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季節を感じるとは?何を感じているのか

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季節が変わった瞬間を、見たことがない。

春になった瞬間も、夏になった瞬間も。

なのに、「もう秋だな」とは分かる。

いったい何をとらえて、季節が変わったと感じるのだろう。

気温の数字だって、昨日と大して変わっていないはずなのに。気温なのか、光なのか、匂いなのか。たぶん一つじゃない。

いつだって、はっきりしない境目のグラデーションの上を歩いている。

あの一瞬、私を立ち止まらせたものは、風だったのだろうか、それとも記憶だったのだろうか。

「季節を感じる」のは、どんな瞬間か

季節って、見に行くものだと思われがちだけど、案外そうでもないんだよね。気づいたら、もう傍まで来てる。そんな来方をすることの方が、実は多い。

風物詩がなくても、季節を感じる

桜も紅葉も、別に嫌いじゃないよ。むしろ好きな方。

桜を見に行ったときだって、多分、花だけを見てるわけじゃなくて、その日の暖かい風や緩んだ光も、一緒に受け取ってるんだと思う。でも、それを見に行く日だけが季節を感じる日じゃないでしょ。

たとえば、いつもの帰り道。特に何もない住宅街。植木鉢が並んでるだけの、代わり映えのしない道。

そこを歩いていて、ふと、あ、秋来たなって感じる瞬間、あるよね。

花も虫も、その場にいない。写真に撮っても、何が季節を伝えてるのか分からないくらい、普通の景色。

なのに、身体の方が先に分かってる。

……不思議だ。分かりやすい合図なんて、実は要らないのかもしれない。

「何かが違う」が季節の気配になる

昨日と同じ道。同じ時間。同じ角を曲がる。なのに、なんとなく足が止まりそうになる瞬間があるでしょ。

理由を聞かれても、すぐには答えられない。

気温?風?空気の匂い?

全部な気もするし、どれでもない気もする。ただ、「何か変わったな」という感覚だけが、先に来る。

言葉にする前に、身体の方が先に反応してる感じ。

はっきりした答えより先に、揺れる感覚がやってくる。それが、季節が来るときの、最初の形なのかもしれないね。

季節そのものではなく「変化」を感じている

昨日まで、あんなに暑かったのに。今日の風だけで、もう秋だって思ってしまう。

……よく考えると、これ、結構乱暴な話だよね。気温が劇的に変わったわけでもないのに。

”秋っていう物質”が、どこかに浮かんでるわけじゃない。じゃあ私は、いったい何を掴んで秋だって言ってるんだろう。

昨日との違いが季節を知らせる

猛暑がずっと続いた後、夕方にふと吹く風。昨日より、ほんの少しだけ冷たい。気温を測ったら、大した差はないのかもしれない。それでも、その一瞬で、あ、変わったって分かる。

今の温度そのものより、直前との落差の方が、季節らしさとして響いてくることがある。数字を見てるんじゃなくて、比べてる。無意識のうちに、少し前の記憶と、今この瞬間を並べてるんだよね。

季節はそこにある「もの」じゃなくて、比べたときに初めて浮かび上がる何かなのかもしれない。そう考えると、少し腑に落ちる。

季節は境目なく移り変わる

カレンダーの上では、今日から秋、って区切られる。でも実際の空気は、そんなにきっぱりしてない。まだ夏の匂いも残ってるし、秋の気配もちょっとだけ混ざってる。昨日は涼しかったのに今日は暑い…。

両方が同じ場所に、しばらく同居してる感じ。

箱を四つ用意して、春夏秋冬って綺麗に分けたくなる気持ちも分かるよ。でも本当は、その”境目”のところをずっと歩いてるだけなのかもしれない。混ざり合った色の中を、少しずつ進んでる。

……はっきり切り替わらないことに、モヤモヤすることもあるかもしれないけど。曖昧なままの方が、案外、豊かだったりするんだよね。

その微かなグラデーション、実際どこで受け取ってるんだろう。

肌か、目か。それとも、もっと別のところかな。

五感で受け取る季節の変化

肌かな、目かな、って考えてたけど。多分、そのどれか一つじゃないんだよね。風も、光も、匂いも、それぞれ違う入り口から、同じ変化を運んでくる。

全部同時に届いてるのに、気づくのはいつも、そのうちのどれか一つだったりする。

気温ではなく、風の質感を感じる

同じ二十八度でも、梅雨の時期の空気と、秋口の空気って、全然違うでしょ。前者はまとわりつく感じ。後者は、すっと通り抜けていく感じ。温度計の数字は同じなのに。

身体は、温度計みたいに数字だけを見てるわけじゃないんだよね。湿っているか、乾いているか。重いか、軽いか。肌の上を滑っていくその質感まで、まとめて受け取ってる

だから、天気予報の気温だけ見ても、今日がどんな日か、実はあまり分からない。窓を開けて、実際に風に触れてみないとね。

光と影から季節の進みを知る

夕方、部屋の奥まで西日が入り込んでるのに気づく瞬間があるでしょ。あれ、こんなところまで届くようになったんだ、って。

桜みたいな分かりやすい対象がなくても、”光そのもの”が変わっていくんだよね。影の長さとか、部屋に落ちる光の角度とか。景色は同じはずなのに、そこに満ちてる光の質が、少しずつ移っていく。

日が沈むのが早くなって、夕暮れの色があっという間に濃くなる。あの感じ、少しだけ寂しいような、でも嫌いじゃないような。

匂いと音が季節を知らせる

夏の終わりのアスファルトの匂い。冬の朝、鼻の奥がツンとするあの冷たさ。金木犀だけが秋の匂いじゃないんだよね。

音もそう。エアコンの音がいつの間にか消えて、代わりに虫の声だけが響いてる夜。あの切り替わりに気づいた瞬間、理屈より先に、「なんか変わったな」がくる。

風でも光でもなく、こっちの方が先に届く日もある。

同じ季節でも、感じる入り口は人によって違う

同じ空の下にいるはずなのに、季節にすぐ気づく人と、しばらく気づかない人がいる。それって、感受性の差とか、そういう話でもないんだよね。

知っている季節と、感じる季節は違う

まだ残暑の残る頃、店先に秋物の服が並んでるのを見る。ハロウィンの飾りも出てる。ああ、もう秋なんだ、って頭では分かる。

でも、それとは別に。帰り道でふっと涼しい風に当たって、あ、秋だ、って胸の方が先に動くことがあるでしょ。同じ「秋だ」でも、中身がちょっと違う。

前者は、”情報”として受け取ってる季節。

後者は、”身体を通り抜けていった”季節。

とはいえ、秋物の服を見て「もう秋か」と思うのだって、これまで何度も秋を過ごしてきた経験があってこそ。そこにも、身体の記憶は混ざってるんだと思う。

それでも、ニュースで立秋ですって言われても、そんなに心は動かない。自分の肌で気づいた瞬間だけ、なぜか妙に納得する。

知ることと、感じること。似ているようで、少し違う。

暮らしの中に季節の入り口がある

自転車に乗る人は、耳が痛くなるくらいの風で冬を知る。料理をする人は、店に並ぶ野菜が変わることで季節に気づく。外で働く人は、日差しの強さで。室内にいる人は、窓から差し込む光の角度や、日が落ちる早さで。

同じ街に暮らしていても、世界のどこに触れて生きているかで、拾える手がかりって変わってくる。海や山まで行かなくても、いつもの生活の中に、ちゃんと入り口はあるんだよね。

食べものにも、季節の入り口はある。旬の野菜や果物、その時期になると自然と手に取りたくなるもの。そういうものを意識すると、食卓にも季節が少しずつ現れてくる。

季節を感じながら楽しみたい食べものを、少し集めてみた。

デスクワークで一日中室内にいたとしても、窓ガラスに反射する光が、いつもと違う感じで見える日があったりする。

……それぞれ、違う扉を開けてるだけなんだと思う。同じ風に当たっても、そこから何を思い出すかは、人によってまるで違ったりするしね。

季節に「過去」と「記憶」が重なる理由

春の眠くなるような、安心と不安が同時に来るような、あたたかい風。

夏のエネルギッシュな風。

秋の少し寂しい気持ちになる、落ち着いた風。

冬のぽっかり穴の開いたような虚ろな風。

同じ風でも、思い出すものが人によって違う。それはきっと、その風に、それぞれ違う過去が重なっているからなんだよね。

私は秋の11月くらいの少し寂しい風が好き。

季節の輪郭は、過去との比較で浮かび上がる

今年は秋が来るの早いな、とか。数週間前まであんなに暑かったのに、とか。そういう言葉、割とふつうに口から出てくるでしょ。

これって、今の状態だけを見てるんじゃなくて、自分の中にある「例年の感覚」みたいなものと、今を照らし合わせてるんだよね。去年の今頃はどうだったか、先月はどんな空気だったか。

そういう蓄積が、今この瞬間の輪郭を作ってる。

まだ夏みたい、っていう言葉も、もう冬だ、っていう言葉も。今だけを見てたら出てこない。過去を持ち歩いてるから、出てくる言葉なんだよね。

でも、比較してるのって、気温や天候のデータだけじゃない気がするな。もっと個人的なものまで、一緒に引っ張られてくることがある。

季節の変化が、過去の自分を呼び起こす

金木犀の匂いを嗅いだ瞬間、昔よく歩いた道が浮かんでくる。蝉の声を聞いて、子どもの頃の夏休みが蘇る。夕暮れの冷たい風に、何とも言えない寂しさを覚えたり。

景色が綺麗だからとか、そういう理由じゃないんだよね。あの匂いや音が、記憶の引き出しを勝手に開けてしまう。胸がきゅっとなる感じの正体は、多分そこにある。

同じ金木犀でも、ある人には通学路を、別の人には実家の庭を思い出させたりする。だから同じ季節でも、そこに漂う気配が、人によって全然違って見えるんだよね。

季節が来るたびに、過去の自分とすれ違ってる。そんな感覚が、たまにある。

季節を感じるとは、時間の中にいる自分を感じること

去年も、この上着を着た。去年も、こんな朝の冷たさを吸い込んだ。そう思う瞬間って、静かだけど、意外と深いところに触れてる気がする。

季節は、時計みたいにきっちり数字を刻んでくれるわけじゃない。でも、毎年同じような変化が繰り返されることで、目には見えない時間の流れを、こっちに知らせてくれる。風も、光も、匂いも、外からやってくるだけじゃなくて、自分の内側にある時間とも、どこかで響き合ってる。

ただ、繰り返してるのは季節の方だけなんだよね。今年も同じ金木犀が香って、同じような風が吹く。それだけを見れば、去年とほとんど変わらない。

でも、それを感じている自分は、去年のままじゃない。

同じ匂いを嗅いでも、去年考えていたことと、今考えていることは違う。同じ風に当たっても、そこにいる自分の状況は、少しずつ変わってる。

季節は律儀に同じ顔で戻ってくるのに、それを迎える側は、一度きりの時間を進んでる。去年の自分に戻ることは、もうできない。その一方通行の感じと、季節の変わらなさが、同じ瞬間に重なる。

……そう考えると、季節を感じるっていうのは、ただ自然を眺めることとは、ちょっと違うのかもしれない。

別に、これに気づいたからって、何かが変わるわけじゃない。感受性を磨きましょう、とか、そういう話でもないし。

今日感じたこの風の冷たさとか、さっき立ち止まりそうになったあの違和感とか。あれに、無理に答えをつける必要はない。気づく日もあれば、気づかないまま通り過ぎる日もある。それでいい。

明日も、いつもの道を歩くと思う。昨日とは少しだけ違う影の長さや、空気の重さに、また気づくかもしれないし、気づかないまま通り過ぎるかもしれない。ただ、そうやって過ごしている時間そのものが、もう今年の季節の一部になってる。

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