「なぜ、頑張っても報われないんだろう…」
社会の理不尽さに、心がモヤっとすること、あるよね。
この記事を読めば、そのモヤモヤの正体もわかるし、複雑な社会を生き抜くための、あなただけの「心の指針」が手に入ると思うよ。
ここでは、哲学者ロールズの「無知のヴェール」という考え方を、誰にでもわかるように解説していくよ。さらに、それを人間関係や日々の悩みに活かす、具体的な思考の型までお伝えするね。
20世紀後半から現代にかけて最も影響力のある哲学者が遺した、深くて確かな知恵に基づいているんだ。きっとあなたの思考の土台への一助となるはずだよ。
一生モノの考え方を、一緒に見ていこうか。
そもそも、ジョン・ロールズの思想は「何」を解決しようとしたのか?
ロールズの思想を本当に理解するための最短ルートは、彼が人生をかけて立ち向かった「巨大な問い」を知ることだと思う。本格的な解説に入る前に、まずは彼の思考の出発点を、一緒に見ていこうか。
人物と時代背景。なぜ彼は生涯「公正さ」を問い続けたのか
ジョン・ロールズ(1921-2002)。
アメリカの哲学者だよ。
彼の主著である『正義論』は、現代の哲学における最も重要な一冊と言っても、決して大げさじゃないだろう。
彼が生きた時代は、二度の世界大戦やベトナム戦争、そして根深い人種差別など、まさに「正義」が根底から問われる出来事で満ちていたんだ。人間というものは、やはり自分が生きる時代の空気から、自由ではいられないものだね。
ロールズもまた、社会に存在する理不尽な格差や、声なき人々の犠牲を目の当たりにして、こう問い続けたんだよ。
「そもそも、みんなが心から納得できる社会の基本的なルールとは、一体どのようなものだろうか?」
彼はただ書斎にこもる学者じゃなかった。現実社会の痛みに心を寄せ、理論という武器で世界と格闘した人物だよ。
「公正としての正義」とは?ロールズ思想の全体像を掴む
ロールズの思想を貫く、最も重要なキーワード。
それが「公正としての正義(Justice as Fairness)」だ。
うん。少し硬い言葉だね。でも、彼が言いたかったことは、とてもシンプルだよ。
ここで言う「正義」とは、個人の善悪や道徳のことじゃない。彼が問題にしたのは、社会の“骨格”となる、基本的な仕組み(法律、政治体制、経済システムなど)が、誰にとっても“フェア”であることだったんだ。
これは、家づくりに少し似ているのかもしれないね。
どんなに素敵な家具を置こうとしても、家の土台や柱が傾いていては、安心して暮らすことはできないだろう。ロールズが考えたのは、この最も大事な社会の「設計図」のことなんだ。
この記事を通じて、この「公正としての正義」が何を意味するのかを、一つひとつ解き明かしていこう。
思考実験の前提。ロールズが考えた「人間」の2つの能力
これから紹介するロールズの思考実験は、少し変わっているよ。そのユニークな実験を理解するために、少しだけ準備運動をしようか。
ロールズは、人間をただ欲望のままに動く存在だとは考えなかった。彼は、私たち人間が、最低限、以下の2つの能力を持っていると信じたんだ。
善の構想力:自分にとっての“良い人生”とは何かを考え、それを見つけ、実現したいと願う力のこと。
正義感覚:自分だけでなく、社会で他人と協力していくためには、お互いにとって公正なルールが必要だと理解し、それに従おうとする力のこと。
これは、完璧な聖人をイメージしているんじゃないよ。
自分の幸せも願いつつ、社会の一員としてフェアであろうとする、あなたの中にも、私の中にもある、ごく自然な心の働きのことだ。この人間への静かな信頼が、彼の思想の土台となっているんだね。
自尊心の基盤(最も重要な基本財)
ロールズは、誰もが公正な社会のルールを選ぶ際に、「基本財(Primary Goods)」と呼ばれる、人生を計画し実現するために誰もが必要とするものを最大化しようと考えたんだ。
所得や富、自由と並んで、彼はこの基本財の中で「自尊心の基盤」を最も重要視した。
なぜなら、人間が自分の人生に価値を見出し(善の構想力)、社会の一員としてフェアであろうとする(正義感覚)ためには、まず自分自身を尊重できる土台がなければならないからだよ。
公正な社会とは、一人ひとりが自分の価値を信じ、尊厳を持って生きられる基盤を与えることだ、というロールズの強い信念がここに表れているね。
「無知のヴェール」とは?「自分を忘れる」思考実験をわかりやすく解説
さて、いよいよロールズ思想の心臓部、「無知のヴェール」の登場だよ。
彼は、公正な社会のルールを決めるために、架空の会議室「原初状態」を想定するんだ。そして、その参加者たちに、「無知のヴェール」という不思議なヴェールを被せる。
このヴェールを被ると、人は自分に関するあらゆる情報を、すっかり忘れてしまうんだ。
自分がどんな人間か忘れる
性別、年齢、人種
才能、知能、身体能力
家が裕福か、貧しいか
どんな宗教や価値観を持っているか
なぜ、こんな奇妙な設定が必要なのだろう。
それは、自分にだけ有利なルールを作れないようにするためだよ。これは、「誕生日ケーキを公平に分ける方法」を考えると、とても分かりやすいね。
もし、あなたがケーキを切る役目で、自分は一番大きなピースが欲しいと思ったら、どうするだろう?
簡単だよね。自分にだけ、こっそり大きく切ればいい。
では、「ケーキを切る人が、一番最後に自分のピースを選ぶ」というルールだったらどうだろうか。
おそらくあなたは、誰がどのピースを取っても損をしないように、息を止めて、寸分たがわず均等に切ろうとするはずだ。自分の取り分が、あの小さなカケラになるかもしれないんだからね。
この「自分がどのピースを取るか分からない」という状態こそが、「無知のヴェール」だよ。
これは、みんなで良い人になろう、という精神論じゃない。
むしろ、自分の利益を突き詰めて考えた結果、誰もが公平にならざるを得ない。
そんな仕組みなんだ。
【補足】
この「原初状態」にいる人々は、他人の利害には関心がなく、自分の利益を最大化することだけを考える「合理的無関心(mutually disinterested)」な存在だとされている。
これは、彼らが聖人だからではなく、誰もが自分にとって最善の選択をするという、ロールズの理論の出発点を明確にするためだね。
【対比で理解】「功利主義」の欠点こそがロールズ思想の出発点
ロールズが登場するまで、社会のルールを考える上で大きな力を持っていたのが「功利主義」という考え方だね。「最大多数の最大幸福」をスローガンに、社会全体の幸福の総量が最も大きくなるルールが良いルールだと考える。
一見、とても合理的で分かりやすい考え方だ。
しかし、これには一つ、大きな落とし穴がある。
それは、
全体の幸福のためなら、少数の人が犠牲になることを許してしまう可能性がある、
ということだよ。
例えば、
「社会の安全のために、たった一人、無実の人を犠牲にすることを、あなたは許せますか?」
功利主義の考えを突き詰めると、それに「YES」と答える余地が、どうしても生まれてしまうんだ。
ここで、先ほどの「無知のヴェール」を思い出してほしい。
もし、ヴェールの裏で、あなたがその“たった一人”の犠牲者になる可能性が少しでもあったとしたら…? あなたは、功利主義的な社会のルールに、賛成しない可能性が高いはずだ。
ロールズは、どんなに大きな社会の利益のためであっても、決して個人を“全体の道具”として扱ってはならない、と考えたんだ。この、一人ひとりの人間への深い尊重こそが、彼の思想の出発点だったんだね。
この章のポイント
ロールズは、誰もが納得できる「公正な社会のルール(公正としての正義)」を探求した。
そのために、自分の立場や才能を忘れる「無知のヴェール」という思考実験を考案した。
公正なルールを決める人々は、自分にとって最も重要な「自尊心の基盤」といった基本財を確保しようとする。
「無知のヴェール」の裏では、合理的無関心な人々が、全体の幸福より「一人ひとりの尊厳」が決して犠牲にされないルールを選ぶはずだと考えた。
ロールズの思想が導く「公正な社会」の2つの絶対ルール

「無知のヴェール」の裏側で、自分という存在を忘れた人々。彼らは、一体どのような社会のルールを選ぶのだろうか。
ロールズは『正義論』の冒頭で、「正義とは、社会制度の第一の徳である」と述べた。彼にとって正義とは、単なる理想ではなく、社会が持つべき最も基本的な機能だったんだ。
その機能を果たすために、合理的な人間であれば最終的に全員が合意するであろう「2つのルール」を、彼は導き出した。
これこそが、彼の思想の心臓部である「正義の二原理」だよ。
一つひとつ、丁寧に見ていこう。
【最重要】なぜ「自由」は経済的な豊かさより優先されるのか?
2つのルールを解説する前に、一つだけ、絶対に知っておいてほしいことがあるんだ。
それは、この2つのルールには、決して覆すことのできない「優先順位」がある、ということだよ。
結論から言うと、第一のルール(自由の保障)は、第二のルール(格差の是正)よりも、絶対に優先される。
少し、考えてみてほしいんだ。
もし、「政府や社会を一切批判しない、という自由を放棄する代わりに、国民全員に毎年1000万円を支給します」という社会があったとしたら。あなたは、そのルールに心の底から同意できるだろうか。
おそらく、多くの人が「いや、それは違う!」と、胸の内でざわつくものを感じるはずだ。
なぜなら私たちは、たとえ経済的に豊かになったとしても、自分が何を信じ、何を考え、どう生きるかを自分で決める自由がなければ、本当の意味で満たされないってことを、どこかで知っているからね。
ロールズは、人間を単にお腹が満たされれば満足する存在として見ていなかった。
自分自身の生き方を、自ら考え、選び取る尊厳ある存在として捉えたからこそ、何よりもまず、その土台となる「自由」を保障するルールを最優先したんだ。
第一原理:「平等な自由」という絶対に譲れない土台
その最優先されるべき第一のルールが、「平等な自由の原理」だよ。
ロールズは、「各人は、基本的自由に対する平等の権利をもつべきである」と、簡潔に、力強く宣言した。
平たく言うと、「誰もが、基本的な自由を平等に、そして最大限持てるようにするべきだ」という考え方だね。
ここでいう「基本的な自由」とは、例えば以下のようなものだ。
思想や良心の自由(何を考え、信じるかは自由)
表現の自由(自分の意見を表明する自由)
身体の自由(不当に拘束されない自由)
政治に参加する権利(選挙権など)
これらは、現代の多くの国で「基本的人権」として憲法で保障されている。ロールズの思想は、その理論的な土台の一つになっているんだね。
この原理は、国や社会が私たちに何かを強制するためのものじゃない。
むしろ、国や社会が「これだけは、個人から絶対に奪ってはならない」と宣言する、私たち一人ひとりを守るための“盾”のようなものだと考えてほしい。
第二原理:格差を「公正」だと認めるための2つの厳しい条件
さて、自由さえ保障されれば、あとはどんな社会でも良いのだろうか。
もちろん、ロールズはそう考えなかった。自由な社会では、人々の才能や努力、そして運によって、どうしても経済的・社会的な「格差」が生まれてしまうからね。
彼は、ある種の格差は社会の活力になると認めつつも、それが野放しにされることを強く警戒したんだ。そして、格差が「公正」であると認められるためには、次の2つの厳しいフィルターを、この順番通りにクリアしなければならない、と考えた。
フィルター①:公正な機会均等の原理
生まれた家庭環境や経済状況に関わらず、誰もが教育を受け、才能を伸ばし、社会的地位を目指すチャンスを、実質的に平等に与えられるべき、というルールだ。
フィルター②:格差原理
その上でなお生じる格差は、社会の中で最も恵まれない立場にある人々の暮らしを、最大限良くすることに繋がる場合にのみ、許されるというルールだ。
この2つのフィルターの関係は、公正な「レースのルール」に例えると分かりやすいかもしれない。
まず、全員が同じスタートラインに立てるようにする(機会均等)。
その上で、レースの結果として生じた差(格差)が、最終的にチーム全体、特に最も走るのが遅い人のためになるなら、その差を認めよう。
これが、ロールズが考えた公正な社会のイメージだね。
なぜ「最も弱い立場の人を救うルール」が合理的な選択と言えるのか?
特にユニークなのが、2番目のフィルターである「格差原理」だよ。
なぜ、才能ある人や努力した人を優遇するのではなく、「最も弱い立場の人」を基準に考えるのが、合理的だと言えるのだろうか。
その答えは、やはり「無知のヴェール」にある。
ヴェールの裏で、あなたはこれから生まれる社会のルールを選ばなければならない。目の前には、2つの選択肢があるんだ。
社会A: 平均所得は非常に高い。しかし、ごく一部の大富豪がいる一方で、最下層の人々は非常に悲惨な生活を送っている。
社会B: 平均所得はAより低い。しかし、社会全体で支え合う仕組みが整っており、最も貧しい人でも、人間らしい最低限の生活が保障されている。
あなたは、自分が大富豪になるか、悲惨な最下層になるか、全く分からない。その状況で、どちらの社会のルールに、自分の未来を託すだろうか。
おそらくあなたは、自分が悲惨な最下層になるリスクを冒すような「危険な賭け」は避けるはずだ。それよりも、たとえ一番不運な立場になったとしても、最低限の生活は保障されている「社会B」を選ぶんじゃないかな。
この、「最悪の事態(ワーストケース)を、できるだけマシにする」という考え方を、マキシミン・ルールと言うんだ。
利益を得るよりも、損失の回避が優先なんだね。(心理学では「損失回避の法則」と呼ばれているよ)
つまり、格差原理は、単なる弱者への「同情」から生まれたルールではない。
自分がどうなるか分からないという不確実な状況下で、誰もが合理的に選ぶであろう、最もクレバーな「保険」のような発想なんだね。
この章のポイント
ロールズの思想には2つの原理があり、何よりもまず「自由」(第一原理)が優先される。
その上で生じる「格差」は、①公正な機会均等 と ②最も恵まれない人の利益を最大化する(格差原理) という2つの条件を満たす場合にのみ許される。
格差原理は、自分が最悪の状況に陥るリスクを避けるという、極めて合理的な判断(マキシミン・ルール)に基づいている。
【深掘り分析】なぜロールズの思想は、私たちの心をこれほど揺さぶるのか
ここまで、ロールズの思想の骨格を見てきたね。とても論理的で、隙がないように感じられたかもしれない。
だけど、彼の思想を本当に自分のものにするためには、一歩引いて、異なる視点から光を当てることも大切だよ。そうすることで、かえってその輪郭がくっきりと見えてくることもありますから。
この章では、ロールズ思想への主要な批判に触れつつ、それでもなお、現代を生きる私たちが彼の考えから学ぶべき「本当の意味」について、少し深く掘り下げてみたい。
サンデル達が指摘するロールズ思想の限界と問題点とは?
もちろん、ロールズの思想も完璧じゃないよ。
発表されて以来、様々な哲学者から重要な問いが投げかけられてきた。
その中でも、最も有名で、私たちの感覚にも分かりやすい批判の一つが、マイケル・サンデルに代表されるコミュニタリアニズム(共同体主義)の立場からのものだ。
彼らの批判のポイントを、かみ砕いて言うと、おおよそ次のようになるね。
批判点1:「無知のヴェール」で人間を捉えることへの疑問
そもそも人間というものは、自分が誰かの子供であり、どこかの地域社会の一員であり、日本人である、といった具体的な属性から切り離して考えることなどできないんじゃないか。
「無知のヴェール」を被った個人は、あまりに抽象的で、現実の人間とかけ離れすぎているんじゃないか、という指摘だ。
うん、確かにそう感じる部分もあるだろう。
批判点2:「善」より「正義」を優先することへの違和感
ロールズは、個人がどんな生き方を「善い」と考えるか(価値観)よりも、個人の自由を守る「正義」のルールの方が優先されるべきだと考えた。
しかしサンデルらは、「そもそも、私たちがどのような共同体で、どのような生き方を善いとするかを共有していなければ、公正なルールなど決められないのではないか」と問い返す。
この対立は、少し見方を変えれば、
“クールな個人の尊厳”を重視するロールズと、
“温かい共同体の繋がり”を重視するサンデルという、
私たちの心の中にもある2つの大切な価値観の対話のようにも見えるね。
どちらか一方が完全に正しい、というわけではないのかもしれない。
ロールズの思想は「万能の答え」ではなく「最高の“問い”」である
では、サンデルらによるこのような鋭い批判によって、ロールズの思想は時代遅れになってしまったのだろうか。
私は、全くそうは思わないよ。
ロールズの思想が持つ本当の価値は、私たちにあらゆる問題の「万能の答え」を与えてくれることではないんだ。
むしろ、社会のあり方を考え、自分自身の生き方を見つめる上で、決して無視することのできない「最高の“問い”」を、私たちに投げかけてくれる点にある。
彼の思想に触れると、私たちは次のような問いを、自分自身に突き付けられることになる。
- 「あなたのその成功は、本当にあなた”一人”の努力と才能のおかげですか?」
- 「いま社会で当たり前とされているルールは、最も弱い立場にいる人々の視点から見ても、本当に”フェア”だと言えますか?」
- 「あなたは、自分が属する集団の感情や論理から一度だけ離れて、物事を考える”視点”を持っていますか?」
これらの問いは、サンデルが大切にする「共同体」を考える上でも、実は極めて重要だ。なぜなら、「良い共同体」とは、その内部にいる最も弱い立場の人々を安易に切り捨てたり、犠牲にしたりしない共同体のことでもあるはずだからね。
そして何より、「自己責任」という言葉が、時に冷たく、時に暴力的に響く現代社会において、ロールズの思想が持つ意味は、計り知れないほど大きいように感じるよ。
- 「あなたの才能は、社会全体の“共有財産”でもある」
- 「最も恵まれない人々への配慮こそが、社会の公正さの指標となる」
彼のメッセージは、バラバラになりがちな社会の中で、私たちが見失いかけている“繋がり”や“連帯”の感覚を取り戻すための、極めて重要な知的ツールなんだ。
この章のポイント
ロールズの思想には、「共同体の価値を軽視している」といったサンデルらからの重要な批判も存在する。
しかし、彼の思想の本当の価値は、私たちに「万能の答え」ではなく、社会や自分を見つめ直すための**「最高の問い」**を投げかけてくれる点にある。
特に「自己責任論」が強まる現代において、彼の思想は、社会の連帯を取り戻すための重要な視点を与えてくれる。
【実践編】日常で使える!ロールズの思想から生まれた4つの思考の型
ここまで、ロールズの思想の地図を広げ、その意味を深く探ってきたね。ここからは、その地図を片手に、あなたの日常という名の道を歩くための、具体的な「思考の型」をご紹介するよ。
これからご紹介する思考の型は、決してあなたの悩みを一瞬で消し去るものではない。特に、心が本当に疲れている時や、相手が全く対話に応じない状況では、無理に使う必要はないからね。
大切なのは、完璧に実践することではなく、「自分や物事を、ほんの少し違う角度から見てみる」という視点を、選択肢として持っておくことだ。
うまくいかなくても、自分を責めないでほしい。まずは、あなたの心を守ることを最優先し、少し余裕のある時に、お守りのように思い出してもらえたらと思うよ。
思考の型①「自己責任」という名の呪縛から心を解放するワーク
こんな悩みに…
つい、自分の能力や環境を他人と比べて、心がチクチク痛む。
成功は自分の手柄、失敗は全て自分のせいだと、白黒つけて考えすぎてしまう。
変えられない過去への後悔や、「もっとこうだったら」という思いに、心が囚われがち。
この思考の型は、あなたを縛る「自己責任」という重すぎる荷物を少しだけ下ろすための、自分と“偶然”を切り分ける心の整理術だ。
Step1:自分の「手札」を書き出す
まず、静かな場所で、紙とペンを用意してみてほしい。そして、あなたがこれまでの人生で、有利だと感じたこと(才能、良い出会い、恵まれた環境など)と、不利だと感じたこと(コンプレックス、不運な出来事など)を、思いつくままに書き出してみよう。
これらは全て、あなたが選んだわけではない、人生の最初に偶然配られた「手札」のようなものだ。
Step2:「これは、私のせいではない」と線を引く
書き出した手札を、静かに眺めてみてほしい。
特に、あなたがずっと「自分のせいだ」と責めてきた不利な点について、心の中でそっと線を引いてみよう。そして、「これが今の自分に影響しているのは事実だ。でも、その責任のすべてが、私にあるわけではない」と認めてあげて。
そんなに頑張ってきたら、疲れるのも当然だよ。
Step3:「では、この手札で何ができるか?」に焦点を移す
最後に、意識を「過去」から「今、ここから」へと移す。
配られたカードの良し悪しを嘆くゲームは、一旦終わりだ。「さて、この手札を使って、これからどんな小さな一歩なら踏み出せるだろう?」と、未来に向かって問いを立ててみよう。
これは、現実から目をそむけたり、努力を否定したりするためのものじゃない。背負いすぎた心の重荷を一旦下ろして、再び前に進むためのエネルギーを回復させる、あなた自身のための“戦略的休息”なんだ。
思考の型②人間関係の対立を「協力ゲーム」に変える対話術
こんな悩みに…
意見が違う相手と、いつも感情的な言い争いになって、どっと疲れてしまう。
家族や職場で、役割分担やルールについて、言いたいことがあるけど言えない不満が溜まっている。
自分の要求を伝えるのが苦手で、つい我慢してしまう。
この思考の型は、お互いの立場をぶつけ合う“ポジション争い”から、二人でより良い未来を作る“ルール作り”へと、視点を切り替えるための、一つの問いかけだ。
提案:「少しだけ、今の話から離れて、未来の話をしませんか?」
言い争いが平行線になった時、あるいはなりそうな時に、勇気を出してこう切り出してみてほしい。そして、次の「問い」を投げかけてみるんだ。
問い:「もし、私たちが明日初めて出会って、ゼロからこのチーム(家族)を作るとしたら、お互いが気持ちよく過ごすために、どんな『たった一つの大事なルール』を作りますか?」
なぜ、この問いが有効なのだろうか。
それは、現在の利害や過去のいきさつといった「しがらみ」から、お互いを心理的に解放するからだよ。
「どっちが正しいか」という過去への責任追及から、「どうすればうまくいくか」という未来への協同作業へと、対話のモードが自然に切り替わりやすくなるんだ。
もちろん、いつでもうまくいくとは限らない。だけど、この問いは、固く閉じてしまった扉を、コンコンと優しくノックするような、そんなきっかけになるかもしれない。
思考の型③:情報の荒波に溺れない「自分軸」を作る2つの質問
こんな悩みに…
SNSで流れてくる極端な意見に、心がザワザワしたり、つい感情的になったりしてしまう。
複雑な社会問題のニュースを見ると、何が正しいのか分からなくなり、思考がぐるぐるしてしまう。
この思考の型は、情報過多の海であなた自身を見失わないための、思考を守る“2つの防波堤”だ。ロールズの「正義の二原理」を、日常で使えるシンプルな質問に翻訳したよ。
質問1(自由の防波堤):「その意見やルールは、誰かの基本的な自由を不当に奪っていないか?」
質問2(格差の防波堤):「それによって最も損をするのは、もともと弱い立場にいる人ではないか?」
何か情報に触れて、心が大きく揺さぶられた時。すぐに反応するのではなく、一呼吸おいて、この2つの質問を自分自身に投げかけてみてほしい。
これは、すぐに白黒つけるためのものじゃない。むしろ、すぐに答えを出さないための“思考のブレーキ”だ。感情的な反応の渦から一歩だけ距離を置き、冷静さを取り戻すための時間を作ってくれる、お守りのような問いだと考えてほしい。
【独自解説】なぜこの思考法は、私たちの「心の仕組み」に響くのか
最後に、少しだけ、これらの思考法が持つ“秘密”を明かそう。なぜこれらは、単なるお題目ではなく、実際に私たちの心に響くのだろうか。
実は、これらの思考法は、驚くほど人間の「心の仕組み」に沿っているんだ。
思考の型①(自己責任解放)は、自分のコントロールできることとできないことを分ける心理学のテクニック「認知の再体制化」であり、不安や無力感を和らげる効果がある。
思考の型②(対話術)は、過去の失敗を責めるモードから、未来の可能性を探るモードへと「思考のフレームを切り替える」ことで、脳をより創造的で、協力的な状態に導く。
思考の型③(2つの質問)は、感情的な反応を司る部分の働きを少しだけ抑え、理性的な思考を司る「前頭前野」を活性化させる「メタ認知のトレーニング」になる。
ロールズは哲学者だったけど、彼の深い洞察は、図らずも人間の心の真理に触れていたんだね。
彼の思想が時代を超えて私たちの心を捉えるのは、その論理的な美しさだけでなく、私たちの弱さや理性に、深く寄り添う“人間理解”に根差しているからなのかもしれない。
この章のポイント
ロールズの思想は、日常の悩みを乗り越えるための具体的な「思考の型」として活用できる。
型①: 過剰な自己責任論から抜け出すには、自分と「偶然」を切り分けて考える。
型②: 人間関係の対立は、「もしもゼロから始めたら?」という未来志向の問いで突破口が見えることがある。
型③: 情報に流されないためには、「自由」と「弱者への影響」という2つの視点を持つことが有効。
Q&A:ジョン・ロールズの思想に関する、よくある疑問を解消
ここまで読み進めてくださったあなたの中に、まだ残っているかもしれないいくつかの疑問。この章では、ロールズの思想についてよく聞かれる質問に、できるだけ簡潔にお答えしていくね。
Q1. ロールズは「結果の平等」を求めたのですか?
結論から言うと、全く違うよ。
ロールズが目指したのは、全員が同じ給料をもらい、同じ家に住むような「結果の平等」ではなかった。彼が何よりも重視したのは、誰もが人生のスタートラインで不当な不利益を被ることのない、「機会の公正な平等」だ。
彼の考え方を具体例で言うと、こうなる。
「医者と清掃員の給料に差があっても構わない。ただし、その差が、最も立場の弱い清掃員の生活を最大限良くするために役立っており、かつ、誰もが本人の努力と才能次第で医者を目指せるチャンスが実質的に保障されているなら、その格差は“公正”だ」
ロールズは、人々の努力や挑戦する意欲を削ぐような社会ではなく、誰もが自分の可能性を信じて挑戦でき、たとえ失敗したとしても、社会全体で支え合えるような、しなやかで力強い社会を思い描いていたんだ。
Q2.「無知のヴェール」を現実で使うことは可能ですか?
もちろん、自分の記憶を完全に消したり、自分の立場を完璧に忘れたりすることは、誰にもできない。そういう意味では、物理的に「無知のヴェール」を被ることは不可能だ。
だけど、ロールズが私たちに伝えたかったのは、そういうことではないのだと思うよ。
彼が意図したのは、「もし、自分が相手の立場だったら?」「もし、自分にこの才能がなかったとしたら?」と、意識的に想像力の翼を広げることの大切さだ。
「無知のヴェール」の本当の価値は、100%完璧に実践することにあるのではない。自分中心のものの見方から、ほんの少しでも意識的に離れようとする、その「精神的な態度」そのものにあるんだ。
これは、思考の“筋トレ”のようなものかもしれない。毎日少しずつでも「もしも」を想像する癖をつけることで、あなたの共感力や多角的な視点は、きっと着実に鍛えられていくと思うよ。
Q3. ロールズの思想をもっと深く知るためのおすすめ本は?
この記事を読んで、ロールズの思想の世界にもう少しだけ足を踏み入れたい、と感じてくれたならとっても嬉しい。次の一歩として、私が心からおすすめできる本を2冊、ご紹介するよ。
最初の一冊として:マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』
ロールズだけでなく、功利主義やリバタリアニズムといった、様々な「正義」についての考え方が、非常に分かりやすい言葉で解説されている。ロールズの思想を、より広い地図の中で位置づけながら理解できる、最高の入門書だね。本格的な入門書として:仲正昌樹『いまこそロールズに学べ』
ロールズの主著『正義論』に、いきなり挑戦するのは少しハードルが高いかもしれない。その前に、信頼できる日本の研究者が書いた、こうした丁寧な解説書を一度読んでおくことで、挫折することなく、思想の全体像をより深く、正確に掴むことができるはずだ。
本を読む際は、全てのページを完璧に理解しようと気負う必要はないよ。今
回学んだ「無知のヴェール」や「正義の二原理」といった言葉を“地図”のように使いながら、気になるところをつまみ食いするように読むだけでも、新たな発見がきっとあるはずだ。
まとめ。ロールズの思想は、あなただけの「一生モノの心の指針」になる

私たちはこの記事で、ジョン・ロールズという一人の哲学者が遺してくれた、壮大で、非常に人間的な思索の跡を辿ってきたね。
彼が私たちに教えてくれたのは、こういうことだったのかもしれない。
「もし、私たちが自分の立場や利害を一旦忘れて、純粋に理性的で、共感的な心で社会のルールを決められるなら、きっと誰もが基本的な自由を尊重し、最も弱い立場の人々を思いやるような社会を選ぶはずだ」
それは、人間という存在に対する、静かで、しかし揺るぎない信頼の表明だったね。
ロールズの思想は、あなたが人生で直面するあらゆる問題に、すぐに答えを出してくれる便利なものではない。
しかし、私たちが人生の岐路で迷ったとき、社会のあり方に疑問を感じたとき、
「より公正なのはどちらか?」
「より弱い立場の人々の声に耳を傾けているのはどちらか?」
と自問するための、決してぶれることのない「心の指針」を与えてくれる。
社会は、理不尽なことで溢れている。どうしようもなく、納得できないこともたくさんあるだろう。
だけど、そんな世界でいかに尊厳を失わずに生きていくか。そのための思考の武器は、今、あなたの手の中にあるんだ。
何か一つでいい。
ニュースを見るとき、誰かと意見が対立したとき、
ふとロールズの視点を思い出してみてほしい。その小さな一歩が、あなたの世界の見え方を、そして未来を、少しずつ変えていくはずだよ。
【この記事のポイント】
ロールズの思想は、誰もが納得できる「公正な社会のルール」を探求したもの。
その核心は「無知のヴェール」という思考実験と、そこから導かれる「正義の二原理」にある。
彼の思想は、現代社会が抱える「不公平感」や「自己責任論」を乗り越えるための、強力な思考の型を与えてくれる。
それは「万能の答え」ではなく、私たちがより良い社会と人生を築くための、一生モノの「心の指針」となる。
このブログでは、こうした先人の知恵を借りながら、私たちがより幸せに、そして豊かに生きていくための「考え方」や「物事の捉え方」を、これからも探求していくよ。
もしよかったら、他の記事も覗いてみてね。
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