練習では、うまくいく。
本番では、うまくいかない。
同じ人間が、同じことをやっているだけなのに…。
名前を呼ばれるまでは、平気だった。
何度も練習した。言うことも決めていた。
それなのに、いざ自分の番になると、「うまくやらなきゃ」が急に大きくなる。
手が冷たい。
喉が乾く。
うまくやろうとするほど、うまくやれているかを確認してしまう。
落ち着けない自分を、さらに落ち着かせようとする。
そうしているうちに、だんだんから回っていく。
不思議なのは、うまくやろうとしているのに、その意識がかえって動きをぎこちなくすることがあることだ。
本番で何が起きていたのかは、結果だけでは分からない。
もしかすると、プレッシャーに強い人は、揺れない人ではないのかもしれない。
なぜプレッシャーがかかると「いつもの自分」でいられないのか

大事な場面になると、体は勝手に反応をはじめる。
心拍が上がる。呼吸が浅くなる。頭の中が、少しだけ狭くなったような感覚。
けれど、この反応そのものと、その人が持っている実力は、別のところにある。
反応が出た、それだけの話。
技術や能力が消えたわけじゃない。
じゃあ、あの瞬間、いったい何が変わっているんだろうね。
本番で消えるのは、実力ではなく注意
練習ではできていたのに、本番になると急にできなくなる。
そういう時、消えているのは実力じゃないんだよ。
動いているのは、注意。
結果や評価に、注意を奪われる
「失敗したらどうしよう」
「変に思われないだろうか」
そう考え始めた瞬間、意識は目の前の作業から離れて、まだ起きていない結果や、他人の目の方へ流れていく。
プレゼンの本番中、伝えたい内容よりも「今、どう見られているか」の方が気になってしまう。あの感覚。
話す内容は同じなのに、注意の置き場所だけが変わっている。
面接でも同じことが起きる。質問への答えより先に、”評価そのもの”に気を取られてしまう瞬間があるからね。
自分の動きを、意識しすぎる
もう一つの崩れ方は、少し違う。
普段は何も考えずにできている動作を、本番になると急に、細かく確認し始めてしまう。
スポーツの選手が、いつもは体が覚えている一連の動きを、本番のここぞという場面で一つひとつ意識してしまう。そういう話を聞いたことがある。
意識した瞬間、なめらかだったものがぎこちなくなる。
皮肉な話だけど、うまくやろうとする意識そのものが、うまくいっていた動きを止めてしまうことがある。
結果を気にしすぎるか、自分を監視しすぎるか。
向かう方向は違っても、共通しているのは一つ。
注意が、”本来向けたい場所”から外れてしまうこと。
緊張していてもできる。それでも消耗する

ただ、緊張していても、何とか乗り切れる時もあるよね。
終わってみれば、いつも通りの結果を出せていたりする。
……でも、その夜、やけに疲れていることはないかな。
うまくいったはずなのに、体の奥がずしんと重い。眠ってもなかなか抜けない疲労。
それは、緊張していても結果を出せたことと引き換えに、普段より多くの力や、見えない負荷を使っていた可能性がある。
できた、できなかった。その二択だけで自分を測ると、この部分が見えなくなる。
同じ結果でも、そこにかかっていた負荷は、別物だったりするからね。
プレッシャーに強い人は、揺れても戻れる
じゃあ、プレッシャーに強い人って、いったい何が違うんだろう。
強く見える人も、緊張や不安を感じていることはあるよ。
外から落ち着いて見えることと、内側で何も感じていないことは、同じじゃない。
違うのは、そこから先。
揺れた後に、どこへ戻るか。
緊張しているな、と気づく。そこで「まずい、こんなんじゃダメだ」と自分を責め始めると、今度はその「まずい自分」の方が気になって、また意識がそっちに向いてしまう。
それに気づくための注意だったはずなのに、いつのまにか新しい監視の対象に変わって、また本来の場所から離れていく。
そうじゃなくて。
揺れることは前提にしておく。
そのうえで、
注意がそれた瞬間に、今やるべきことへ戻す。
それだけの話。
どっしり構えるっていうのは、無風でいることじゃない。揺れながらも、自分の場所へ戻ってこられること。
プレッシャーの中で、注意をどこへ戻すか

じゃあ、実際にどこへ戻せばいいのか。
評価から、目的へ戻す
「どう思われるか」に意識が向いている時、たいてい注意は”自分自身の見え方”に集中している。
そこで一度、聞いてみるといい。
自分は今、何のためにここにいるんだっけ、って。
プレゼンなら、評価されるためじゃなく、何かを伝えるためにその場にいる。面接なら、うまく答えるためじゃなく、自分の考えを渡すためにいる。
評価を消す必要はない。ただ、今この瞬間に扱うべきものを、評価から目的へ移すだけ。
今、自分の注意がどこにあるか。それに気づくだけでいい。
「どう見えるか」を見ていたなら、そこから、今の自分が実際に扱えるもの、「何を届けたいのか」の方へ、視線をずらすだけ。
結果から、今やる一つへ戻す
プレゼンの直前、こんな考えが浮かぶ。
もし噛んだら。声が震えたら。相手が退屈そうな顔をしていたら。
気づけば、話す内容そのものより、まだ起きていない結果の方に、注意が持っていかれている。
「うまくいくだろうか」
まだ起きていない結果を、頭の中で何度も再生してしまう瞬間があるんだよ。
そこで、今、自分は何をしている?って聞いてみる。
たいてい答えは、まだ起きていない未来を考えている、というものになる。
結果は、その場ではまだ何も決まっていない。今できることは、目の前の一つだけ。
試験なら、合否じゃなくて、今この一問。
プレゼンなら、全体の評価じゃなくて、次の一文。
スポーツなら、勝敗じゃなくて、次の一動作。
結果を無視するわけじゃない。ただ、”今この瞬間に扱えるもの”じゃないから、いったん脇に置く。
扱えるのは、いつも「今やる一つ」だけだからね。
自分への監視から、目の前の対象へ戻す
「ちゃんとできているか」
「変な様子になっていないか」
そうやって自分を確認し始めると、確認するという行為そのものが、新しい負荷になる。
今、自分は自分を見ている。
気づいたら、視線を外に向けてみる。
相手の話を聞く。目の前の文章を読む。次の動作をする。
対象は、今、自分が取り組んでいるものだからね。
自分への注意を少し減らすことで、動作が自然に戻ることもあるんだよ。
緊張した自分から、一歩離れてみる
さっきまでの話は、注意をどこへ向けるか、という話。
ここでの話は、少し違う。向ける先ではなく、”自分と感情との距離”について。
緊張に飲み込まれている時、自分と感情がほとんど「一体化」している。
「どうしよう」
「無理かもしれない」
そういう言葉が、自分の内側からそのまま溢れてくる状態。
そこで無理に「冷静になれ」と言い聞かせても、あまりうまくいかない。
代わりに、視点だけ、少し外に置いてみる。
自分の名前を使って、心の中で語りかけてみるとか。
少し離れた場所から、緊張している自分を眺めているように、想像してみるとか。
感情を消すわけじゃないよ。緊張はそのままでいい。ただ、それを見ている位置を、少しだけずらす。
一体化していた自分と感情の間に、わずかな隙間ができる。
その隙間があると、感情にそのまま引っ張られず、次のことを考えやすくなる。
本番で戻るためのルーティンをつくる

「戻り方」というのは、思い出せなければ意味がない。
本番の真っただ中で、冷静に「今何に注意が向いているか」なんて、なかなか考えられないからね。
だから、あらかじめ決めておく。
深呼吸を一つ。机の上を整える。同じ言葉を一つ、心の中で唱える。
大きな儀式でなくていい。短くて構わない。
大事なのは、それをやれば必ずうまくいくということじゃない。
スポーツの世界では、本番前に決まった動作や思考を行うことが、パフォーマンスを支える可能性があると言われている。ここでは、その考え方を借りて、ルーティンを「戻るための足場」として使ってみる。
決まった手順があると、混乱しかけた時にも、戻る場所を探さずに済む。
本番でだけ戻ろうとしなくていい。
普段の練習の中で、少しだけ緊張する状況を作ってみる。人前で一度声に出してみる、時間を計って一問だけ解いてみる。そんな小さな負荷でもいい。
そこで注意がそれて、気づいて、戻ってくる。その一連の流れを、先に何度か経験しておく。
場数というと、本番の回数を増やすことだと思われがちだけど、今回の話で大切なのは、それる、気づく、戻る、という感覚を先に知っておくことの方だと思う。
先に置いておいた足場に、ただ乗ればいいだけだからね。
失敗を、次の失敗の予告にしない
もう一つ、戻りにくくする厄介なものが残っている。過去の失敗。
「また失敗したらどうしよう」
そう考える時、過去の出来事が、まるで未来を予告するもののように扱われている。
でも、あの時起きたことには、失敗した事実だけじゃなく、何が起きたか、何がまずかったか、その後どう対処したか、そういう情報も含まれているはずだよ。
無理にポジティブへ塗り替える必要はないよ。ただ、予告として扱うのをやめて、材料として置き直す。
失敗しないという自信は、一度崩れると総崩れになりやすい。
もう少し丈夫なのは、崩れても戻れるという感覚の方。
失敗を防ぐことより、失敗した後にどう動けるかの方が、実は頼りになる。
揺れても、戻れる自分でいい

プレッシャーに強いというのは、揺れない人になることじゃない。
緊張していい。手も震えていい。
大事なのは、それでも今やることへ、戻ってこられること。
少しだけ戻れた。それだけでいい。
その小さな積み重ねが、いつか、揺れることそのものを、恐れなくさせてくれるからね。
揺れてもいい。戻ればいい。
それだけで、もう十分だよ。
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