん、学者としての知的な探求心なんかじゃなかった。
「どうすれば、目の前で起きているこの悲惨な戦争を、止められるんだろう?」
「どうすれば、罪のない人々が、飢えずに済むんだろう?」
目の前の現実を、なんとかしたい。
それこそが、彼の思想の、すべての原点だったんだよ。
事実、墨子が創設した「墨家」という集団は、ただ机に向かって思想を学ぶだけの、おとなしい学者グループではなかったんだ。
彼らは、どこかの国が理不尽な侵略戦争に苦しんでいれば、自らそこに駆けつけて城を守る、高度な技術者集団であり、命がけの戦闘集団でもあったんだよ。
このことからも、なんとなく空気感が伝わってくるよね。
墨子の思想は、決してきれいな言葉で終わるお題目じゃない。それは、血の通った生身の人間が、現実の中で実践することを大前提とした、「行動の哲学」だったんだ。
思想の核心。「兼愛」から全てが始まる、その合理的な構造
墨子の数ある教えの中で、もし「核心は、たった一つだけ。どれですか?」と問われれば、答えはこれしかないよ。
それが「兼愛(けんあい)」だ。
「兼愛」と聞くと、なんだか「みんなを平等に愛しましょう」という、少し宗教がかった、ふわふわした道徳論のように聞こえるかもしれない。
でも、墨子の言う「兼愛」は、それとは少し、手触りが違うんだ。
それは、「自分や、自分の身内だけの利益を考えるのではなく、関わる人すべての利益の合計が、一番大きくなるのはどういう選択か?という問いを、常に判断の基準に置くこと」。
つまり、思考の「出発点」そのものなんだね。
そして、墨子の本当にすごいところは、このたった一つの大原則から、他のすべての教えが、まるでパズルのピースがはまるように、ものすごく合理的に導き出される点にあるんだ。
少し、彼の思考のプロセスを、一緒に覗いてみようか。
大原則:【兼愛】 全体の利益を最大化する。
ここから、自然と、問いが生まれてくる。
問い①:「そのために、どんな人をリーダーにすべきだろう?」
答え:【尚賢(しょうけん)】
そりゃあ、家柄や人気じゃなくて、本当に実力のある人物を選ぶのが、一番合理的だよね。
問い②:「そのために、限りあるエネルギーを、何に注ぐべきだろう?」
答え :【非攻(ひこう)】【節用(せつよう)】
全体の利益をただ損なうだけの、無益な争いはやめる。無駄な浪費もなくす。そして、浮いたリソースを全員のために使うのが、一番合理的だよね。
ほら、こんな風に。
墨子の思想は、バラバラの教えの寄せ集めではなく、たった一つの指針から成る、すごくシステマチックな構造を持っているのが、なんとなく見えてこないかな。
そして、これは決して、冷たい計算主義から生まれたものではないんだ。
「あの無能な上司のせいで、真面目な部下が、心と体をすり減らしていく」
「部署同士の、くだらない派閥争いのせいで、うまくいくはずだったプロジェクトが、頓挫する」
きっと彼は、そんな、あまりにも多くの不条理を、その目で見てきたんだろうね。(あくまでも想像だけど…)
だからこそ、誰か特定の人の都合や感情ではなく、「全体の利益」という、揺るぎない基準を置くべきだと、強く、強く、考えたんだ。
孔子との決定的違い「身内の利益」か、「全体の利益」か
この「全体の利益」という視点を理解すると、当時、儒家と並ぶ二大勢力とまで言われた墨家が、なぜ孔子の思想を批判したのか、その違いが、とってもクリアになるよ。
突き詰めれば、二人の違いは「判断の基準を、どこに置くか」、もう、この一点に尽きるね。
これも、あなたがリーダーとして直面する、具体的な場面で考えてみると、分かりやすいかもしれない。
お題
「二人の部下がいるとします。一人は、いつも自分を慕ってくれる、気心の知れたベテランのAさん。もう一人は、まだ少し頼りないけれど、ものすごく将来性を感じる新人のBさん。さて、どちらか一人を、今後のチームの命運を分けるような、重要なプロジェクトに推薦するとしたら?」
この時、二人の思想家がささやき始めるよ。
孔子的判断
「いつも自分を支えてくれる、可愛い部下のAさんを、ここは推薦しよう」。これは、身内や自分との関係性を大切にする「仁」に基づいた、とっても人間的で、自然な判断だ。
でも、チーム全体の長期的な成長には、もしかしたら繋がらないかもしれない。
墨子的判断
「短期的には、自分がフォローするのですごく苦労するだろう。
でも、この経験がBさんを育て、ひいてはチーム全体の将来の利益に繋がるはずだ。ここは、あえて新人Bを推薦しよう」。これは、「兼愛(全体の利益)」に基づいた、ものすごく合理的な判断だ。
でも、ベテランのAさんとの間には、一時的に、気まずい空気が流れるかもしれないね。
どうだろう。
どちらが絶対的に正しくて、どちらかが間違っている、なんていう、単純な話ではないことが分かるかな。
大切なのは、こういう人生の、仕事や判断の岐路に立った時、あなたはどちらの「心の指針」を持って決断を下したいのか、ということなんだ。
…さて。
墨子の思想の全体像が、なんとなく見えてきたね。
では、次はいよいよ、その柱となる各思想を、一つひとつ、もっと詳しく見ていこう。そして、それらが、あなたのチームをどう強くしていくのかを、具体的に解説していくよ。
【この章のポイント】
墨子の思想は、現実の痛みを原動力にした、徹底した「行動の哲学」だということ。
その核心は「兼愛(全体の利益を最大化する)」というたった一つの大原則にあって、他の教えは全て、そこから合理的に導き出される、ということ。
孔子との違いは、「身内の利益」を優先するか、「全体の利益」を優先するか、という判断基準の違いにある、ということ。
【墨子の思想の要点】チームを強くする4つの柱をわかりやすく解説
前の章で墨子の思想の「骨格」のようなものを、なんとなく掴んでいただけたかと思います。
ここからは、その解像度を、ぐっと上げていこう。
ここからの解説は、学術的な厳密さよりも、現代のリーダーが実践で使えることを最優先に『現代的な解釈(翻訳)』を施したものだよ。本来の思想の深い世界を知る、入り口として捉えてみて。
この章では、墨子の思想の柱となる4つの大切なキーワードを、現代の、それもあなたのチーム運営という、とても身近な視点から、一つひとつ丁寧に「翻訳」していくよ。
きっと、あなたのチームを今より少しだけ、風通しの良い場所に変えるための、具体的なヒントが見つかるはずだ。
① 兼愛。えこひいきを生まない「チーム全体の視点」という思想
さて、何度も出てきている「兼愛」。
墨子の思想の、まさに心臓部とも言える考え方だね。
これを、もし現代のリーダーシップの言葉で言い換えるなら、「サーヴァント・リーダーシップ」…つまり、メンバーに奉仕し、その成功を支えるリーダーのあり方や、「全体最適」なんていう言葉に、とても近いものだと思うよ。
まあ、そんなことは置いといて。
平たく言えば、リーダー個人の感情やその場の都合ではなく、チームメンバー全員の成功と、チーム全体の利益を、いつでも一番に考える。
そういう判断基準のことだ。
「そんなの、当たり前だ」
きっと、そう思われることだろうね。
でも、頭では「えこひいきは良くない」と、痛いほど分かっているのに。なぜ、私たちは、無意識のうちに、特定の人にばかり、時間や、心のエネルギーを注いでしまうんだろうか。
そこには、人間の脳が、ついやってしまいがちな、いくつかの「思考の癖」みたいなものがあるんだ。
脳は、楽をしたい生き物だから
正直なところ、自分と似たタイプの人や、素直に「はい、分かりました」と気持ちよく返事をしてくれる部下と話す方が、脳にとっては、ずっと楽で、心地よいんだよね。
もらったものは、返したくなるから
自分を慕ってくれる部下には、何か特別なことをしてあげたくなる。これは「返報性の原理」なんて呼ばれたりもするけど、ごく自然で、あたたかい感情だよ。
成果への一番の近道に見えるから
今すぐ、このプロジェクトを成功させたい。そう思った時、いつも優秀な成績を収めている、いわゆるエース社員に「頼む!」と言ってしまうのが、一番手っ取り早く見える。これも、リーダーとして、ある意味で合理的な判断だ。
どうかな。こうして一つひとつ見ていくと、えこひいきのつもりがなくても、日々の行動が少しずつ偏ってしまうのは、ある意味で、もう仕方がないことだ、と思えないかな。
だからこそ、意識して、墨子の「兼愛」という指針を、心の中に一本立てておく必要があるんだ。
この指針を持つリーダーは、特定のスタープレイヤー一人の、華々しい活躍を喜ぶだけでは、終わらない。その活躍を、会議室の隅で、誰にも気づかれないような地味な作業で、黙々と支えたメンバーにも、ちゃんと光を当てようとする。
目に見える成果を出しているメンバーだけでなく、今はまだ、なかなか芽が出ずに伸び悩んでいるメンバーの中に、まだ誰も気づいていない才能のかけらが、どこかに眠っていないだろうか、と。
辛抱強く、その可能性を探し続けようとするんだよ。
② 尚賢。馴れ合いを断ち切る「フェアな評価基準」の思想
次に、「尚賢(しょうけん)」。
これは、すごくシンプルに言えば「実力主義」のことだね。
家柄や身分、あるいは社内での人間関係ではなく、その人が実際に持っている能力や、チームのために出してくれた成果によって、人を登用し、評価すべきだ、という考え方だよ。
これも、現代の人事評価における「コンピテンシー評価」…つまり、成果に至るまでの行動そのものを評価する手法や、「パフォーマンス・マネジメント」の、ずっと昔の源流とも言える、非常に先進的な思想なんだ。
ただ、これもまた、実践するのは、本当に、本当に難しい。
リーダーが、自分では良かれと思って下した評価が、なぜか部下の不満や、モチベーションの低下に繋がってしまう。その背景には、リーダーと部下の間に、どうしようもなく横たわっている、「評価の非対称性」という、とても根深い問題があるんだ。
見ている「情報」の非対称性
リーダーは、チーム全員の働きを、公平に見ているつもりだ。でも、部下は、リーダーが見ていない場所で、自分がどれだけ粘り強く努力したかを、ちゃんと知っている。
見てほしい「場所」の非対称性
リーダーは、どうしても目に見えやすい「結果」を評価しがちだ。でも、部下は、その結果に至るまでの、泥臭い「プロセス(苦労や工夫)」こそを、本当は認めてほしい、と願っている。
この、「見ている場所」と「見てほしい場所」の、どうしようもないズレ。
これが、評価への不満を生み出す、本当の正体なんだね。
だからこそ、「尚賢」の思想を持つリーダーは、評価を伝える時の「言葉」を、ものすごく、ものすごく大切にする。
単に、「今月もよく頑張ったな」なんていう、ふんわりとした、抽象的な言葉で片付けたりは、決してしないよ。
「先日のクライアントとの会議、A社の担当者が、少し難しい表情をした瞬間に、君がさっとフォローのデータを出してくれたよね。あの、具体的な一つの行動があったからこそ、あの厳しい交渉を、チームは乗り切ることができたんだ。本当に、ありがとう」
このように、具体的な「事実」と「行動」に基づいてフィードバックをすることで、評価のズレを丁寧に埋め、部下の心からの納得感を引き出すんだ。
③ 非攻。無益な対立を避ける「集中と防御の戦略」という思想
「非攻(ひこう)」と聞くと、「戦争反対!」みたいな、平和主義的なイメージが、やっぱり強いかもしれないね。もちろん、それも大きな柱の一つだよ。
でも、墨子の言う「非攻」は、それだけじゃない。
これは、現代の経営戦略における「ランチェスター戦略(弱者が、いかにして強者に勝つか、という戦略)」にも通じる、極めて戦略的な「防御」と「集中」の思想でもあるんだ。
つまり、「勝てない戦は、しない」「意味のない争いで、貴重なエネルギーをすり減らさない」ということ。
これを、あなたのいる組織に当てはめてみると、どうだろう。
例えば、他部署との、あの面倒な縄張り争いとか。あるいは、社内での、あの足の引っ張り合いとか。
そういった、本質的な価値を何も生まない「内向きの争い」からはさっさと手を引いて、自分たちのチームが本当に集中すべき、本質的な業務に、すべてのリソースを注ぎ込む。そういう、ものすごく賢明な戦略になるんだ。
では、なぜ多くの組織は、不毛だと、みんな心のどこかで分かっていながら、こうした内向きの争いに、貴重な時間とエネルギーを浪費してしまうんだろうか。
そこにもまた、人間の、ちょっと厄介な、心理的なメカニズムが働いているんだね。
内集団バイアスという、身内びいきの本能
人間は、自分が所属している集団(自分のチーム)を、無意識に「正しくて、優れている」と思い込み、他の集団(他の部署)に対して、対抗意識を燃やしてしまう、という本能があるんだ。
限定合理性という、視野の狭さ
それぞれの部署は、自分たちの部署にとっての「部分最適」を、それはもう一生懸命に追求する。でも、その行動が、皮肉にも、会社全体の「全体最適」を損なっていることには、なかなか気づけないんだ。
こうした、人間のどうしようもない本能を、どこか達観した視点で理解した上で、「非攻」の思想を持つリーダーは、安易に他部署への愚痴や批判に、同調したりはしない。
むしろ、チームのメンバーに、こう問いかけるんだ。
「あの部署を批判することに時間を使うより、彼らと協力すれば、もっと大きな、面白いことができるんじゃないだろうか?」
私たちのチームが、本当に向き合うべき課題は、社内のどこかにあるんじゃない。もっと外の、広い世界にあるはずだ。その視点を、ブレずに、チームに示し続けるんだよ。
④ 節用。メンバーの疲弊を防ぐ「エネルギーの最適化」という思想
最後は、「節用(せつよう)」。
これは、無駄をなくし、質素倹約を心がけましょう、という教えだね。
でも、墨子が本当に「節約」したかったのは、会社の経費や、オフィスの備品だけじゃなかった。
彼が、何よりも、一番守りたかったもの。
それは、チームメンバー一人ひとりの「時間」や「集中力」、そして「モチベーション」といった、目には見えない、でも、一度失うと取り戻すのがものすごく難しい、最も貴重な資源(エネルギー)だったんだ。
この考え方は、現代の生産性向上論で注目される「リーン思考」や「エッセンシャル思考(より少なく、しかしより良く)」の、まさに、ずっと昔の先駆けと言えるだろうね。
しかし、私たちの周りには、この貴重なエネルギーを、静かに、でも確実に奪い去っていく「無駄」が、今もなお、たくさん溢れている。
一体、なぜなんだろうね。
実は、その無駄の多くは、リーダーである、あなた自身が、無意識のうちに生み出してしまっているもの、なのかもしれない。
現状維持バイアスという、変化を嫌う心
「昔から、こうやっているから」という、ただそれだけの理由で、本来の目的を完全に見失った、形だけの定例会議や日報が、今日も惰性で続けられてしまう。
リーダー自身の、どうしようもない不安
リーダーが、「チームの状況を、全部、隅から隅まで把握していないと、なんだか不安だ」と感じてしまうことで、部下に対して、必要以上の、息が詰まるほど細かい報告を求めてしまう。
だからこそ、意識して、「節用」という指針を、自分の心に持っておくことが、ものすごく重要になるんだ。
「節用」を実践するリーダーは、当たり前を疑うことを、恐れない。
会議を始める前に、メンバーにこう問いかけるよ。
「ところで、今日のこの会議の、ゴールって何だっけ?」
部下から、ものすごく分厚い報告書が上がってきたら、その労をねぎらった上で、こう考えるんだ。
「この資料を作るために、彼は、本当にこれだけの時間と労力をかける必要が、あったんだろうか?」
チームの、限りある有限なエネルギーを、本当に価値のある、本質的な仕事に集中させる。
それこそが、メンバーの無用な疲弊を防ぎ、持続的に成果を出し続けるチームを作るためのリーダーの役割だね。
ここまで、墨子の思想の柱を、一つひとつ見てきたね。
これらが、いかに現代の私たちにとって、強力で、そして優しい指針となるか、少しでも感じていただけたなら、嬉しいよ。
では、いよいよ次章で、これらの思想を、あなたの日常で、明日からすぐに使える、具体的な「思考技術」に、落とし込んでいこうか。
【この章のポイント】
兼愛:リーダーの無意識の偏りを自覚し、「チーム全体の視点」を持つこと。
尚賢:リーダーと部下の間にある「評価のズレ」を深く理解し、「フェアな評価基準」を言葉にして示すこと。
非攻:無益な「内向きの争い」から抜け出し、チームが本当に「集中すべきこと」にエネルギーを注ぐこと。
節用:リーダー自身の不安と向き合い、チームの大切な「エネルギーの最適化」を図ること。
【墨子の思想を応用】明日から使える4つの思考技術
さて、ここからは、この記事の核心だよ。
これまで学んできた墨子の、ちょっと骨太な思想を、単なる知識で終わらせない。あなたのチームが今まさに抱えている問題を、具体的に解決していくための、実践的な「思考技術」として、4つのステップに分けて、丁寧にご紹介していくね。
もちろん、これから紹介する技術を実践する上で、会社の文化や評価制度といった、リーダー一人の力では変えられない大きな壁に直面することもあるだろう。この記事は、その壁の存在を無視するものではないよ。
しかし、それでもなお、まずリーダーであるあなた自身が変わることで、あなたのチームという小さな、しかし大切な単位から、変化の波紋を起こすことは可能だと、私は信じているんだ。
あ、でも、身構える必要はないよ。
これらの技術は、リーダーであるあなたが、一人で全部を背負い込むためのものでは、決してないからね。
むしろ、あなたが一人で抱え込んでいる、その肩にずっしりとのしかかった重荷を、チーム全体で、少しずつ分かち合えるようにしていくための、いわば「設計図」のようなものだ。
だから、どうか肩の力を抜いて。「これなら、できそうかな」と思えるものから、気楽な気持ちで、試してみて。
ステップ1-1。感情と行動を切り離す『セパレート思考』
これは、墨子の「兼愛」の思想を、あなたの日常で実践していくための、最初の技術だよ。
まず、認めるところから、始めようか。
リーダーだって、一人の人間だ。チームのメンバーに対して、「あ、この人は話しやすいな」「うーん、この人は少し苦手だな」…そんな、人間的な感情を抱いてしまうのは、もう、どうしようもなく自然なこと。避けられないよ。
問題は、その心の中にある、目に見えない感情が、声かけの頻度や、フィードバックの質といった、目に見える「行動」の差として、じわじわと滲み出てしまうことにあります。
『セパレート思考』とは、この「内心の感情」と「リーダーとしての役割行動」の間に、意識的に、すっと一本の線を引く技術だ。
心の中で「苦手だなあ」と感じる、その正直な感情は、無理に消そうとしなくていい。そんなこと、できないからね。その感情は、一旦、認めて、そっと横に置いておく。
そして、こう自分に問いかけるんだ。
「それでも、リーダーとして、彼(彼女)の成長のために、今、自分ができる行動は、何だろう?」と。
問いを、どうしようもない「感情」のレベルから、自分でコントロールできる「行動」のレベルへと、意識的に切り替えるんだよ。
具体的な実践方法。週次の、ちょっとした「コミュニケーション監査」
-
週末に、たった5分でいいので、一人になれる時間を取って。そして、チーム全員の名前が書かれたリストを、静かに、ただ、眺めてみて。
-
この1週間を、ぼんやりと振り返ってみよう。そして、「あ、そういえば、この人とは、業務に関するポジティブな対話が、極端に少なかったな」と感じるメンバーに、そっと印をつけてみて。
-
そして、そのメンバーとの対話を、来週のタスクリストの、一番上に、ぽんと書き込むんだ。
ものすごく、機械的で、どこか無機質な方法に思えるかもしれない。
でも、この半ば強制的な行動の、ほんの小さな積み重ねが、あなたの無意識の行動の偏りを、少しずつ、是正していく力になるよ。
【よくある失敗と、その乗り越え方】
失敗例
「意識しすぎて、態度がなんだか、ぎこちなくなってしまって。かえって相手に、変に警戒されてしまった気がする…」
乗り越え方
でも、どうか、完璧なコミュニケーションなんて、目指さないで。大切なのは、流暢に、うまく話すことなんかじゃない。
あなたが「あなたのことを、意識していますよ」と、その姿勢を行動で示している、その事実そのものに、価値があるんだよ。
その不器用なほどの誠実さは、たとえ少し時間がかかったとしても、必ず、相手の心に届くから。
ステップ1-2。評価のモノサシを公開する『基準の言語化』
これは、墨子の「尚賢」の思想を、チームの中で実践していくための技術だ。
あなたの頭の中にしか存在しない評価基準は、メンバーにとっては、中身が全く見えない「ブラックボックス」と同じだよ。
どんなにあなたが公正な評価を下したつもりでも、その基準が不透明な限り、そこには必ず「結局は、リーダーの好き嫌いで決まるんじゃないか?」という、疑念の種が、芽生える余地を残してしまうんだ。
『基準の言語化』とは、あなたのチームの目標達成のために、どのような行動が「価値ある仕事」と見なされるのかを、誰もがわかる具体的な言葉で定義する。
そしてそれを全員に、ちゃんと公開する技術だよ。
具体的な実践方法。3つの、小さなステップで実行する
洗い出す
まずは、あなた一人で、静かに考える時間を取る。
「今の私たちのチームの目標達成に、特に貢献する行動って、なんだろう?」と自問し、思いつくままに、5つほど箇条書きにしてみて。
(例:「新しい改善提案を、たとえ小さくても出してくれること」「後輩が困っている時に、自分の時間を割いて、丁寧に教えてあげること」など)
宣言する
次のチームミーティングの場で、そのリストをメンバーに提示する。そして、少しだけ勇気を出して、こう宣言するんだ。「私は今後、この基準を特に意識して、皆さんの日々の仕事を見ていきたいと思っています」と。
対話する
そして、宣言した後に、必ずこう問いかけてみて。
「この基準について、みんなはどう思うかな?何か、追加した方がいいと思う点はある?」
この、たった一言の問いかけが、それを一方的な「押し付け」ではなく、チーム全員の「私たちのモノサシ」に変えていくための、とても、とても大事な入り口になるよ。
【よくある失敗と、その乗り越え方】
失敗例
「基準を示したら、あるメンバーから、『それじゃあ、私のやっている仕事は、評価されないっていうことですか』と、少し強い口調で反発されてしまった…」
乗り越え方
それは、メンバーが、あなたの言葉を真剣に受け止めてくれている、何より健全な反応だよ。
ぜひ、こう返してみて。
「指摘してくれてありがとう。そうか、その視点が抜けていたね。では、君が担ってくれている、その大切な仕事の価値を、この基準にどう組み込めば、もっと良いモノサシになるだろうか?一緒に考えてくれないかな」。
反発を、対立として受け止めるのではなく、チームをより良くするための「改善のチャンス」として、そのエネルギーごと、チームに巻き込んでしまおう。
ステップ2-1。「公平のルール」を全員で決める『チーム憲法の制定』
これは、「兼愛」と「尚賢」の思想を、単なるリーダーの方針から、チームの「文化」へと、じっくりと定着させていくための、次のステップだ。
あなたが提示した基準も、まだ、あなたのチームにとっては「リーダーが考えた基準」に過ぎないよね。メンバー一人ひとりが、心の底から納得し、誰かに言われるまでもなく、自律的に動き出すためには、もう一段階、深いプロセスが必要になる。
『チーム憲法の制定』とは、リーダーが決めるのではなく、チーム全員で「私たちにとっての『公平なルール』って、なんだろう?」という、とても根源的な問いについて議論し、全員が「これなら、守れる。守りたい」と合意した行動規範を、自分たちの手で作り上げる技術だ。
具体的な実践方法。ちょっとしたワークショップを開催する
-
少し長めのミーティングの時間を取り、「あなたがこのチームで、少しでも『不公平だな』と感じたり、なんとなくモヤモヤしたりするのは、どんな時ですか?」という問いを投げかける。そして、その答えを、誰が書いたか分からないように、匿名の形で付箋に書き出してもらおう。
-
出てきた意見を、一切、否定も評価もせず、すべてホワイトボードに貼り出していく。そして、全員で、ただそれを眺めて。「なるほど、自分は気にしていなかったけど、そういう風に感じる人もいるのか」。この、認識の違いを、ただ知ること。それ自体が、ものすごく大きな一歩だよ。
-
その上で、「では、今後、私たち全員が、もっと気持ちよく働くために、みんなで守っていくべきルールを決めようか」と提案する。そして、具体的な行動規範を、欲張らず、3つから5つくらいに絞り込むんだ。
(例:「情報共有は、特定の人への、その場限りの口頭で済ませるのではなく、必ず全員が見えるチャットに、文字で残すようにする」など)
【よくある失敗と、その乗り越え方】
失敗例
「色々な意見が出すぎて、収拾がつかなくなり、議論が空中分解しそうになった…」
乗り越え方
大丈夫。最初から、完璧で、立派な憲法なんて作る必要はないよ。
「ありがとう、本当に、たくさんの大事な意見が出たね。では、まず、この一つだけを、来月まで、お試しでやってみないか?」。
そう提案してみよう。
大切なのは、全員で「何かを、自分たちで決めた」という、その最初の、小さな成功体験を、チームで共有することなのだから。
ステップ2-2。課題から「人格」を奪う『犯人探しの禁止』
これは、墨子の「非攻」の思想を、あなたのチームの、とても具体的な文化にしていくための技術だ。
チームで、何か良くない問題が発生した時。私たちの脳は、ほとんど本能的に、「一体、誰のせいなんだ?」という「犯人」を探し始めてしまうんだ。
でも、この習慣は、個人を責め、追い詰め、チームの心理的安全性を、根こそぎ破壊してしまう、最も避けるべきものだよ。
『犯人探しの禁止』とは、問題やミスが発生した際に、その原因を「個人の資質や責任」に求めることを、きっぱりとやめる。
そして、その代わりに、「なぜ、この問題が、誰がやっても起きてしまうような『仕組み』になっているのか?」という問いに、チームの思考を転換させる技術だ。
具体的な実践方法。問題解決会議での、たった一つの新しいルール
主語を「人」から「モノ」へ
今後、問題解決の会議の場では、「なぜ、〇〇さんは、このミスをしたのか?」という、個人を主語にした発言を、ルールとして禁止する。
その代わりに、「なぜ、この『ミス』は、発生したのか?」と、常に、課題そのものを主語にして話すことを、全員で徹底するんだ。
アウトプットを「再発防止策」に限定
議論のゴールを、誰かの反省文や、始末書の作成なんかに、絶対しない。その会議のアウトプットは、ただ一つ。
「この問題を、二度と起こさないための、具体的な、誰にでもできるアクションプラン」
これだけにするんだ。
【よくある失敗と、その乗り越え方】
失敗例
「原因究明が、なんだか甘くなってしまって。個人の責任感が、薄れてしまったような気がする…」
乗り越え方
「個人の人格を、みんなの前で攻撃すること」と、「その人が担うべき、役割としての責任を、明確にすること」は、全く、別の話だよ。
ミスを「仕組み」の問題として、みんなで捉え直した上で、「では、この仕組みを改善する責任者は、誰が担当しようか?」と、未来に向けた、前向きな責任を、改めて明確に分担することが、とても重要になるんだ。
【この章のポイント】
セパレート思考: リーダーの、どうしようもない内面の「感情」と、コントロールできる外側の「行動」を、意識的に切り離してみる。
基準の言語化: リーダーの頭の中にある「評価のモノサシ」を、勇気を出してチームに公開し、対話のきっかけにする。
チーム憲法の制定: リーダーが決めるのではなく、チーム全員で、自分たちの「公平のルール」を、共に創り上げてみる。
犯人探しの禁止: 問題の原因を「個人」に求める、不毛な習慣をやめ、「仕組み」の改善に、チームのエネルギーを集中させる。
墨子の思想の弱点とは?墨家が歴史から消えた理由からの教訓
ここまで、墨子の思想がいかに現代の私たちにとって、強力で、優しい武器となるかをお話ししてきたね。
でも、どんな物事にも、必ず光と影があるんだ。
この章では、多くの解説記事が、あまり触れたがらない部分。墨子の思想が、その内に抱えていた「弱点」や「限界」について、あえて、じっくりと踏み込んでみたいと思うんだ。
なぜなら、その歴史的な失敗の中にこそ、現代を生きる私たちが、本当に学ぶべき、とても人間味あふれる、大切な教訓が隠されている。
歴史を振り返ってみると、あれほどの影響力を誇った墨家集団は、秦の始皇帝が中国を統一した後、まるで潮が引くように、急速に歴史の表舞台から姿を消していくんだ。
その理由は、もちろん一つではないよ。専門家の間でも、色々な説がある。
でも、その理由として、主にこんなことが挙げられているんだ。
あまりにもストイックで、厳格すぎる規律。それが、一般の人々には、少し受け入れられにくかったこと。
秦という、巨大な中央集権国家にとって、国家を超えるような独自の論理で動く彼らのような独立集団は、正直、ちょっと煙たい存在だったこと。
「鉅子(きょし)」と呼ばれる、一人の絶対的なカリスマリーダーに、組織が依存しすぎていたこと。そのせいで、組織としての持続可能性が、損なわれてしまった可能性。
そして、この、少しもの悲しい歴史的な事実は、現代のチームを率いる私たちリーダーに、3つのとても重い「戒め」を投げかけているんだ。
戒め1「正しさ」で、人を追い詰めていないか?(理想主義の罠)
墨家が掲げた「兼愛」や「節用」は、本当に、気高い理想だった。
でも、そのあまりにも厳格すぎる規律は、時として、ごく自然な人間の感情を押し殺し、人々を、知らず知らずのうちに疲弊させてしまったのかもしれない。
ここから、私たちは、一つ目の戒めを学ぶことができる。
あなたは、どうだろう。
自分の信じる「正しさ」や「合理性」で、いつの間にか、チームのメンバーを、追い詰めてはいないだろうか。
チームのために良かれと思って掲げた、高い、高い理想。
それが、いつの間にか、メンバーの首を真綿で締めるように、息苦しくさせて、パフォーマンスを、かえって低下させている。
そんな、あまりにも皮肉な事態は、責任感の強い、真面目なリーダーほど陥りやすい、本当に厄介な罠だよ。
リーダーに必要なのは、いつでも絶対的な「正しさ」を、旗のように振りかざすことだけじゃ、ないのかもしれない。
時には、非合理的に見えるメンバーの「感情」そのものに、ただ、静かに寄り添い、理解しようと努める、その温かい姿勢こそが、バラバラになりそうなチームの信頼を、最後の最後で繋ぎ止めることがあるんだ。
墨家は、この、人間のどうしようもない「弱さ」への、優しい共感という視点が、もしかしたら、ほんの少しだけ、欠けていたのかもしれないね。
だから、どうか。
あなたのチームに、完璧な公平さや、完全な合理性なんてものを、求めないで。
私たちが目指すべきは、完璧で、一点の曇りもない理想郷なんかじゃなく、不完全で、どうしようもない人間たちが、それでも「みんなで、公平であろう」と、互いに支え合い、努力し続けられる、そんな場所なのだから。
戒め2。「無駄の削減」が、心の潤いを奪っていないか?(合理主義の副作用)
墨子の「節用」という、無駄を徹底的に排除する思想。
これも、現代のビジネスにおいて、ものすごく重要な考え方だね。
でも、これもまた、行き過ぎてしまうと、思わぬ副作用を生むことがあるんだ。
ここから浮かび上がってくるのが、二つ目の戒めだよ。
あなたは、どうだろう。
日々の業務の効率を追求するあまり、チームから「遊び」や「余白」といったものを、根こそぎ奪ってはいないだろうか。
目的のない、くだらない雑談。
一見すると、ものすごく無駄に見える、試行錯誤の時間。
すぐには成果に繋がらない、寄り道の学び。
それらを「非効率だ!」の一言で、バッサリと切り捨ててしまうことは、短期的には、とても正しい判断に見える。
でも、長期的に見れば、それは、チームの新しいアイデアが生まれる、ふかふかの土壌や、メンバー同士の、理屈じゃない人間的な繋がりといった、いわば「心の潤い」そのものを、カラカラに枯渇させてしまう行為かもしれないんだ。
組織における本当の生産性は、単なる「効率(Efficiency)」という、数字だけのものさしでは、決して測れないよ。
メンバーが、少しでも前向きな、明るい気持ちで仕事に取り組めているか、という「効果(Effectiveness)」の視点が、絶対に不可欠なんだ。
一見、無駄に見える廊下での立ち話が、実はチームの心理的安全性を高め、結果的に、全体の「効果」を、ぐんと最大化させる。
…なんてことは、私たちの日常でも、本当によくあることだよね。
リーダーの役割は、無駄をなくすこと、だけではないよ。
時には、あえて「無駄」を許容し、チームに、健全で、あたたかい「余白」をデザインすること。それもまた、同じくらい、大切なことなんだ。
戒め3。「自分がいなければ回らないチーム」になっていないか?(カリスマへの依存)
墨家は、「鉅子」と呼ばれる、一人の、絶対的なカリスマリーダーによって、率いられていた。その、ものすごく強力なリーダーシップが、組織をぐいぐいと牽引した一方で、そのリーダーがいなくなった後の、組織の脆さにも、繋がったと言われているんだ。
そして、これが三つ目の戒めだ。
あなたのチームは、あなたがいなければ、何も決まらない、何も進まないチームに、なっていませんか?
メンバーから「頼りになります!」と慕われ、自分がすべてを把握し、鮮やかに采配を振るっている状態。
それは、リーダーにとって、ある種の、抗いがたい快感であり、自己肯定感の源泉かもしれない。
でも、その状態は、メンバー一人ひとりが、自分で考え、自分で立ち上がる、その主体性と、かけがえのない成長の機会を奪っているんだ。
そして、リーダーであるあなた自身を、終わりのないプレッシャーで、じわじわと疲弊させ、最終的には、チームを崩壊へと導く、とっても危険な兆候だと思うんだよ。
多くのリーダーは、「チームを、自分が、うまく率いること」が、ゴールだと考えている。
でも、真のリーダーシップのゴールは、きっと、その、もう一つ向こう側にある。
それは、
「自分が、いつ、このチームを去ることになっても、このチームが、自分たち自身の力で、自律的に回り続ける。そんな、しなやかで強い、仕組みと文化を創り上げること」
あなたが今日すべき、最も重要な仕事は、目の前の問題を、誰よりも早く、鮮やかに解決すること、かもしれない。
ですが、それ以上に重要なのは、もしかしたら、
「この仕事を、どうすれば、メンバー自身が、解決できるようになるだろうか?」
と、問い続けること、なのかもしれない。
リーダーの仕事は、いつまでも、答えを与え続けることじゃない。
メンバーが、自ら答えを見つけられるように、問いを立て、環境を整え、そして、最後は、静かに、信じて、見守ること。
…なのかもしれないね。
【この章のポイント】
理想主義の罠: リーダーの「正しさ」は、時にメンバーを追い詰める諸刃の剣。完璧ではなく、「努力し続ける姿勢」そのものが、尊い。
合理主義の副作用: 効率を追求するあまり、「遊び」や「余白」をなくしてしまうと、チームの「心の潤い」や「創造性」が失われていく。
カリスマへの依存: リーダーが一人で抱え込むチームは、実はとても脆い。真のゴールは、自分が居なくても、チームが自律的に回る仕組みと文化を創ることにある。
まとめ。完璧な公平はない。だが、墨子の思想を指針にその追求はできる
最後に、この記事でお話ししてきたことを、もう一度だけ振り返ってみたいと思うよ。
チームの不公平感という、リーダーにとって、とても根深い悩み。
それは、小手先のテクニックなんかじゃなく、私たちの「思考の土台」そのものを、一度、新しく作り直すことでしか、本当の意味では乗り越えられない。そんな話から、始まったね。
そして、そのための新しい土台として、墨子の思想を扱った。
彼の思想が、その真ん中にどっしりと据えている「全体の利益」という視点と、どこまでも現実を見据えた「合理性」。
それこそが、多様化した、正解のない現代のチーム運営において、私たちがいつでも立ち返ることができる、揺るぎない判断基準になる、ということを確認したよ。
具体的な4つの思考技術を紹介した。
- 『セパレート思考』で、どうしようもない自分の感情と、やるべき行動を、そっと切り離し、
- 『基準の言語化』で、評価のモノサシを、勇気を出してチームに示し、
- 『チーム憲法の制定』で、全員が納得するルールを、みんなで共に創り上げ、
- 『犯人探しの禁止』で、失敗を恐れず、そこから学び合える文化を、じっくりと育む。
そして最後に、墨子の思想が持つ、まばゆい光と、その裏側にあった深い影の両面を見ることで、私たちは、「完璧なリーダー」になんてならなくていいんだ、と。
「学び続ける、不完全なリーダー」であり続けることこそが、何より大切なんだ、ということを、改めて心に刻んだんだ。
…この記事を、ここまで、本当に真剣に読んでくださったあなたは、きっと、ものすごく真面目で、責任感の強いリーダーなのだろうね。
だからこそ、誰にも言えず、自分を責め、完璧な公平さを求めて、一人で、ずっと苦しんできたのかもしれない。
でも、もう、その必要はないよ。
もし、墨子の思想が、時代を超えて、現代の私たちに教えてくれる、最も重要で、そして、最も優しいことがあるとすれば。
それは、「完璧な公平など、この世には存在しない」という、ある種の、潔い諦めだ。
そして、それと同時に、「だからこそ、私たちは、不完全な人間として、それでも公平であろうと、問い続け、努力し続けること、その姿勢そのものに、価値があるのだ」という、ものすごく力強い、あたたかい希望なんだと思う。
最後に、もしあなたが実践しようとしても、組織の厚い壁に阻まれ、誰にも理解されず、心が折れそうになってしまったなら。
その時は、どうかこれだけは思い出して。
結果がどうであれ、チームを少しでも良くしようと、学び、新しい思考を試し、悩み、行動しようとした、”その事実自体に”、絶大な価値があるということを。
その真摯な姿勢は、たとえすぐには評価されなくとも、必ず誰かが見ていてくれるはずだよ。
あなたのチームにとっての「全体の利益」とは、一体、何だろうか?
明日、あなたが、あなたのチームの公平性のためにできる、ほんの、ほんの小さな一歩とは、何だろうか?
【この記事のポイント】
チームの不公平感は、リーダーの「思考の土台」を更新することで、乗り越えることができる。
墨子の思想は、「全体の利益」と「合理性」を軸とした、現代にこそ有効な心の指針を与えてくれる。
完璧な公平なんて、存在しない。でも、「公平であろうと努力し続ける姿勢」こそが、リーダーとチームの、かけがえのない信頼を築いていく。
だから、大丈夫。まずは、どんなに小さなことでもいい。あなたから、行動を始めてみよう。
このサイトでは、こうした古今東西の知恵を手がかりに、私たちが日々をより幸せに、そして豊かに生きていくための「考え方」や「物事の捉え方」を探求しているよ。
もし、興味があれば、他の記事も覗いてみてくれると嬉しいな。
きっと、あなたの心の指針となる、新しい発見があるはずだよ。
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