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完璧より前進|「とりあえず一歩」が大事な理由

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不思議なことに、本当に不思議なことに、大事なことほど始められない!

何もしていないわけじゃない。

調べた。本も読んだ。メモも増えた。

なのに、肝心のものだけがまだ存在していない。

この記事では、「準備」や「完璧」が持つ安心感について触れながら、「少しの前進の連続」が品質を育てる理由をたどる。

一歩。また一歩。

育つものには、少し不思議な順番がある。

なぜ「ちゃんとしたい人」ほど動けなくなるのか

「ちゃんとしたい」が行動を止める

どうでもいい用事なら、案外すんなり終わる。

返信しなくていいようなメッセージにはすぐに返事できるのに、本当に大事な企画書や文章になった途端、急に椅子から腰が離れなくなる。……おかしいよね。やる気がある方が、むしろ動けない。

 

「ちゃんとやりたい」という気持ちが、そのまま行動のブレーキになっている。

 

丁寧にやりたい。ごまかしたくない。手を抜いたものを出したくない。その気持ち自体は大事。問題はそこじゃなくて、それが「完成してから出す」という順番に縛られているところにある。

完成の基準が高ければ高いほど、出口がどんどん遠くなる。90点まで仕上げたとき、95点が見えてくる。95点になったら、98点が気になる。終点は、自分で動かし続けているようなものだよ。

「適当でいいからとりあえず出して」と言われても、素直にうなずけない。当然だと思う。それは、仕事や作品に対してちゃんと向き合っている証拠でもあるから。ただ、その向き合い方が、今は自分の足を縛っているだけで。

作る自分と評価する自分の衝突

白紙に一文打ち込む。

「……いや、この書き出しじゃちょっと弱いな」

消す。また書く。また消す。気づけば30分、手元には何も残っていない。ため息が出る。

あれは、”作ること”と”評価すること”を同時にやっているときに起きる。生まれたての0の状態に、100点の基準をそのままぶつけている。そりゃ、何も育たない。

本来、ものを作る機能と、それを評価する機能は別々の動きをする。

  • 作っているときは「とにかく出す」
  • 整えるときは「外から見直す」

この二つを同じタイミングで動かそうとすると、どちらの信号も前に進まなくなる。

書いては消す、の繰り返し。あの独特の息苦しさは、アイデアが悪いんじゃなくて、作業の順番がぶつかり合っているときの感覚だよ。

準備が終わらない本当の理由

本を読んでいる。情報を集めている。ツールを調べている。環境を整えている。

努力している感覚は確かにある。でも、現実はまだ1ミリも動いていない。

準備は必要だよ。当然。ただ、それが延々と続くとき、その準備が「現実に触れないための場所」になっていることがある。

本番に進むということは、自分の未熟さが実際に見える場所に出ていくということ。準備している間は、「本気を出せばできる」という可能性の中にいられる。傷つかなくて済む。評価されない。失敗も起きない。

……それは、安全だよ。すごく。

失敗したくない、評価されたくない、大事にしているものを傷つけたくない。

ただ、”準備中”に手に入る情報には、限りがある。どんなに下調べしても、実際にやってみて初めて見えてくることがある。泥の質感は、触れてみるまで分からないから。傷つきたくないという気持ちを認めた上で、まずやってみる。

その順番が、たぶん一番無理がない。

前進は妥協ではない

「60点でいいから出そう」

その言葉が、どうにも腑に落ちないこともある。60点って、手を抜いているってことじゃないか。中途半端なものを出すのは、むしろ相手に失礼じゃないか。

そんな風に思ってしまう。

不完全なものを出せない理由

「まだ足りない」

「もう少し直せる」

その感覚が消えないままGOサインが出ない。あの独特の抵抗感、何度経験しても慣れないよね。

不完全なものを出せない理由は、「雑にやっていると思われたくない」「この仕事を軽く扱っていると受け取られたくない」という、相手への誠実さが根っこにある。

ただ、それが「品質を先に高めてから出す」という一方向にしか向いていないと、前進と品質がシーソーみたいに対立しはじめる。

前進を選ぶことが、自分の誠実さを捨てることのように感じられてくる。

……でも、出さない選択も、同じくらい何かを手放しているんだよ。そこは、わりと見落とされがち。

だからこれは、完璧を捨てる話じゃない。

完璧の作り方を見直す話なんだよ。

前進とは「現実と接触すること」

前進というと、成果を出すこととか、目に見える結果を作ることだと思いやすい。だから、うまくいかないとき、小さく動いた自分を「進んでいない」とカウントしてしまう。

でも、前進ってそんなに大きな話じゃないよ。

出してみる。試してみる。誰かに見せてみる。聞いてみる。頭の外側にある何かと接触した、その瞬間から前進は始まっている。結果がよかったかどうかは、また別の話。

たとえば、作りかけのメモを信頼できる人に「方向性だけ確認したくて」と見せる。それだけでも、一人で抱えていたときとは違う情報が入ってくる。「あ、ここが伝わっていないんだ」と気づく。あるいは「思ったより伝わっている」と知る。

どちらも、動く前にはなかった情報。

勉強でも、習慣づくりでも同じ。計画を完璧に立ててから始めようとするより、”とりあえず1回やってみる”方が、何が難しくて何が意外と楽かが分かる。接触してから、形を整えていけばいい。

成果が出なくても、接触した時点で何かが動いている。

前進とは、現実と触れること。

それだけ。

動かなければ情報は増えない

部屋で一人、ウンウンと考え続ける。

浮かんでは消え、消えては浮かぶ。でも、使っている材料は最初から変わっていない。自分の頭の中にあるものだけを、何度も並べ替えているだけ。

”外に出したとき”、初めて違う情報が入ってくる。

誰かに見せた瞬間に「ここ、ちょっと分かりにくいな」と自分で気づいたり、予想外の反応をもらったりする。資料を実際に使ってみたら、全然違う問題点が見えてくる。頭の中のシミュレーションでは、絶対に起きなかったことが起きる。

行動は、成果を作るためだけじゃなくて、次に何をすべきかを知るための手段でもある。

もちろん、いきなり大勢の前に出す必要はないよ。一人に見せるだけでいい。「仮の状態で」と伝えてから共有するだけでいい。小さな接触から始めれば、傷つくリスクも小さい。それでも、動く前には絶対に手に入らない情報が、そこには待っている。

出す前にもう一度見直したいという気持ちは分かる。ただ、一人で抱えている時間が長くなるほど、見直せる材料は増えていかない。現実に触れてから初めて、何を直すべきかが分かってくるから。

前進する人ほど最終的な質が高くなる

「時間をかけて丁寧に仕上げたものの方が、絶対にいいはずだ」

そう信じてきた人には、少し引っかかる。

品質は「更新回数」に宿る

一晩かけて書いた文章を、翌朝読み返す。

昨夜は完璧だと思っていたのに、なんだかぎこちない。言いたいことは分かるけど、どこかずれている。……けっこう誰にでもあるよね。

頭の中で完成させたものと、現実で通用するものの間には、思った以上に距離がある。その距離は、考え続けることでは縮まらない。一度外に出して、何かと擦り合わせて、初めて見えてくるものだよ。

品質がどこから生まれるかを分解してみると、「一人でこねくり回した時間の長さ」ではなくて、「仮で出して、反応を受けて、直す」という往復を何回できたか、に近いところがある。

止まっている人は、今この瞬間の完成度ばかりを見る。「まだ足りない」「もっとよくなるはず」と、手元の状態を上げることに集中する。進む人は、改善できる機会をどれだけ持てるかを見ている。

今の完成度より、更新できる回数の方を大事にする。

見ている指標が違うだけ。

ただ、更新の回数を増やせばそれでいい、という単純な話でもないよ。修正指摘を受けたとき、落ち込む。一度形にしたものを崩す作業は、気持ちのいいものではないからね。

それでも、その往復を続けた先にできたものは、最初の形とはまるで違う密度になっている。更新する過程の面倒くささは、たぶん避けられない。ただ、それを込みで引き受けることが、品質を育てるということだと思う。

完璧主義が招く大きな手戻り

相手の意図を確認しないまま、「驚かせたい」「完成したものを出したい」と、ひとりで長い時間抱え込む。

そして締め切り直前、ようやく提出する。

「……方向性が、全然違うんだよね」

その一言で、積み上げてきたものが崩れる。あの感覚を経験したことがある人は、分かると思う。あれは本当に、きつい。

「完璧な状態にしてから出そう」は、”現実との接触をできるだけ後回しにする行為”でもある。接触が遅れるほど、頭の中で育てたものと、相手が必要としているものの間のズレが大きくなる。それが発覚するのが、修正の効かないタイミングだったりする。

時間をかけたのに、質が低い。それどころか、最初から小まめに確認していた場合より、はるかに遠い場所にいる。

そのうえ、「あんなに頑張ったのに」という徒労感が残る。成果物が崩れるだけじゃなくて、次に向かうための気力まで一緒に持っていかれる。

完璧主義が品質を守っているように見えて、実は大きなリスクを育てていることがある。そのリスクが顕在化するのは、いつも遅い。

変化に向き合うことが本当の丁寧さ

二冊のマニュアル。

一冊は、ルールと手順が完璧に整理されていて、一字一句きれいに書かれている。ただ、現場が変わっても一切修正されていない。もう一冊は、最初は穴だらけで読みにくかった。でも、現場で困ったことがあるたびに誰かが書き足して、今ではみんなが手元に置いている。

どちらが丁寧な仕事かな。

現実は、動く。

仕事の中身も、関係する人も、状況も、最初に想定した通りには進まないことの方が多い。「最初から最後まで一発で完璧に仕上げる」ことにこだわるのは、その変化から目をそらしているとも言えるよ。

何度も手を入れることは悪いことじゃない。修正が多いのは、現実をちゃんと見ている証拠でもある。

ちゃんとしたい気持ち、ごまかしたくない気持ち。それは、本物だよ。ただ、それを「一発で仕上げること」にだけ向けると、現実の変化に対して鈍くなっていく。

本当の丁寧さは、不格好でも現実の反応を受け取りながら、何度でも手を入れ続けることにある。……そっちの方が、ずっと難しいし、地味だけどね。

そう考えると、完璧の意味が少し変わってくる。一発で仕上げることが完璧なのではなくて、”現実と接触しながら更新され続けること”、その先にあるものが本当の完成に近い。

完璧を捨てるんじゃなくて、完璧の作り方を見直す、という話だよ。

停滞を抜け出す前進の設計

理屈は分かった。でも、じゃあ具体的にどうすればいいのか。

最大の抵抗は始める前に生まれる

やる前は、あんなに気が重かったのに。

しぶしぶ手をつけてみたら、気づけば1時間集中していた。……そういう経験、わりとあるよね。

物理の話をすると、止まっているものを動かすときに一番力がいる。動き始めてしまえば、同じ力でずっと進み続けられる。行動もそれに近くて、最大の抵抗は「始める前」に集まっている。

始めてしまえば、思ったより動ける。自信がついてから動けるわけじゃなくて、動いてから「あ、意外とできるな」という感覚が後からついてくる。順番が逆なんだよ。

だから、一歩目のハードルをできるだけ低くすることに意味がある。

「完成させる」じゃなくて「ファイルを開く」

「書き上げる」じゃなくて「箇条書きを3行打つ」

運動なら「着替えるだけ」でもいい。”停止状態を解除することだけ”を、最初のゴールにする。

大きく進もうとしなくていい。動き出しさえすれば、あとは意外と続くから。

「仮の方向性」で共有する

完成していないものを人に見せるのは、気が引ける。

「まだ全然できていないのに」

「こんな状態で出したら、雑だと思われる」

その抵抗感。

ただ、一言添えるだけで、状況はかなり変わる。

「仮の方向性なんですが、認識合わせだけさせてください」

この一言があるだけで、受け取る側の目が変わる。「評価してほしい」ではなく「一緒に確認したい」という文脈になるから、相手も気楽に意見を言えるし、こちらも傷つきにくい。

ただ、これは未整理なものを丸投げする話じゃないよ。その時点での自分なりの考えや見取り図は持ったうえで、「方向性を早めに確認したい」という意味で見せる。骨子3行でもいい。ただ、その3行には、

  • 何を作ろうとしているか
  • どの方向で進めたいか
  • どこに迷いがあるか

この3つが入っていれば十分。単なる思いつきではなくて、今の自分が描ける最も誠実な仮説を持っていく、ということだよ。それがあれば、相手も「どこを手伝えばいいか」が分かる。

これをやると、自分にとっても相手にとっても、得なことがある。

  • 自分の未完成を見せる罪悪感が薄れる
  • 修正が早い段階で入るので、後の手戻りが減る
  • 相手も方向性のズレを早く発見できる

「仮です」という言葉は、自分と相手を同時に守る。完成させてから出す、だけがいい方法とは限らない。

「作る」と「直す」を分ける

さっき触れた、書いては消す問題。

あれを解消する一番シンプルな方法は、「作る時間」と「直す時間」を物理的に分けること。

作るときは、直さない。

ノートでも、テキストエディタでも、体裁を一切気にせず、言いたいことを全部吐き出す。「要するに何が言いたいか」だけを、荒削りのまま並べていく。誤字でも、つながりがおかしくても、いったん気にしない。批評の目を、意識してオフにする。

直すのは、そのあと。時間を置いてから、別の目で見直す。

少し間を置くと、自分が書いたものを「他人が書いたもの」みたいに見られるようになる。感情が抜けて、冷静に「ここ、伝わらないな」「この順番の方がいいな」と判断できる。同じタイミングでやろうとすると、作ることと直すことが互いの邪魔をするから、どちらも中途半端になりやすい。

勉強でも同じ構造があるよ。インプットしながら同時に完璧に理解しようとすると詰まる。まず全体を流して、後から立ち返る方が定着しやすかったりする。

分けるだけで、かなり楽になるよ。

「ゼロにしない」で続ける

毎日1時間やると決めた。

でも今日は残業で、帰ったらもう22時。1時間は無理だ。……「もういいか」と全部投げ出したくなる。

ただ、0にした瞬間に失うものがある。積み上げてきた「続いている」という状態。

完璧な計画を守ることより、”行動の流れを途切れさせないこと”の方が、長い目で見たときにずっと大事だよ。1時間できなくても、10分ならできる。10分も無理なら、ファイルを開くだけでもいい。本を1ページだけ読む。片付けなら、引き出し一つだけ整える。それでいい。

「ゼロにしない」というルールを持っておくと、完璧が崩れたときの衝撃がずいぶん和らぐ。

All or Nothing、つまり完璧か無かの思考は、完璧主義が習慣にも入り込んでいる状態だよ。1時間できなかった日を「失敗」にしなくていい。1ミリでも動いていれば、それは続いている。

崩れたように見えても、ゼロにさえしなければ、前進は死なない。

完璧より前進。動きながら形にしていく

手元に、作りかけのものがある。

文章でも、企画書でも、習慣の計画でも、なんでもいい。これまでなら「まだ出せない」「もっと直してから」と思っていた、あの状態のもの。

「ちゃんとしたい」という気持ちは、今も消えていないと思う。ただ、その気持ちをどこに向けるか、というところが変わってくるだけ。一発で仕上げることへの執着から、現実と触れながら何度でも手を入れていく姿勢へ。

どちらが対象に対してより、丁寧か。

うまくいく人はきっと、流動的だ。

不完全なものを外に出すのは、やっぱり少し怖い。怖さが消えるわけじゃないし、消えなくていい。ただ、その怖さを抱えたまま”それでも一歩動かすこと”と、怖さを消してから動こうとすることは、まったく別の話だよ。

後者は、たぶんいつまで待っても来ない。

出さない限り、手元にあるものはこれ以上育たない。

それだけは、動かせない事実だよ。

現実と接触した回数だけ、形が変わっていく。荒削りのまま出したものが、反応を受けて、少しずつ本物に近づいていく。……そういうプロセスを、「丁寧」と呼んでもいいのかなと、思っているよ。

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【汝、己の憩いをなんと見る】をテーマに、

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様々な知恵や視点を知り、「物事のとらえ方・考え方」にたくさんの選択肢を持ってもらえるように、情報発信を行っています。

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