集中しようとする。
気が散る。
また意識を戻す。
……ダメだ。続かない。
瞑想を始めるなら、静かな場所で目を閉じて、じっと座る。ずっと、そんなものだと思っていた。
だから座ってみた。
足が気になる。時計が気になる。仕事のことが浮かぶ。静かになったはずなのに、自分の中が騒がしい。
心を落ち着けるために始めたのに、今度は「落ち着けていない自分」を気にしている。
でも、考えてみれば、歩いているときも、本を読んでいるときも、似たようなことがある。
身体は今ここにある。
なのに、意識は簡単にどこかへ行ってしまう。
そもそもマインドフルネスは、心をきれいに整えることなのだろうか。
マインドフルネス瞑想とは何か

「マインドフルネス」という言葉から、特別な訓練や穏やかな心の状態を思い浮かべることがある。でも、実際に見てみると、もっと身近なところにある。
大切なのは、何かを変えることより、今ここで起きていることに気づくことなのかもしれない。
「今、この瞬間」に気づく
シンプルに言うと、マインドフルネスとは、今この瞬間に意識を向け、そこで起きていることに、評価を挟まず気づいていること。
歩いている途中、ふと靴の中で足がどう当たっているか気づく瞬間があるでしょ。あれに少し近い。何かを目指して無理にそうなるのではなく、別のことに向いていた意識が、今起きていることに戻ってくる。
特別な精神状態の話じゃない。もっと、地味なところにある。
そして、ここは意外と大事なんだけど、マインドフルネスは「リラックスすること」そのものでもない。落ち着いているときだけでなく、そわそわしていることや、考えごとが止まらないことにも気づいていく。
そこも含めて、”今”を見ている。
瞑想はマインドフルネスを実践する方法の一つ
じゃあ瞑想は何なのかというと、注意の向け方を意図的に練習する方法の一つ。マインドフルネスを実践するときにも使われる。
ただ、練習の仕方は一通りじゃない。
何に注意を向けるか、その注意をどう扱うか。
ここが変わると、体験そのものも変わってくる。
「呼吸に注意を戻す」のと、「浮かんだ考えをただ眺めておく」は、似ているようで、やっていることがけっこう違う。
だから、これから並べる方法も、単なる種類の一覧というより、それぞれ違う入口だと思って見ていける。
マインドフルネス瞑想のやり方

同じ「気づく」ということでも、何に意識を向けるかで、実践の感触はずいぶん変わる。呼吸を見ることも、身体を感じることも、浮かんだ思考を眺めることも、入り口は違っている。
ひとつの形に決めてしまわないほうが、見えてくるものもある。
呼吸に意識を向ける
呼吸に意識を向ける、もっとも基本的な方法の一つ。
呼吸を変えるのではなく、呼吸が今どうなっているかに気づいていく。
楽な姿勢で座って、鼻先を通る空気の温度や、お腹の上下などを感じてみる。ほかのことを考えていると気づいたら、また呼吸へ意識を戻す。ただ、それを繰り返す。
考えないことが目的ではないよ。
気がそれたことに気づいて、戻ってくる。
そこまで含めて、この実践になっている。
身体の感覚を観察する
ボディスキャンと呼ばれる方法。
身体を変えようとするのではなく、今そこにある感覚に気づいていく。
足の先から始めて、脚、お腹、胸、肩、顔まで、順番に意識を移していく。温かさ、重さ、圧迫感、椅子に触れている感覚など、気づいたものをそのまま観察する。
特に何も感じなくても、それはそれでいい。「何も感じない」ことも、そのときの感覚だから。
身体の感覚を手がかりにするので、考えごとを追いかけ続けなくていい。そこが、この方法の入りやすいところでもある。
浮かんだ思考を観察する
「考えない」と決めても、考えが浮かぶこと自体は止めにくい。
そこで、思考を止めるんじゃなくて、「今、こういう考えが浮かんでいる」と気づく方法がある。
浮かんだ考えを、川に落ちた葉っぱみたいに、そのまま流れていくものとして見ておく。
掴まない。
追いかけない。
ただ、そこに浮かんだものとして眺める。
思考を消す方法ではなく、思考との”距離”を少し変える方法。考えの内容をすぐに信じるのではなく、「こう考えている自分がいる」と一歩引いて見てみる。
慈しみや優しさに意識を向ける
ここまでは、どちらかというと「観察する」実践だった。これは少し違って、「育てる」方向の実践。
自分に対して、それから身近な人、あまり関わりのない人、苦手な人、最後にすべての存在に向けて、穏やかでいてほしいという気持ちを心の中で向けていく。
……正直に言うと、慣れないうちは少し気恥ずかしいと感じることもあるかもしれない。それは別に変なことじゃない。誰かへの優しさを意図的に扱うって、案外慣れが必要なんだよね。
歩く・食べるなど日常の中で行う
わざわざ時間を確保しなくても、実践できる場面はある。
歩いているとき、足の裏が地面に触れる感覚、歩く速さ、身体の揺れに意識を向けてみる。コーヒーを飲むときなら、香り、温度、舌に触れる感覚、喉を通っていく感触。もう既にしている行為の中に、実践の場が隠れている。
新しく時間を作らなくてもいい。
これ、けっこう大事な発見じゃないかな。


自分に合うマインドフルネス瞑想を選ぶ

方法がいくつもあるなら、今度は「どれが正しいか」ではなく「どれなら自然にできそうか」を考えてみたい。落ち着き方も、注意の向けやすさも、その日の自分も同じではない。
だから、自分に合う方法も、最初から一つに決まっているとは限らない。
じっとするか、動くか
座っていること自体が落ち着かない日もある。
座る方法と歩く方法では、意識を向ける対象や、取り組み方そのものが違う。じっとして呼吸や身体の感覚に向き合うほうが入りやすい人もいれば、歩きながら足の裏や身体の動きに意識を向けるほうが自然な人もいる。
どれがいいというものでもないしね。
最初から、入口が一つしかないわけでもないんだよね。
一つに集中するか、広く観察するか
さっきの「動くか、動かないか」とは、また別の軸。
呼吸のように一つの対象へ注意を向ける方法もあれば、身体の感覚を順番にたどったり、浮かんだ思考や感覚を広く観察したりする方法もある。
どこか一つに戻ってくるほうが落ち着く人もいれば、意識を一つに固定すると窮屈に感じる人もいる。実際、マインドフルネスの実践には、注意を一点に向けるものから、起きていることを広く観察するものまで、いくつかの異なる形がある。
だから、「集中できるかどうか」だけで考えなくてもいい。
身体から入るか、思考から入るか
これはまた別の問い。
今、意識を向けやすそうなのは、身体の感覚なのか、それとも浮かんでくる考えなのか。
身体の感覚に気づきやすい日もあれば、考えごとが次々に浮かぶ日もある。ボディスキャンが入りやすい人もいれば、身体の感覚に意識を向けること自体が負担になる人もいる。
だから、「身体か思考か」を一度決める必要はないよ。
その日に、どちらからなら少し目を向けられそうか。それくらいの感覚で選んでもいい。
時間を決めるか、日常に組み込むか
「まとまった時間が取れないからできない」って、よくある話だけど……実は、実践の形はそれだけじゃない。
きちんと時間を決めて座る方法もあれば、歯を磨くときや、コーヒーを飲む一瞬に意識を向ける方法もある。
イギリスで行われた調査では、日常の中で行うマインドフルネス実践が、ウェルビーイングや心理的柔軟性と関連していた。ここでいう心理的柔軟性は、考えや感情に引っ張られすぎず、その場に合わせて行動を選べるような柔軟さのこと。
時間を決めて取り組む日があってもいいし、生活の中に少しずつ混ぜる日があってもいい。
たとえばメールを送る前に一度立ち止まり、呼吸や身体の感覚に意識を向ける。新しい行動を増やさなくても、今していることへの注意の向け方を変えることが、日常の中での実践になる。
「合う」と「効果が高い」は同じではない
ここまでいくつか軸を出してきたけど……これだけは言っておきたい。
「合う」とは、効果が高いことではなく、”実際に取り組みやすい”こと。
「これが自分に一番効く」と探し始めると、たぶん迷路に入る。
マインドフルネスの効果には個人差があることが研究からも示唆されている一方で、性格や心理的特性だけから「この人にはこの方法が一番効く」と決められるほど、話は単純ではない。
だから、ここでいう「合う」は、取り組みやすい、抵抗が少ない、生活に入れやすい。そのくらいの意味で考えておけばいい。
「自分に合う方法」を探すのは、正解を当てる作業じゃない。実際に試して、続けやすい入口を見つけていく作業なんだと思う。
一つに決めなくてもいい
なんとなく「自分はこれかな」と見えてきた人もいるかもしれない。
でも、それをずっと固定する必要はない。
考えごとが多い日は思考を眺める。身体がこわばっている日は、身体の感覚に意識を向ける。外を歩ける日は、歩きながらやってみる。
今日合ったものが、明日も同じとは限らない。そんなふうに、その日の自分に合わせて入口を変えてもいい。
一つに決めるより、いくつかの方法を知っているほうが、使える場面はきっと増えていく。
マインドフルネス瞑想がうまくできないとき

実際にやってみると、思っていたより考えが浮かんだり、落ち着かなかったりすることがある。そんなとき、うまくできていないと考えると、かえって実践そのものが苦しくなる。
方法に自分を合わせるのではなく、”自分の状態に合わせて”方法を変えてみてもいい。
雑念が出ても失敗ではない
座って数秒で、もう仕事のことを考えている。
そこで「自分は集中力がない」と自分を評価し始めるのが、一番もったいない。2010年の大規模な調査では、人は起きている時間の約46.9%で、今していることとは別のことを考えていた。
別にそれは失敗じゃない。考えがそれること自体は、かなり普通に起こることなんだよね。
「あ、考えてた」と気づけた瞬間。そこから注意を戻したり、浮かんだ考えをそのまま眺めたりする。
その気づき自体が、実践の一部になっている。
思考を消さなくてもいい
「無にならなきゃ」っていう思い込み、けっこう根深い。
でも、マインドフルネスで目指すのは、思考がなくなることではなく、思考が浮かんでいることに”気づける”こと。
呼吸に意識を戻す方法も、思考をそのまま眺めておく方法も、思考が浮かぶことを前提にしている。
無になれなかったこと自体、失敗ではない。そもそも、最初から「何も考えないこと」を目標にしているわけではないから。
眠気や落ち着かなさがあってもいい
やっているうちに眠くなる。そわそわして落ち着かない。これも、マインドフルネスを続けるときによく出てくる困りごとの一つ。
眠気そのものを「うまくできている・できていない証拠」と考えない。眠くなりやすい時間帯を避けたり、目を完全に閉じないようにしたり、少し身体を動かす方法へ変えてみたりしてもいい。
落ち着かない日は、無理に呼吸に集中し続けなくてもいい。足が床に触れている感覚など、もう少し大きく捉えられる対象へ意識を移してみる方法もある。
強い不安や、つらい記憶が急に浮かんでくるような反応が出た場合は、我慢して続ける必要はない。無理せず中断していい。
5分・10分にこだわらない
「何分やればいいのか」って、気になるところだと思う。
10分と30分、座る実践と動く実践を比べた研究では、2週間の実践によって、どの条件でもウェルビーイングやマインドフルネスに改善が見られた一方、実践時間や種類による明確な優劣は確認されなかった。
一方で、5分ほどの短い実践でも、その場のマインドフルネスの感覚が高まったという研究もある。
だから、5分が特別な正解というわけじゃない。かといって、短いから意味がないわけでもない。
その日の生活に入れやすい長さから始めればいい。数字に縛られすぎなくていいんだよね。
続けやすい形に変えていい
最初はやる気があったのに、数日でやらなくなった。
マインドフルネスの実践では、時間を確保することや、眠気などが継続の難しさにつながることも報告されている。
方法、時間、長さ。ここまで話してきたことは、どれも”調整”できる。
続けるために無理をするより、続けやすい形へ変えていく。
そのほうが、長く付き合いやすい。
まず一つ試して、自分に合う方法を探してみる

ここまでいくつかの方法を見てきたけれど、最初から「自分に合うもの」を正確に当てる必要はないよ。呼吸がよさそうなら呼吸から、身体に意識を向けるほうが自然ならボディスキャンから。
気になったものを、一度試してみればいい。
実際にやってみると、思っていたより自然に続けられることもあれば、どうにも落ち着かないこともある。そこで分かったことは、そのまま次の選択につながる。
「合わなかった」は失敗ではなく、自分にはどんな入口が取り組みにくいのかが分かった、ということでもある。
だから、自分に合う方法は、頭の中だけで決めるものでもない。少し試して、そのときの身体や気分、注意の向きやすさを眺めてみる。そうやって実際の感触を確かめながら、少しずつ自分なりの形が見えてくる。
しかも、それは一つに固定しなくていい。
考えごとが多い日は思考を眺める。身体がこわばっている日は身体に意識を向ける。時間がない日は、食事やコーヒーのような日常の行為を使う。その日の自分に合わせて入口を変えてもいい。
大切なのは、完璧な方法を一つ見つけることより、今の自分を見ながら、方法を調整できること。 まず一つ試してみる。その小さな経験が、次に自分がどこへ向けばいいかを教えてくれる。
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