他人の言動やSNSに、ふと心がざわついて、なんだか疲れてしまうこと、あるんじゃないかな。
この記事はね、そんな外部の出来事に振り回されない「心の穏やかさ」を手に入れるためのものだよ。
まず「世界は、どういう仕組みで動いているのか」という、ある哲学者の“地図”を紐解いていこうか。
それを応用した6つの具体的な「思考の型」として、物事を空から眺める方法や、感情を客観視する技術なんかを、一つひとつ丁寧に紹介していくね。
どうぞ、あなたの心に合うものを、探しに来てほしいな。
スピノザの思想とは?世界の「仕組み」を知り、心を整える技術【要点解説】
なぜ、情報に溢れた現代で「スピノザの思想」が武器になるのか
ふとスマートフォンの画面を覗けば、誰かの輝かしい日常が目に飛び込んでくる。次から次へと流れてくる情報に、知らず知らずのうちに心がさわさわと波立ってしまう。
私たちは、どうやらそういう時代に生きているみたいだね。
こういう心の揺れの正体は、もしかすると、物事を判断する基準を、自分の「外側」に置きすぎていることにあるのかもしれない。
他人の評価。
世の中の出来事。
自分ではどうにもならないものに、心の天気がくるくると左右されてしまうんだ。
晴れたと思ったら、すぐにまた土砂降りになる。
それでは、心が疲れてしまうのも、無理はない話だよ。
でも、もし、自分の「内側」に、どんな嵐にも影響されない、静かで頑丈な土台を築けるとしたら。
そのための知恵が、今から300年以上も昔に生きた哲学者、スピノザの思想の中に、そっと眠っているんだ。これは、難しい学問というよりは、心を整えるための、先人の知恵が詰まった「ツールボックス」のようなものだと、私は考えているよ。
彼の思想は、なんだか「心のノイズキャンセリング機能」みたいに働いてくれるんだ。外部のざわざわとした雑音に惑わされず、本当に大切なものを見極めるための、心の静けさを取り戻す手助けをしてくれるんだね。
現代という環境が、私たちの心を過剰に刺激して、少し疲れやすくさせている。
きっと、ただそれだけのこと。
だからこそ、私たちには今、自分の心を守るための、確かな「技術」が必要なんだ。
この記事であなたが手にする、心を穏やかに保つ6つの「思考の型」
この記事で、単なる知識の解説をするつもりはないんだ。
あなたが明日から、いえ、この文章を読みながらでもすぐに試せるような、具体的で実践的な「思考の型」を、全部で6つ。
あなたにお渡しすることを、ここで約束するよ。
先に少しだけ、その全体像をお見せしておこうかな。
- 思考の型①【視野拡大】:目の前の問題で頭がいっぱいになった時に
- 思考の型②【時間拡大】:対人関係の恐怖や過去の後悔に囚われた時に
- 思考の型③【現実受容】:変えられない現実に、心が抵抗してしまう時に
- 思考の型④【感情分析】:理由のわからない不安や怒りに飲み込まれそうな時に
- 思考の型⑤【人間関係】:理解できない他者の言動に、心が消耗する時に
- 思考の型⑥【自己理解】:ネガティブな感情を持つ、自分自身を責めてしまう時に
これらは、あなたの世界の見え方を変えるための「6枚のレンズ」のようなものだね。
この記事を読むことは、あなただけの“心のメガネ”に、新しいレンズを一枚ずつ、そっと加えていく作業に似ているかもしれない。
専門用語を覚える必要はないよ。
すべて、あなたの日常の言葉と感覚で使えるように、私が一つひとつ丁寧に翻訳してお伝えするから。
どのレンズが、今のあなたの心に一番しっくりくるか。 お店でメガネを試着するような、そんな気楽な気持ちで、どうぞ読み進めてみて。
【この章のポイント】
現代の心の疲れは、判断基準を「外側」に置いていることが一因かもしれない。
スピノザの思想は、心の「内側」に揺がない土台を築くための実践的な技術である。
この記事では、日常で使える6つの具体的な「思考の型(レンズ)」を手に入れることができる。
【スピノザの思想】の全体像。世界を「一枚の地図」として理解する
地図の全景「神即自然」という、すべては一つながりである世界観
少し、一緒に考えてみないかな。
あなたは、自分と、自分の外側の世界との間に、はっきりとした「境界線」があると思うかな。
ええ、きっと多くの人が、無意識に「ある」と答えるはずだね。自分は自分、人は人、そして目の前の机はただの物。私たちは、世界をそうやって切り分けて、パーツの集まりみたいに捉えているよね。
でも、スピノザの見方は、少し違ったんだ。
彼の答えは、たぶん「いいえ」だね。
彼にとって、この宇宙に存在するすべて――あなたも、私も、道端で風に揺れる草も、遥か彼方で光る星も――は、分け隔てることのできない、たった一つの「巨大な生命体」のようなもの。そして、その全体こそが「神」であり、また「自然」でもある、と考えたんだ。
この感覚を掴むのに、よく「海と波」のたとえが使われるね。
私たちは一人ひとり、まるで独立した「波」のように見えるよね。形も大きさも違うし、現れては消えていく。
けれど、その本質は、みんな同じ一つの「海」という水からできているんだ。
波が海と別々には存在できないように、私たちもまた、「自然」という巨大なシステムから、一時的に今の姿として、ぽこっと現れているにすぎないんだ。
これが、スピノザの世界観の、大きな大きな出発点だよ。
この視点に立ってみると、不思議と、心の孤立感がすぅっと和らぐのを感じないかな。
自分だけがこの世界にぽつんと放り出されているのではなくて、もともと大きな流れの一部なんだな、とね。
そうそう、言い忘れるところだった。
スピノザが言う「神」というのは、天の上から私たちをじっと眺めている、誰かさんのことではないんだ。もし現代の言葉にするなら、この世界全体を動かしている「OS(オペレーティングシステム)」そのもの、くらいに考えておくと、誤解がないかもしれないね。
地図の法則①「決定論」という、すべての出来事を繋ぐ「因果の線」
では、この巨大な地図の上で、物事はどんなふうに動いているんだろう。
例えば、そうですね…あなたが今日の昼食に、何を選んだか。それは、あなたの「自由な意志」だけで決めたことだと思うかな。
スピノザなら、きっとこう言うだろう。
「それもまた、数えきれないほどの原因によって、そうなるべくしてそうなったんですよ」と。
昨夜の食事の内容、今朝の体調、たまたまSNSで目にした美味しそうな写真、あるいは、子どもの頃の食卓の記憶。そうした、もう数えきれないほどの細い細い糸、つまり原因と結果の繋がり(因果の線)が、そのたった一つの選択へと、静かに繋がっている、というんだ。
これは、なんだか「ドミノ倒し」に似ているね。
今、目の前でぱたんと倒れたドミノは、その一つ前のドミノによって倒される以外の選択肢は、なかった。
私たちの人生で起こる出来事も、これとよく似ていて、膨大な過去からのドミノ倒しの、必然的な結果として、今ここにある、と彼は考えるんだ。
スピノザの決定論は、未来であなたがとる行動や、その行動の結果さえもが、過去からの膨大な原因によって必然的に起きると捉える。
そのため、私たちの「意志」は、真の意味で無から何かを選択する不思議な力ではなく、ある原因に規定された結果にすぎないんだ。
この考え方の、私が個人的に一番いいな、と思うところは、「“もしも、あの時…”という、過去への後悔の重荷を、そっと下ろせること」だね。
変えられない過去と格闘するそのエネルギーを、未来を作るための、次の一手に使うことができるようになる。そう思わないかな。
地図の法則②「コナトゥス」という、あなたを動かす“内なる力”
さて、地図の全体像と、そこに流れるルールが、なんとなく見えてきた。
では、その地図の上にいる「あなた」自身は、一体どんな原理で動いているんだろうか。
お腹が空けば何かを食べたくなり、危険を感じれば、とっさに身を守ろうとする。
この、私たち人間を含むすべての生き物が持っている、根源的な力。
これをスピノザは「コナトゥス」と呼んだんだ。
これは、ひと言でいえば、「自分という存在を、できるだけ長く、自分らしく保ち続けようとする力」のこと。
鉢植えの植物が、誰に教えられるでもなく、太陽の光を求めて健気に葉を伸ばしていく、あの感じ。あれが、コナトゥスの最も分かりやすい姿かもしれないね。
私たちもあの植物のように、意識するとしないとに関わらず、自分の生命力を高めるもの(スピノザはこれを“喜び”と呼ぶ)を求め、自分の生命力を損なうもの(“悲しみ”)から、なんとか遠ざかろうとしているんだ。
私たちの食欲や睡眠欲。
誰かに認められたいという欲求。
時には、嫉妬や怒りといった、自分でも持て余してしまうような感情でさえも。
その根っこを辿っていくと、このコナトゥスという力が、形を変えて顔を出しているにすぎないんだよ。
コナトゥスは、いわばあなたの「生命力の基本設定」。
だから、あなたの中に湧き上がる様々な欲求を、「意志が弱いからだ」とか「自分の性格が悪いからだ」なんて、むやみに責める必要はないんだ。
それは、あなたが今この瞬間も、懸命に生きようとしている、何よりの証拠なのだから
【要点まとめ】スピノザの思想とは「一枚の地図」と「二つの法則」でできている
ふぅ。ここまで、少し頭を使う話が続いたね。一度、ここで息を整えようか。
スピノザの思想とは、この世界は
- 「すべてが繋がった一枚の地図(神即自然)」であり
- そこでは「すべての出来事が原因と結果の法則(決定論)」に従っており
- そして私たち自身は「自分であろうとする内なる力(コナトゥス)」によって動かされている
という壮大な世界観のことなんだ。
この関係性を、もう少し視覚的に表してみようか。
この思想の“骨格”を、あなたの頭の中にそっとインストールする。それが、この章でお話ししたかったことだよ。
さて。この壮大な地図を手にした私たちは、じゃあ、日々の小さな悩みに、どう向き合っていけば良いんだろう。
次の章からは、いよいよこの地図を、あなたの日常で使える、ささやかな“道具”へと変えていくことにしようか。
【この章のポイント】
世界は、あなたも含めてすべてが繋がった一つのシステム(神即自然)である。
すべての出来事は、原因と結果の法則によって必然的に起きている(決定論)。
私たちは皆、「自分であり続けよう」とする内なる力(コナトゥス)によって動かされている。
スピノザの思想は「生き様」そのもの。なぜ彼は孤高の中で幸福だったのか
その生涯に学ぶ、外部の評価に依存しない「本当の強さ」
もし、あなたが信じる「正しいこと」が、あなたの属する社会のすべてから、きっぱりと否定されたとしたら。
その時、あなたは、その信念を静かに貫き通すことができるだろうか。
スピノザは、まさにそういう人生を、淡々と歩んだ人だったね。
彼はもともと、裕福なユダヤ人の商家に生まれ、その将来を嘱望されていたんだ。けれど、当時の常識を根底から覆すような考えを探求したために、まだ23歳という若さで、生まれ育った共同体から追放され、家族からも縁を切られてしまうんだ。
後年、彼の才能を高く評価したある大学が、哲学教授として彼を迎えたい、と申し出たことがあった。それは、当時の学者にとって、最高の栄誉の一つだね。
しかし彼は、「思想の自由が、少しでも脅かされるのであれば」と、その輝かしい誘いを、静かに断った。そして、彼が生計を立てるために選んだのは、レンズを磨くという、本当に地道で、慎ましい仕事だったんだ。
なぜ、彼はそこまでして、自分の思索の世界を守り抜くことができたのか。
その根っこには、
「本当の幸福というものは、富や名声、人間関係といった、自分ではどうにもならない“外部”のものではなく、自分の“内側”で、世界の真理を探究することによってのみ、静かに得られるのだ」
という、骨の髄まで染み込んだような、確信があったからなんだろうね。
彼の生き方は、なんだか、現代を生きる私たちに、静かに、でも力強く語りかけてくるようだ。
「他人の評価や、SNSの“いいね”の数に、あなたの心の価値を、明け渡す必要なんてないんですよ」とね。
それは、意地を張るような頑固さとは、少し違う。
自分にとって、本当に、本当に大切なものが何かを、誰よりも深く知っていた。彼の強さは、そういう種類の「誠実さ」だったのかもしれないな、と私は思うよ。
主著『エチカ』とは?感情の支配から自由になるための「幸福の設計図」
では、スピノザが生涯をかけて探求した、その「幸福への道筋」は、一体どこに記されているんだろうか。
それが、彼の主著である『エチカ』だね。
この本は、普通にイメージされる哲学書とは、ずいぶん変わっている。
まるで数学の教科書みたいに、「定義」に始まり、「公理」「定理の証明」といった形で、人間がいかにして幸福にたどりけるのかを、一分の隙もない論理で示そうとした、本当にユニークな書物なんだ。
なぜ彼が、そんな一見すると奇妙な形式を選んだのか。
それは、怒りや悲しみといった人間の感情を、個人的な好き嫌いや道徳的な偏見を一切挟まず、まるで図形を分析するみたいに、どこまでも客観的に、公平に分析したかったからなんだ。
難しそうに聞こえるかな。でも、その目的は、とてもシンプルなんだ。
それは、
人間が、知らず知らずのうちに陥っている「感情の奴隷」状態から抜け出して、理性に基づいた「真の自由と幸福」に到達すること。
スピノザは、まるで腕のいい外科医が人体を冷静に分析するように、人間の心を解き明かそうとした。
- 「なぜ私たちは腹を立てるのか」
- 「なぜ悲しみに暮れるのか」
そうした感情のメカニズム、その“仕組み”を理解することこそが、感情を乗りこなすための、何よりの第一歩だと考えたんだね。
この『エチカ』は、いわば「心の“解剖学”の教科書」であり、幸福にたどり着くための、壮大な「設計図」と言えるだろう。
幸いなことに、私たちはこの設計図を隅から隅まで読み解かなくても、その恩恵にあずかることができる。
この後で紹介する6つの「思考の型」は、この壮大な設計図の中から、私たちが日常で使いやすいように、そのエッセンスだけを、そっと取り出してきたものなのだからね。
【この章のポイント】
スピノザは、外部の評価に依存しない「内なる幸福」を、自らの生き様で体現した。
彼の強さは、自分にとって本当に大切なものを知る「誠実さ」から来ていた。
主著『エチカ』は、感情の仕組みを解き明かし、幸福への道筋を示した「設計図」である。
【実践編】スピノザの思想を、日常で使える6つの「思考の型」へ
思考の型①【視野拡大】心が狭くなったら、意識を「空の上」から自分を眺める
さて、あなたは広大な地図の一部である、という話をしたね。
この思考の型は、その地図を上空からふわりと眺めるための、いわば心の「ドローン」のようなものだよ。
仕事での小さなミス。誰かとの、ちょっとしたいざこざ。
私たちは悩んでいる時、無意識にその問題と自分をべったりとくっつけてしまい、視野がぐっと狭くなっているんだ。
まるで、大きな絵画に顔を近づけすぎて、絵の具のひび割れしか見えなくなっているような、そんな感じ。
この思考の型は、その絵から少しだけ距離をとって、ああ、全体はこういう絵だったのか、と眺めるための技術だね。
やり方は、とても簡単だよ。
まず、静かに目を閉じ、ひとつ、ゆっくりと息を吐く。
自分の意識が、体からふわりと浮かび上がって、部屋の天井をすり抜け、青い空へ、そしてしんとした宇宙空間へと、静かに上昇していく様子を、ただイメージするんだ。
宇宙から、青く美しい地球を眺める。その表面にある日本の、あなたの街の、そして今、悩みで頭がいっぱいになっている小さな自分を、静かに見下ろす。
そして心の中で、「この広大な世界の中で起きている、ほんの一つの出来事なのだな」と、そっとつぶやいてみてほしい。
例えば、満員電車で誰かに足を踏まれて、カチン、ときた時。
あるいは、理不尽な言葉に、心がきゅっと縮こまった時。
この心のドローンを飛ばすだけで、感情の渦に完全に飲み込まれる前に、自分との間に、ふっと距離を作ることができるんだ。
これは、問題から目を背けるための現実逃避とは、少し違うよ。
あくまで、感情の渦からすっと抜け出して、冷静さを取り戻すための、ささやかな応急処置だね。
冷静になった後でなら、私たちはきっと、より良い次の一手を考えることができるはずだから。
思考の型②【時間拡大】悩みの大きさを「5000年の寿命」で測り直してみる
私たちの悩みの多くは、「人生は一度きりで、短い」という、いつの間にか心に染み付いた時間の物差しによって、その深刻さを増しているのかもしれない。
この思考の型は、その物差しを、意図的に、ぐーっと引き伸ばしてみる、少しユニークな試みだよ。
スピノザは、物事を「永遠の相のもとに」見つめることを大切にしたんだ。
その壮大な視点を、私たちが少しでも体感できるように翻訳したのが、この「5000年の寿命」で考えてみる、という方法なんだね。
これも、目を閉じて、少し想像をたくましくするだけだよ。
「もうダメだ」と感じるような壁や、忘れられない過去の痛みに直面したら、まず心を落ち着ける。
あなたの寿命が、実は5000年ぐらいあると仮定してみてほしい。
今の自分は、その中のほんの駆け出しの若造なのだ、とね。
その視点から、今の悩みを眺めてみる。
「さて、500年後の自分は、この出来事をどんなふうに思い出すだろうか」
「残りの4000年以上の人生を思えば、この一年間の苦しみは、どんな意味を持つだろうか」
「何百年たっても人間の本質ってかわらないんだな~」
と、未来の自分から、今の自分へ、静かに問いかけてみたり、「今、自分は1362歳」みたいに仮定してみる。
大きな仕事で、もう取り返しがつかない、と思ってしまうほどの失敗をした。
生涯を共にすると誓った人との、つらい別れが訪れた。
そういう、すぐに解決できない、時間という薬が必要な悩みに対して、この思考法は、心に圧倒的な「余白」を生み出してくれるね。
もちろん、これも現実から逃げるための道具ではない。
短期的なパニックから抜け出して、より長期的で、大局的な判断を下すための、精神的な「滑走路」を作る作業。そんなふうに、捉えてみてほしい。
思考の型③【現実受容】後悔や怒りは「必然のパズル」として、一度受け入れてみる
「すべての出来事は、無数の原因が組み合わさった、必然的な結果である」という、決定論の話をしたね。
この思考の型は、その少し冷徹にも聞こえる法則を、心の平穏を取り戻すために、積極的に使ってみる方法だよ。
私たちの苦しみの多くは、
「なぜ、あんなことをしてしまったんだろう」
「もしも、あの時に戻れたなら…」
という、もう変えることのできない過去や現実への「抵抗」から生まれている。
この思考の型は、その無駄な抵抗に費やしてしまっている、大切な心のエネルギーを、解放するためのものなんだ。
後悔や怒りで、心がどうにもならなくなったら、試してみてほしい。
まず、紙とペンを用意する。もちろん、頭の中だけでも大丈夫だよ。
その「好ましくない結果」に至った原因として考えられることを、自分のこと、相手のこと、その時の環境や体調など、本当に些細なことでもいいので、3つ以上、ぽつりぽつりと書き出してみる。
書き出した原因のリストを、ただ、ぼんやりと眺める。そして、「これだけのピースが揃っていたのなら、このパズルが完成するのも、ある意味、仕方のないことだったのかもしれないな」と、一度、静かに事実を認めてみるんだ。
試験に落ちてしまった。大切なプレゼンで、頭が真っ白になった。
そういう、結果がもう確定してしまった出来事に対して、この思考法は「今いる場所」を、次の一手を打つための、唯一のスタート地点として、冷静に受け入れる手助けをしてくれるんだ。
これは、諦めとは、少し違うんだよ。
むしろ、もう勝ち目のない戦い(過去との戦いだね)をそっとやめて、
これから勝てる可能性のある戦い(未来の創造だ)に集中するための、極めて戦略的な「心の撤退」。
私はそう捉えているよ。
思考の型④【感情分析】心の嵐は「天気予報」のように客観的に実況する
スピノザは、感情を、オカルトや何か得体の知れないものではなく、分析可能な、ごく自然な現象として捉えたね。
この思考の型は、その精神を受け継いで、あなた自身が気象予報士になる、いわば「感情の天気予報」だよ。
私たちは、怒りや不安といった強い感情が、わっと湧き上がってくると、すぐに
「私=怒っている!」
というように、感情と自分を一体化させてしまう。そうなってしまうと、もう感情の嵐に翻弄されるしかないんだ。
この技術は、そのべったりとした一体化を防いで、「自分」と「感情」との間に、意識的な「間」を作り出すためのものだ。
やり方は、心の中で、ただ実況中継をするだけだよ。
カッとしたり、急に胸がざわざわしたりしたら、すかさず心の中で「実況」を開始する。
「えー、ただいま、私の心の上空に、『怒り』という積乱雲が、急速に発達中です」
「どうやら、正体不明の『不安』の霧が、あたりに立ち込めてきた模様です」
続けて、その原因を、天気予報の解説者みたいに、冷静に分析してみる。
「これは、先ほどの上司の言葉という湿った空気が、昨夜からの寝不足という低気圧に流れ込んだ影響とみられます」
そして、その感情を無理に消そうとせずに、「なるほど。この嵐が通り過ぎるまで、安全な場所からしばらく観察することにしよう」と、静観の姿勢をとるんだ。
パートナーとの口論が、まさに始まろうとしている時。
SNSで、心ないコメントが目に飛び込んできてしまった時。
この、ほんの僅かなワンクッションを置くだけで、あとで後悔するような衝動的な言葉が、喉元まで出かかるのを、ぐっとこらえる「間」が生まれるんだね。
もちろん、目的は感情を「無くす」ことではないよ。
感情は、あなたに何かを知らせるための、とても大切なサインだ。そのサインを、パニックにならずに、冷静に受け取るための訓練。
それが、この思考の型なんだ。
思考の型⑤【人間関係】他者は「違う地図を持つ旅人」として、その法則を尊重する
あなたにコナトゥス(内なる力)があるように、当然、目の前の相手にも、その人なりのコナトゥスがあるね。
そして、その人が今、そういう言動をするのは、その人なりの過去からの、長い長い因果の線によるものだ。
この思考の型は、その当たり前だけれど、つい忘れがちな前提に、静かに立ち返るためのものだよ。
私たちは、つい、
「どうして、私の気持ちを分かってくれないの」
「普通は、こうするべきでしょう」
と、自分の持っている地図を、相手に押し付けてしまう。そして、相手が自分の地図通りに歩いてくれないことに苛立ち、心がすり減っていくんだ。
この思考の型は、理解できない他者の言動を、自分への個人的な攻撃としてではなく、その人独自のルール(地図)と行動原理に従った、ある意味で「自然な振る舞い」として、静かに観察してみる視点だね。
相手の言動に、心が消耗してしまったら、試してみてほしい。
まず、「なぜ“私に”こんなことをするんだ」という問いを、「この人を、このように動かしている“法則(プログラム)”は、一体何だろう?」という問いに、そっと切り替えてみる。
相手の言動の裏にあるかもしれない「恐れ」や「欲求」「価値観」を、断定はせずに、あくまで「そうかもしれないな」と推測してみるんだ。
「この人は、もしかすると、自分の間違いを認めることを、極端に恐れる法則で動いているのかもしれないな」というようにね。
その上で、相手を変えようとするのではなく、「この法則で動く相手に対して、自分が最も消耗せず、穏やかでいられる関わり方は、何か?」という、自分のための戦略を、静かに考えるんだ。
何度言っても、行動が変わらない部下や上司、夫や妻。
どうしても、価値観が合わないと感じる友人。
この視点に立つと、彼らへの過度な期待や、個人的な怒りから解放されて、健全な心の境界線を、すっと引くことができるようになるね。
これは、相手を見下すためのものでは、決してない。
むしろ、自分と他者は「違う地図を持つ、対等な旅人なのだ」と認めるための、成熟した思考法。無用な争いを避ける、大人の知恵だと、私は思うよ。
思考の型⑥【自己理解】ネガティブな欲求は「内なるコンパスの針」として読み解く
最後に、これまで外に向けてきた視点を、あなた自身の、内側へと向けてみようか。
あなたの心の中に起こることは、良いことも、そうでないように見えることも、すべて、あなたという存在が自分を保とうとする、コナトゥスの働きだね。
この思考の型は、これまであなたが「悪いもの」「恥ずかしいもの」だと思ってきた感情や欲求の、本当の意味を、一緒に翻訳してみよう、という試みだよ。
- 嫉妬
- 怠惰
- 見栄
そうした感情が湧いてきた時、私たちはつい、「なんて自分はダメなんだろう」と、自分を責めてしまう。
でも、それらの感情は、本当に、ただの「悪者」なんだろうか。
もし、自己嫌悪に陥りそうな感情が、もくもくと湧いてきたら、こう試してみてほしい。
まず、「ダメだ、ダメだ」と心に蓋をしてしまう前に、一呼吸おいて、「その感情が、今、確かにここにある」ということを認めてあげる。
その感情に向かって、「君は、私に何を教えようとしてくれているの?」と、心の中で、静かに問いかけるんだ。
そのサインを、肯定的に翻訳してみる。ここに、いくつかの翻訳例を、置いておくね。
この思考の型は、あなたを、終わりのない自己否定の悪循環から、救い出してくれるかもしれないね。
自分の内なる声を正しく聞き取ることができれば、私たちは、より建設的な次の行動へと、自分自身を、優しく導いてあげることができるんだ。
ただし、欲求を「肯定する」ことと、欲求のままに「行動する」ことは、また別の話だ。
これは、あくまで自分の内なる声に、誠実に耳を澄ますための技術。
その声を聴いたうえで、さて、どう振る舞うか。それを決めるのが、あなたの理性の、大切な役割なんだからね。
【この章のポイント】
感情の嵐は、客観的に実況することで、飲み込まれずに乗りこなすことができる。
他者は違う地図で動いていると理解することで、無用な消耗から自分を守れる。
ネガティブな感情は、自分の本当の望みを教えてくれる内なるコンパスとして読み解ける。
【深掘りQ&A】スピノザの思想に関する「もう一歩先」の疑問に答える
Q1. 「決定論」なら、私たちの「自由意志」は全くないということ?
これは、スピノザの思想に触れた誰もが、一度は必ずぶつかる、最も重要で、最も難しい問いだね。その疑問が、あなたの心に生まれた。それは、あなたがここまで、とても真剣に考えてくださった証拠なのだと思うよ。
もし、「自由意志」という言葉を、「何ものにも縛られず、全くの無から、何かを欲したり選択したりする、不思議な力」と定義するのであれば、スピノザの答えは、おそらく「ノー」だろう。
けれど、彼はそこで話を終えなかったんだ。彼は、「自由」という言葉そのものを、全く違う角度から、じっと見つめ直したんだね。
彼に言わせれば、
自分を動かしている原因(法則)を知らないまま、ただその場の衝動や、外部からの刺激に、反射的に突き動かされている状態こそが、最も「不自由(奴隷)」な状態なんだ。
そして、その逆。
世界の法則を、自分の理性で正しく理解し、その法則に沿って、自らの進むべき道を、はっきりと選択できる状態こそが、「真の自由」だと、彼は考えたんだ。
少し、「川下りの舟」を想像してみてほしい。
舟は、川の流れ(これは決定論のようなものだね)そのものに、逆らうことはできない。
けれど、流れの速さや、どこに危ない岩が隠れているかといった、川の性質を熟知した舟乗りは、巧みな舵さばきで危険を避け、最も安全で、効率的なルートを、自分で選んで進むことができるよね。
何も知らないまま舟に乗せられて、ただ為す術もなく流されていくしかない人とでは、まるで違う。
この「舵さばきの技術」こそが、スピノザの言う理性であり、彼が考えた「自由」なんだ。
与えられた状況下で、どんな行動をするかはその人の「自由」なんだよ。
だから、彼の思想は、私たちから力を奪う、無気力なものでは決してないよ。
むしろ、「世界のルールを知れば知るほど、私たちは、より賢く、より自由に行動できるようになるんだよ」という、どこまでも能動的で、希望に満ちたメッセージとして、私には聞こえるね。
Q2. スピノザの世界では「善いこと」と「悪いこと」は、どう決まるのか
「すべてが必然的に起きるのなら、極端な話、誰かが犯した罪でさえも“そうなるべくしてなった”ことになり、善悪の区別なんて、なくなってしまうのではないか」。
うん、これもまた、当然生まれてくる、とても大切な倫理的な疑問だ。
これに対するスピノザの答えは、本当にユニークなんだよ。
まず、彼にとって「善」と「悪」は、どこか天の上から神様が決めたような、絶対的なものではなかった。それらは、あくまで「私たち人間にとって、どういう影響があるか」という、とても現実的な、相対的なものだと考えたんだ。
では、その判断基準は、何か。
それは、ここまで何度か出てきた、「コナトゥス(生きる力)」だね。
彼の定義は、驚くほどシンプルだ。
“善”とは、私たちのコナトゥス(生きる力)を増大させるもの。
つまり、私たちが「より完全な状態」へ近づく手助けとなる、「喜び」に繋がること。
“悪”とは、私たちのコナトゥス(生きる力)を減少させるもの。
つまり、私たちが「より不完全な状態」へ遠ざかる原因となる、「悲しみ」に繋がること。
例えば、「知識を得ること」は、世界をより良く理解する手助けとなり、私たちの生きる力を高める(=より完全に近づく)ので「善」。
「他者への、どろりとした憎しみ」は、何より自分自身の心を蝕み、悲しみを生んで生きる力を奪う(=より不完全に遠ざかる)ので「悪」。
彼の倫理観は、「〜してはなりません」という、外からの命令や禁止ではないんだ。
「あなたが、より良く、より喜びに満ちて生きたいと願うのであれば、こちらの道を選ぶ方が、合理的ではありませんか?」という、私たち自身の内面に、そっと向けられた、とても実践的な問いかけなんだね。
なんだか、心の「健康診断」みたいだよね。
体に良い食事と、あまり良くない食事があるように、心にも“健康に良い感情”と“不健康な感情”がある。スピノザの善悪とは、その判断基準を、そっと示してくれるものなのかもしれないね。
Q3. この思想は、どこか「冷たい人間」になってしまいそうで少し怖いのですが…
感情を客観的に分析して、物事を必然として静かに受け入れる…。
それは一見すると、他人の痛みに共感しない、どこか体温の低い人間の姿に、映ってしまうかもしれないからね。
でも、本当に、そうだろうか。
スピノザの思想が目指しているのは、「無感情」になることではなく、
「感情の“奴隷”をやめること」。
この二つは、似ているようで、全く違うんだ。
たとえば、目の前で、誰かが溺れているとしよう。
本当の優しさとは、その人に感情移入するあまり、自分も一緒に水に飛び込んで、ただパニックになってしまうことだろうか。
それとも、まずは冷静に状況を判断して、最も助かる可能性の高い方法(浮き輪を投げる、人を呼ぶなど)を、瞬時に選択することだろうか。
感情の渦に、自分自身が飲み込まれている時、私たちは、自分を救うことで手一杯になってしまい、他者のために、本当に役立つ行動をとる余裕を、失ってしまいがちだ。
スピノザの思想は、感情的な反応に振り回されることから、私たちを解放してくれる。そして、物事の本質を見つめ、他者にとって、本当に助けになることは何かを、自分の理性で考える力を与えてくれるんだ。
それは、決して「冷たさ」ではないよ。
むしろ、嵐の中でも、自分を見失わない「穏やかな“不動心”」。
そこから生まれる行動は、一見すると、とても静かに見えるかもしれない。けれど、それは、より深く、本質的な優しさに繋がる道だと、私は信じているよ。
【この章のポイント】
スピノザの言う「自由」とは、世界の法則を理解し、理性によって最善の道を選ぶ力のことである。
彼にとっての「善悪」とは、絶対的なものではなく、自らの生きる力を増やす(喜び)か、減らす(悲しみ)かという実践的な基準である。
思想が目指すのは「無感情」ではなく、感情の奴隷をやめること。それは「冷たさ」ではなく、本質的な優しさに繋がる。
まとめ スピノザの思想を、あなたの揺るがない「心の指針」に
スピノザが目指した「幸福」とは、嵐の中でも静かな「心の港」のこと
ここまで、ずいぶんと長い道のりだったね。お疲れさまでした。
私たちは、この世界が一枚の広大な地図であり、そこには静かな法則が流れていることを、一緒に見てきた。そして、その地図を読み解きながら、日々の道のりを少しでも穏やかに歩むための、6つのささやかな道具(思考の型)を、手にしたね。
では、スピノザが、その道のりのずっとずっと果てに、静かに見つめていた「幸福」とは、一体どのような景色だったんだろうか。
それは、欲しいものを手に入れた時の、胸が躍るような興奮や、一時的な快楽のことでは、なかったよ。彼が目指した幸福とは、もっと静かで、深く、そして何ものにも揺るがされないものだね。
私はそれを、「心の港」のようなものだと、そう考えている。
人生という長い航海には、必ず、予期せぬ嵐が訪れる。
人間関係の荒波、仕事の激しい風雨、あるいは、自分自身の内側から、ごうごうと吹き荒れる不安の嵐。
スピノザが目指した幸福とは、嵐が二度と来なくなること、ではないんだ。
どんな嵐の、その真っ只中にあっても、いつでも安全に帰ってくることができる、静かで穏やかな「自分だけの港」を、心の中に築くこと。
その、何ものにも侵されることのない、不動の平穏さこそが、彼の言う、最高の幸福なんだね。
今日、あなたにお伝えした6つの思考の型は、その港を築くための、ほんの最初の「石材」のようなものかもしれない。
完璧に使いこなす必要なんて、全くないよ。私だって、いまだに学ぶことばかりなのだから。
どうか、一つでもいいので。あなたの日常に、そっと持ち帰って、使ってみてほしい。
そうして、心の筋力トレーニングのように、少しずつ続けていくうちに、あなたの内側には、きっと、しなやかで頑丈な港が、ゆっくりと築かれていくはずだよ。
あなたの心が、昨日よりも少しでも、穏やかであることを、私は願っている。
もっと【スピノザの思想】を深く知りたいあなたへ贈る、最初の一冊
この記事は、あくまで、広大で奥深いスピノザの思想への、ほんの小さな「入り口」にすぎない。
もし、この思考の先に広がる景色を、もう少しだけ見てみたい、と感じてくださったなら。それは、あなたの知性が、次の探求を求めている、とても素晴らしいサイン。
この記事が、大まかな概略図だとすれば、これから紹介する本は、より詳細な等高線まで描かれた「次の旅への地図」のようなものに、なってくれるかもしれない。
『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』(國分 功一郎 著/講談社現代新書)
こんなあなたへ: 「哲学書は初めてで、少し難しそうなイメージがある」「対話形式で、分かりやすく思想の全体像を掴んでみたい」という方。
特徴: 現代日本を代表する哲学者が、スピノザの主著『エチカ』のエッセンスを、本当に平易で、魅力的な語り口で解説してくれる。
スピノザという人物の人間味や、彼の思想が持つ、今の時代における切実な意味を、楽しみながら感じ取ることができるね。
最初の一冊として、これ以上の良書はなかなかないと、私は思うよ。
読書とは、偉大な先人との、時を超えた静かな対話だ。
あなたの探求が、より豊かで、実りあるものになることを、心から応援しているよ。
【この章のポイント】
スピノザが目指した幸福とは、一時的な快楽ではなく、嵐の中でも穏やかでいられる「心の港」を築くことである。
この記事で得た思考の型は、その港を築くための実践的な道具となる。
さらなる探求を望むなら、まずは良質な入門書を手に取り、先人との対話を深めてみるのが良い。
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さて、今回は「心の指針」という切り口から、一人の哲学者の考えをご紹介しましたが、このブログでは、他にも様々な角度から、私たちがより「豊かに、幸せになる方法」を探求しているよ。もしご興味があれば、他の記事も、散歩するような気分で覗いてみてほしい。 きっと、今のあなたの心に、響く言葉が見つかるかもしれないね。