一日ひとりで過ごしたあと、何をしたか思い出してみる。
映画を一本観た。本を少し読んだ。カフェにも行った。そういう日は、「まあ、いい休日だった」と思える。
でも、お茶を飲んで、昼寝をして、ぼんやりしていただけの日はどうだろう。同じ一日なのに、何も残っていないように感じる。
「一人になりたい」と「一人を楽しめる」は、似ているようで別の話なのかもしれない。
映画を途中で消す。本を閉じる。予定を変える。
誰かと一緒なら言い出しにくいことも、一人なら、その場でやめられる。
やめられたことが、どこか少し、誇らしい。
ひとり時間を持て余してしまう理由

一人になりたい、と思う瞬間は誰にでもある。でも、その願いが叶った途端に置かれる時間は、思っていたより静かで、思っていたより広い。広さに戸惑う。
それだけの話なんだと思う。
「一人になりたい」のにスマホを見てしまう
今日は一日誰にも会わなくていい。そう思って迎えた朝は、少し嬉しかったはず。なのに、気づけばずっとスマホを見ている。時計を見ると、もう昼に近い。
…何かをした感覚がない。
普段は誰かの都合に合わせて動いている。決めるべきことの多くは、外側から降ってくる。それが急に無くなって、「全部好きにしていい」と言われた瞬間、選ぶ基準がどこにもないことに気づく。
選ぶことに使うはずだったエネルギーが、いつのまにか”一番楽な方”へ流れていった。そんな感じ。
それでも、画面をなぞっている間も、頭の隅ではずっと小さな声がしている。何か気の利いたことをしなきゃ、このままだと勿体ない。
……その声のことは、まだよく分かっていない。
「せっかくの休み」がひとり時間を縛る
スマホを置いて、少し我に返る。せっかくの休みなんだから、とネットを漁り始める。
人気のカフェ、話題の映画、評判のいい本。
候補はいくつも出てくるのに、どれもピンと来ない。探せば探すほど、選ぶことが億劫になっていく。
SNSを覗けば、誰かの充実した休日が、たまたま流れてくる日もある。
誰にも急かされていないのに、勝手に焦っている。不思議なものだ。
「有意義に過ごさなきゃ」という言葉は、誰かに言われたわけじゃない。自分の中から出てきたものだ。せっかくの休日を無駄にしたくない、その気持ち自体は真っ当だと思う。でも、いつの間にか、それが新しい課題にすり替わっている。
「楽しまなければならない」という、誰も頼んでいない義務が降りてくる。
本当は、他人から解放される時間だったはずなのに。今度は「充実した休日を過ごしている自分」という、見えない誰かの目を気にしている。
そこまでして、何を探しているんだろう。
何も残らない時間を「無駄」と感じる
映画を一本観終えた日の夕方と、ただお茶を飲んでぼんやりしていただけの日の夕方は、同じ長さの時間なのに、感じ方がまるで違う。
片方には、何かした手触りが残る。
もう片方には、それがない。
十分休めていたはずなんだけどね。それでも「一日を無駄にした」という感覚だけが、消えずに残っている。
読んだ本の数、行った場所、観た作品。”数えられるもの”があると、時間を有効に使った気になる。逆に、”形に残らない時間”には、無意識のうちに「無駄だった」と思いがち。
その基準は、いつからそこにあったんだろう。成果を測る癖が、休日の、しかも一人の時間にまで染み出しているとしたら……それは、少し窮屈な話だと思う。
何かをした日だけが、いい一日なんだろうか。
ひとり時間は「一人だからこそ」楽しめる

行き先を探すことに疲れる日もある。だったら、探す前に、今どこにいるのかを見た方が早いのかもしれない。
「何をするか」より「どう過ごすか」
映画にするか、読書にするか。外にある選択肢を並べて、そこから選ぼうとする。いつもそうしてきたから、それが自然な順番だと思っていた。
順番を少し変えてみる。
今の自分は、静かにしていたいのか。少し外の空気に触れたいのか。頭を空っぽにしたいのか、それとも何か刺激が欲しいのか。
行動を選ぶ前に、自分の状態に耳を澄ませてみる。
同じ人でも、日によって欲しいものは違う。いつも外に出たい人が、今日は家でゴロゴロしたいことだってある。家が好きな人が、ふと外の風に当たりたくなることもある。
もちろん、耳を澄ませても、何も聞こえてこない日もある。今は何がしたいのかさえ、よく分からないくらい疲れている日。それは、また別の話。そういう日があってもいい。
外に答えを探すのをやめると、目は”自分の方”へ向く。
誰にも合わせず、自分のペースで過ごせる
誰かと一緒にいるとき、頭の中では思っている以上にたくさんの”調整”が動いている。
相手の歩く速さ、お腹が空いていそうなタイミング、今の話題を相手も楽しんでいるかどうか。それ自体は悪いことじゃない。ただ、常に何かを気にかけている状態が続いている。
一人でいると、その調整が消えていく。行きたい場所に、行きたい時間に行って、見たいものだけを見て、興味のないものはただ通り過ぎる。
誰かの都合が、間に入らない。
それだけのことが、地味だけど、かなり贅沢なことだと思う。
誰かといる時間が悪いわけじゃない。それはそれで、別の楽しさがある。ただ、一人の時間には、”その一人の時間にしかない良さ”がちゃんとある。
さてと。この自由を、日常のどこで使えばいいんだろう。
「一人だからこそ」を楽しむひとり時間の過ごし方

自分に合わせるとは言っても、特別な趣味がなければ始まらない、というわけじゃない。もっと小さな場所に、その自由は転がっている。
時間の「速度」を自分で変える
ケトルの中でお湯が沸いていく音を、ただ聞いている。ティーバッグが色を広げていく数分間、何もしないでじっと待っている。普段なら、その時間は惜しいと感じるはずだ。
でも一人でいるときは、その「早く」を握っている人が誰もいない。
一駅分、あえて歩いて帰ってみる。最短ルートを外れて、知らない道を選んでみる。
効率という基準を、今だけ外に置いてみる。
普段は、”いかに早く済ませるか”で動いている。だからこそ、時間をかけること自体が、少しだけ新鮮な気分になる。
自分のためだけに食を選ぶ
誰かと食事をするとき、相手の好みや量を、それとなく気にかけている。今日は少し重いものが食べたい、と思っても、口には出しにくい。
一人なら、その気遣いがいらない。今日はどうしてもこれが食べたい、お昼はケーキだけでいい。
極端な欲求も、そのまま叶えられる。
少し良い豆を買って、時間をかけてコーヒーを淹れる。立ち上る匂いを、誰にも急かされず嗅いでいる。好きなお茶を、ゆっくり飲む。気になっていたお菓子を、誰の目も気にせず一人で食べる。
ただの休憩だったはずのものが、違う時間になっていく。
食べたいものを、まっすぐ選ぶ。それだけで、もう十分だと思う。
途中でやめる、変える
今日は映画を観よう、と決めて再生する。でも二十分ほど観たところで、「今はこれじゃないな」と気づく。そのまま、消してしまう。
本を数ページ読んで、閉じる。散歩の途中で、気が変わって帰る。お店に入ったけれど、何も買わずに出る。最後までやり切らないまま、手放してしまう場面は、思っているより多い。
誰かと一緒だと、途中でやめるのは、なんとなく気が引ける。相手の時間も一緒に止めてしまうような気がして。一人だと、それがない。始めたことを、途中でやめてもいいし、決めていた予定を、その場で変えてもいい。
失敗というほどのことでもない。今の気分に従っただけ。
何もしない時間を選ぶ
仕事や人付き合いで、擦り減っている日がある。そういう日は、ベッドに横になって、ただ天井を眺めている。
何も予定を入れず、何も始めず、そのまま時間が過ぎていく。
「何もできなかった」のと、「今日は何もしない」と自分で決めたのは、似ているようで、少し違う。
疲れているのに、無理に外へ出て、何かを始めようとすると、それ自体が”新しい負担”になる。そういう日は、休むことが一番になる。ただ横になっているだけの日もある。
もちろん、何もしない時間が落ち着かない人もいる。それも、無理に変える必要はないよ。ただ、疲れている日にまで「楽しまなければ」と力を入れなくてもいい、というだけの話だから。
ひとり時間を「うまく過ごそう」としない

自分の感覚に合わせる。それも、一日中となると、案外しんどい。
丸一日ではなく、短い時間から楽しむ
休日の朝から夜まで、充実したスケジュールを組んでみようとする。朝はここへ行って、昼はこれをして、夜は……と考えているうちに、面倒になってくる。
結局、何も決まらないまま、午後になっている。
丸一日を完璧に満たそうとするから、動けなくなる。
仕事から帰ったあとの三十分。
お風呂上がりの二十分。
起きてすぐの十分。
そのくらいの短さでいい。その時間だけ、自分のために使うと決めてみる。長さを競わなくてもいい。短い時間でも、自分の感覚に少しでも合っていれば、それで足りることもある。
一日をまるごと変えようとしない。
帰り道の、ほんの少しの時間からで、十分。
スマホを見る時間も、自分で選べばいい
一息ついた瞬間、”なんとなく”スマホを取り出して、SNSを眺め続ける。
一方で、「あの動画の続きを見よう」と決めて、”自分から”開く時間もある。
同じスマホなのに、後に残る感覚がまるで違う。
片方は、何をしたいか分からないまま、ただ流されている。
もう片方は、見たいものがあって、そこへ向かっている。
スマホを見ることそのものが、悪いわけじゃない。
そこに、自分の意思があったかどうか。
「このゲームをやろう」
「今はこれを見て笑おう」
そうやって自分から選んだのなら、それはもう、自分の時間。
ひとり時間は、何をするよりどう過ごすか

ふと、予定が空く。
何をしようか、まだ決まっていない。
お茶を淹れてみようかな、と思って、湯を沸かす。沸くまでの時間、特に何も考えていない。窓の外を見たり、少し伸びをしたり。何をするか、まだ迷っている。
以前なら、この「決まっていない」という状態そのものに、少し焦っていたと思う。早く何かを選ばないと、時間が過ぎてしまう。何もしないまま夕方になったら、また今日も無駄にしたと思うんだろう、って。
でも今は、迷っている時間も、”そのまま自分の時間”になっている気がする。
お茶が沸いて、湯気が立つ。
それを見ながら、まだ何をするかは決めていない。
本を開くかもしれないし、美味しい夕食のメニューを探す時間になるかもしれない。行ってみたいところを探す時間になったり、このまま座っているだけかもしれない。
決めていないことが、不安じゃない。
今日は、何を食べよう。
ひとりの食事なら、好きなものを好きなように。
そんな時間に選びたいものを、集めているよ。

何をしても、しなくても。
自分で決められる。
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