考えている時間だけが、いつまでも増えていく。
「思考より行動。」
そんな言葉を聞くたびに、少し急かされている気持ちになる。
でも、本当にそうなんだろうか。
現実には、考えずに動いて失敗することもあるし、慎重に考えたから避けられた失敗もある。
考えることには、ちゃんと意味がある。
それなのに、動けない人ほど、よく考えているのも事実。
もしかすると問題なのは、思考そのものじゃない。
考えることと、動くこと。
それぞれの役割を少しだけ分けてみると、止まっていた理由も、少し違って見えてくる。
「思考よりも行動」。でも思考の否定ではない

「思考より行動」という言葉は、思考を切り捨てる言葉ではなくて、二つの持ち場を分け直すための言葉なんだと思う。
思考は「仮説」をつくる
多くの人は、思考と行動を、優劣で見てしまう。考える人は慎重で、動く人は勇敢だという具合に。
でも実際は、そこに優劣はなくて、ただ役割が違うだけなのかもしれない。
思考の仕事は、手元にあるものを並べ直して、方向をひとつ決めること。今までの経験、聞いた話、読んだ本。そこから、”たぶんこっちだろうという線”を引く。
これは仮説をつくる作業。答えではなくて、答えに近づくための、最初の形。
だから思考は、要らないものじゃない。
むしろ、これがないと、動く先すら決まらない。
行動は「現実」で確かめる
ただ、仮説は仮説のままだと、いつまでも仮説でしかない。
思考がつくったその線を、本当かどうか確かめる場所は、頭の中にはない。
現実に触れて、初めて分かることがある。想像していた通りだったのか、まるで違ったのか。
行動というのは、この”確かめる作業”のことを言うんだと思う。勇気を試す場ではなくて、答え合わせの場。
思考が仮説をつくり、行動がそれを確かめる。
どちらか一つではなく、この二つがそろって初めて、前に進める。
なぜ考えるだけでは前に進めないのか

仮説と検証、という言葉にすると綺麗に聞こえるけれど、実際にはもっと厄介な壁がある。考えているだけでは、絶対に埋まらない部分があるということ。
現実にしかない情報がある
考えているだけでは、分からないことがある。
それも、思っている以上に多い。
例えば、転職サイトを一年間眺め続けている人がいるとして。
求人の条件、給料、口コミ。それらをどれだけ集めても、実際にその会社で働いた時の空気までは、書いてない。
職場の雰囲気とか、人と話すときの微妙な距離感とか、そういうものは、行ってみないと分からない。
これは、調べ方が悪いわけじゃない。そもそも、その情報がまだこの世に存在していないだけ。
頭の中を、どれだけひっくり返しても出てこない。最初から、そこには無いから。
情報は、量だけじゃない。
どこで情報に触れるかによって、考えることそのものが変わる。
考える場所で、思考の質は変わる
面白いのはここから。
同じ「考える」という行為でも、場所によって、拾えるものがまるで違う。
部屋の中で考える思考と、現場に立って考える思考。同じ頭を使っているはずなのに、後者の方が、圧倒的に情報の密度が高い。
ジムを探しているとして、パンフレットを何十枚見比べるより、一度その場に立って、機材の音や、人の空気を感じた方が、判断は早い。
「考える」と「考え続ける」は違う
仮説をつくるところまでは、思考の仕事。ここには意味がある。
でも、その仮説を、延々と磨き続けるのは、少し違う。
新しい情報が入ってこない状態で考え続けても、それはもう、同じ材料を並べ替えているだけになる。
思考には、賞味期限がある。情報が増えている間は新鮮で、増えなくなった瞬間から、少しずつ鈍っていく。
考えることをやめる必要はない。ただ、考え続けることには、そろそろ効かなくなる地点があるということ。
動けないのは「状態」だった
完璧主義という状態
もっと考えれば、もっと良くなる。そう思っている間は、動けなくて当然だと思う。
直したはずの企画書を、もう一度開いてしまう。ここも気になる、あそこも足りない気がする。
これは前提の置き方の問題。完璧な準備というものが、そもそも存在しないのに、それを探し続けている状態。
情報過多という状態
レビューを読めば読むほど、決められなくなる。そういう経験はないかな。
気づけば、比較サイトのタブが何個も並んでいて、どれも中途半端に読んだままになっている。
これは情報が足りないからじゃない。判断の基準がないまま、情報だけが増えている状態。
基準がなければ、いくら集めても、迷いは減らない。
決断疲れという状態
そしてもう一つ。単純に、判断するための力が減っている状態もある。
夕方になると、今日の夕飯すら決める気力がない。そんな日が、誰にでもある。
これは、考え方の問題じゃなくて、ただのエネルギー不足。休めば戻る類のもの。
三つとも、今、自分がどの状態にいるかという、それだけの話。
即断即決とは「検証を先送りしないこと」

即断即決という言葉は、”速さ”を褒める言葉だと思われがちだけど、たぶん違う。
先送りにもコストがある
決めないことを、何もしていないことだと思っている人は多い。
でも保留も、選択のひとつ。現状を維持するという選択を、静かに続けているだけ。
その間も、状況は動いている。声をかけてくれた人は、別の誰かに声をかけているかもしれない。求人はいつか消えるし、自分の熱量も、当時のままではいられない。何もしていないつもりでも、実は何かを失い続けている。
可逆な決定と不可逆な決定
だからといって、すべてを即決すればいいわけでもない。
やり直せることと、やり直せないこと。
ここは、はっきり分けた方がいい。
ブログを書く、応募してみる、体験に行ってみる。これらはやり直せる。だから早く試す価値がある。
一方で、人生を大きく左右するような決定は、じっくり考えていい。ここに、思考の出番はまだ残っている。
動くべきタイミングは一つ
結局、判断の基準はひとつしかないんだと思う。
”これ以上考えても、新しい情報が増えない”と気づいたとき。そこが、動くべきタイミング。
情報が増えている間は、まだ考えていていい。増えなくなったら、その先は、現実に聞くしかない。
行動を「検証」に変える

サインが来たとして、次に必要なのは、大きな決意じゃなくて、もっと小さなもの。
60点で現実に出してみる
完璧な形を待つ必要はない。60点のままでいい。
ブログなら、一本書いて公開してみる。書き終えた瞬間に、初めて見える課題がある。書く前にはどれだけ考えても、見えなかった課題。
出してみて、初めて分かることを受け取って、また少し考え直す。これの繰り返し。
行動は、思考を終わらせるためのものじゃない。
思考を、次の段階に進めるためのもの。
今日できる最小の検証を決める
だから、今この瞬間に必要なのは、たった一つだけ。
今日できる、いちばん小さな検証を決めること。
大きな一歩じゃなくて、確かめるための、小さな一歩。
答えは見つけるものではなく、更新していくもの

ひとつ試してみて、思っていたのと違うと分かることもある。それもまた、ひとつの情報。
最初から正しい答えを探すより、”現実に触れながら、少しずつ書き直していく”方が、性に合っているのかもしれない。
思考が仮説をつくり、行動がそれを確かめる。
どちらか一つではなく、この二つがそろって初めて、前に進める。
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