「いつかやりたい」と、去年も言っていた。
「いつか、時間ができたら」
「いつか、もっと準備ができたら」
今年もまた、同じ言葉を口にするのだろうか。
「いつか」という言葉には、願いを口にしながら、今すぐ何かを決めなくてもいい便利さがある。行きたい気持ちはそのままに、予定だけは空白にしておける。
日付のないその場所は、傷つかなくて済む代わりに、永遠に訪れない。
気持ちが足りないとは思えない。むしろ、何度も思い出すくらいには大切なのだろう。それなのに、現実の時間は別のことに使われていく。
不思議なのは、時間が経っても、その願いが消えていないことだったりする。何かの拍子に思い出すと、やっぱりいいなと思う。
未来は、想像しているあいだには、いつまでも未来のままでいられる。
でも、本当に恐ろしいのは、何も始まらないことではなく、「いつか」と言い続けているうちに、人生の終わりが近づいてくることだ。
「やりたい」が「今やる」に変わらないのはなぜか

「やりたい」と思う気持ちは、ちゃんと自分の中にある。だからこそ、何もしていない時間が続くと、少し不思議になるんだよね。願いが消えたわけではないのに、暮らしのほうは昨日と変わらない。
気持ちがあることと、何かを決めることのあいだには、思っているより距離があるのかもしれない。
やりたい気持ちと、実行する決断は違う
行ってみたい場所があるとするよね。海の色が濃い島でも、石畳の街でもいい。
旅行サイトをひらいて、海の写真を眺める。
宿のページを開くと、泊まってみたい部屋が見つかる。宿のページを見て、口コミをいくつか読んで、気づいたらお気に入りに入れている。友だちには「あそこ、いつか行きたいんだよね」と話してある。そのときの声は、ちゃんと弾んでいた。
そして、ひとつだけ決まっていない。いつ行くのか。
休みをいつ取るのか。いくらかけるのか。誰と行くのか。日付の欄だけが、ずっと空白のまま。
(そこは、まだ触っていない)
気持ちのほうは、ほんとうに本物なんだよ。調べるのも、思い浮かべるのも、人に話すのも、”やりたいからやっている”。しかも一度きりで終わらない。半年経っても、ふと写真を見返したくなる。ちゃんと残っている。
だから、引っかかる。
こんなに好きなのに、どうして日付ひとつ決めないんだろう、って。
嘘だったら話は早いんだけどね。でも、調べたり、写真を見返したり、人に話したりする気持ちは、ちゃんと残っている。
「行きたい」と感じることは、写真を眺めて胸があたたかくなるところまででも成り立つ。でも「この日に行く」と決めるには、カレンダーを開いて、仕事の予定と並べて、どこかを空ける必要がある。
同じ願いでも、そこで必要になる作業は違うんだよね。
調べたり話したりするのは、願いを確かめる時間にはなる。ただ、それを重ねるだけでは、日付を決める作業は始まらないことがある。
友だちとのやりとりを思い出してみる。
「いつか行こうよ」
「いいね、いつかね」
二人とも、ちゃんと笑っていた。誰も嘘をついていない。
…ただ、どっちもカレンダーを開かなかった。
「いつか」が決断を先送りにする
気になる講座を見つけたとする。陶芸でも、水彩画でも、なんでもいい。
説明のページを読んで、日程の一覧を眺めて、あ、いいな、となる。申し込みボタンの手前で、指が止まる。そこでページを保存して、頭の中で言う。
(いつか申し込もう)
言ったあと、少し楽になるんだよね。ページは保存したし、興味を捨てたわけでもないし、ひとまず落ち着く。一旦ここまでで置いておく、って。
もしここで「来月の第2土曜に申し込む」と言っていたら、どうなっていただろう。
その日は、もう別の予定が入っているかもしれない。受講料は、いつ、どの財布から出ていくのか。休みの日を1日、まるごと使うことにもなる。画面の向こうにあった話が、急に、自分の暮らしの話になる。
「いつか」には、その手続きがない。
いつなのかを指定していないから、どの予定ともぶつからないし、何かを空ける必要も、お金を動かす必要もない。
願いは手元に置いたまま、暮らしには指一本触れずに済む。
……よくできてるよ、本当に。
願いが手元に残っていると、何も決めていないことが目立ちにくい。「やりたい」と何度も思い返しているぶん、大事にしている感覚もある。その気持ちは嘘じゃないんだけどね。
ただ、「いつか」が悪い言葉だという話ではないよ。今すぐ決められない事情もあるし、ずっと先でいいこともある。時期を決めないでおくことが、今の自分に合っている場合もある。
気になるのは、時期を決めないことそのものより、”願いを持ち続けながら、実行するかどうかも選ばない状態が長く続く”こと。
保存したページは、ブックマークの奥で変わらない顔をしている。そこには、いつ申し込むかまでは書かれていない。
夢・目標・予定・行動は何が違うのか

「英語を話せるようになりたい」と思うとき、頭に浮かぶのは、英語で話している自分かもしれない。でも、そこへ向かうために何を目指し、いつ何をするのかは、まだ決まっていないこともある。
同じ願いの中に、望む未来も、具体的な決定も、実際の行動も含まれている。少し分けてみると、今どこまで決まっているのかが見えやすくなる。
夢は、望む未来を思い描くこと
海外の人と、カフェで普通に話している。……そんな自分を想像してみる。
相手は笑っていて、こっちも肩の力が抜けていて、言葉が自然に出てくる。想像しているだけで、頬が少しゆるむ。
これが、夢のいちばん素直な形かな。望んでいる未来が、映像みたいに浮かんでいる。
ただ、その映像には、決まっていないことがたくさんある。どのくらい英語ができればそうなるのか。いつまでに、何を使って学ぶのか。いつ練習するのか。カフェの席は用意されているのに、そこまでの道は、具体的になっていない。
それでいいんだよ。夢は、道がなくても持てる。そこが夢の自由なところだから。
夢が漠然としているとは限らないけどね。席の窓から見える街並みまで、はっきり浮かぶ人もいる。
「いつか自分の本を出したい」「行ってみたい国でしばらく暮らしたい」みたいに、輪郭のくっきりした夢もある。ただ、イメージが細かいことと、実行の予定があることは、別の話。
映像がどれだけ鮮やかでも、そこに「いつ」は映っていないことが多い。
望む未来を何度も思い浮かべていると、少しずつ進んでいるような気になることもある。気持ちのほうは確かに動いているから、無理もない。
頭の中のカフェでは、会話はいつもなめらかに進む。相手が何を言っているのか、実際にはまだ聞き取れていないのに。
目標は、目指す到達点を決めること
同じ願いを、少しだけ具体的に引き寄せてみる。
「英語を話せるようになりたい」が、「旅行までに、簡単な日常会話ができるようになりたい」に変わる。
何が変わったんだろう。望む未来が、目指す地点になった。どこまで行けばいいのかが、うっすら見えてくる。料理を注文できる。道をたずねられる。その程度でいいなら、何を学べばいいかも絞れる。
「話せるようになりたい」のままだと、どこまでできれば一歩進んだと言えるのか、自分でも”曖昧なまま”だからね。
途中に小さな目標を置くこともできる。本を出したい人が、まず1冊分の原稿を書き上げることを目指すみたいに。
目標を決めても、そこで何かが始まるとは限らない。地図に行き先を印しただけで、今日どの道を歩くのかは、まだ決まっていないこともある。
目標は行き先を決めること。実行する予定は、また別の作業なんだよね。
「で、明日は何をするの?」と聞かれて、答えが出てこないとき。その違いが見えてくる。
予定は、実行する日時や方法を決めること
目標はある。英語を話せるようになりたいという気持ちも、忘れてはいない。それでも一日を振り返ると、英語に触れた時間はどこにもない。
その一日のどこに英語を置くのか、決まっていなかったから。
さらに具体的にする。
「明日の夕食のあとに、15分、英会話の音声を聞いて声に出す」
こう決めると、様子が変わる。いつ、何を、どうやるのかがはっきりする。夕食のあとという場所が決まれば、洗い物やお風呂とどう並ぶのかも見えてくる。ぶつかるなら、ぶつかることが先に分かる。
予定は、目標を日常の時間の中に置く作業なんだよね。日時だけじゃなくて、どう取り組むか、何を用意するかまで含めて。毎週日曜の午前中に原稿を書く。休日に体験教室へ申し込む。休暇の日程と交通手段を決める。形はいろいろある。
ただ、予定は予定。立てたことと、やれたことは違う。急な用事が入る日もあるし、くたくたで帰ってくる日もある。
予定表には「英語 15分」と書いてある。机の上の教材は、まだ閉じたまま。
行動は、実際にやってみること
決めていた時間に、教材を開く。音声を再生して、イヤホンから流れてくる英語に耳を向ける。
速い。思っていたより、ずっと。聞き取れない単語が、流れていく葉っぱみたいに通り過ぎていく。
続けて、声に出してみる。口が追いつかない。頭の中のカフェの会話とは、まるで別物だった。
でも、やってみないと分からなかったことが、ここでようやく顔を出す。思ったより難しい。意外と、声に出すのは楽しい。夕食のあとのほうが、口が回る。この教材は、自分には合わないかもしれない。
予定を立てている段階では、”どれも見えていなかった”ことばかり。
だから、行動したあとに、目標や予定のほうを直すこともある。
「旅行までに日常会話」が、今の自分には少し遠いと分かるかもしれない。15分が長すぎることも、短すぎることもある。
行動は、うまくいくかどうかとは別に、次に何を決めるかを教えてくれる。
もちろん、やったからといって、すぐ上達を実感できるとは限らないよ。それも含めて、行動。
夢、目標、予定、行動。
こうして並べると、きれいな階段みたいに見えてくる。でも実際の暮らしは、そんなに整っていないよね。先に少し試してみて、あとから「これ、続けたいな」と目標が輪郭を持つこともある。目標を飛ばして、いきなり予定を入れる人もいる。
この4つは、自分の「やりたい」が今どこまで決まっていて、どこがまだ空白なのかを眺めるための見取り図くらいに考えておけばいい。順番どおりに上る必要は、どこにもないからね。
今、自分の「やりたい」は、どのあたりまで決まっているんだろう。
「いつか」のままになる5つの理由

行動できていないという状態は同じでも、その中身はひとつじゃない。始め方が分からないこともあれば、時間やお金が足りないこともある。
やることが決まっているのに不安で手が止まる場合もあれば、思い描いていた結果ほど、その過程に惹かれていない場合もある。外から見える姿だけでは、理由までは分からない。
何から始めればいいか分からない
絵を描いてみたくなった、とする。
最初にするのは、たぶん検索。
初心者向けの画材、水彩と色鉛筆の違い、おすすめの練習法。動画も見るし、比較記事も読む。読むほどに、選択肢はなぜか増えていく。紙の種類、筆の号数。「まずはこれ」と書いてある記事が3つあって、3つとも違うことを言っている。
気づけば、ブラウザのタブが14個。
調べている間は、ちゃんと進んでいる気がするんだよね。実際、知識は増えている。水彩紙に種類があることも、もう知っている。
でも、紙の上には、まだ何もない。
引っかかるのは、足りないのが本当に情報なのか、というところ。
事前に知っておくべきことがある活動なら、調べるのは大事な準備だよ。安全に関わることなら、なおさら。ただ、絵を描き始める程度のことで、調べるほど「最初に何を試すか」が決まらなくなっていくなら、様子が少し違う。
知らないことは減っているのに、何をやると決めるかは、ずっと空白のまま。
(もう少し比べてから)
どこまで調べたら、始めていいのか。その線が、どこにも引かれていない。最初に必要なことを調べるのは大切だよ。ただ、何を知りたいのかは、実際に試してみてから見えてくることもある。
引かれていないから、線を探して、また調べる。
描いた絵は0枚。開いたタブは14個。
時間・お金・体力が足りない
やることは決まっているのに、動けない人もいる。
行ってみたい場所があって、必要なものも分かっている。
連続した休みと、旅費。
ところが、職場の事情でまとまった休みはなかなか取れない。取れそうな時期は、もう別の予定で埋まっている。旅費は、貯金を崩せば出せなくもないけれど、そこには家賃と、来月の更新料が並んでいる。
こういうとき、「時間は作るものだよ」とか「少しずつ積み立てればいいじゃない」とか、言われがちだよね。言うほうは励ましのつもりで。言われたほうは、自分の工夫が足りないのかな、と静かに沈む。
……そこは、わけて見たほうがいいかな。
本当に足りないことと、足りるのに使い道が決まっていないことは、外から見ても、中から見ても、わりと見分けがつかない。
「忙しい」の中には、予定が詰まっている忙しさもあれば、空いた時間がいつの間にか溶けていく忙しさもある。どちらも嘘じゃないし、どちらか片方だけという人のほうが少ない。
体力も同じ。帰宅して靴を脱いだ瞬間に、もう体がずしっと重い。そこから語学の教材を開く力は…もう残っていない。気持ちの強さだけでは、説明できないこともある。
Fuschia Sirois(2023)のレビューでは、ストレスの強い状況では、対処に使える資源が減り、不快な感情に耐える余裕も小さくなることで、先延ばしのリスクが高まりうると論じられている。
行動できない理由を、その人の気質や意志の力だけで説明しないための視点にはなるかな。
靴を脱いだまま、玄関に座り込む。
旅行サイトを開く気力は、今日は、ない。
やりたいことが多く、優先順位を決められない
やりたいことが、ひとつじゃない人もいる。
英語も話せるようになりたい。
積んである本も読みたい。
運動も始めたい。
ついでに、前から気になっていた陶芸も。
どれも、嘘じゃなく、やりたい。
好奇心が広いのは、悪いことじゃないよ。ただ、日曜の朝に目が覚めて、さて今日は何をしよう、となったとき、全部が同じ強さで手を挙げてくる。
英語にすれば、本は今日も積まれたまま。運動にすれば、英語は来週に回る。ひとつ選ぶということは、残りを「今日はしない」と決めること。その「しない」が、ちょっと諦めに似た味をしているんだよね。
だから決められない。決めないあいだは、どれも手放さずにいられるから。
ここが、前の「足りない」とは違うところ。時間の量は同じでも、どこに使うかを選べない。並行して進められるものは、並べて進めればいい。ただ、同じ日に、同じ濃さで、全部というわけにはいかない。
それに、今日どれに時間を使うかを決めることと、残りの願いを持ち続けることは、本当は別々のはずなんだけどね。選んだ瞬間に、選ばなかったものが消えてしまうような感覚が、先に来る。
結局、いつもの日曜になる。洗濯をして、お昼を食べて、気づけば午後。全部を少しずつ思い浮かべたまま。
失敗や不完全が気になり、準備で止まる
自分の書いた文章を、ネットに載せてみたい人がいるとする。
下書きは、もうある。内容も、だいたい決まっている。それでも公開はしない。「もう少し文章の勉強をしてから」。本を1冊読む。構成の型を調べる。読み返して、言い回しをひとつ直す。直したら、別の箇所が気になってくる。
よく動いている方だと思う。
ただ、公開すれば、誰かに読まれる。下手だと思われるかもしれないし、反応がゼロかもしれない。思い描いていた出来じゃないことも、あるかもしれない。
そこに触れずに済んでいる間は、まだ「これから出そうとする人」でいられる。
準備そのものが悪いわけじゃないよ。危険が伴うことや、正確さが求められる内容なら、念入りな準備は必要。そこは、はっきり言っておきたい。
ひとつの手がかりは、「何ができたら公開するのか」「自分なりの基準があるかどうか」。
基準があれば、必要な準備の範囲を見定めやすい。決まっていないと、直す点はいつまでも見つかる。見つけようと思えば、見つかるものだから。
先延ばしを、目の前の嫌な気分をやわらげる働きから捉えた議論がある。
Fuschia Sirois と Timothy Pychyl(2013)のレビューで、いまの不快さを避けた分が、将来の自分に回ってくることもある、と論じられている。
これは先延ばし全般の話で、準備が長引く人すべてに当てはまるわけじゃない。それでも、「準備」という名前がついていても、中身が何なのかは本人にも見えにくいことがある、という手がかりにはなる。
長く準備している人がみんな逃げている、とも言えない。必要な準備と、不安のせいで終わりが決まらない準備は、外見がそっくりだから。
(あと1回だけ直そう)
その「あと1回」が、もう6回目。
憧れる結果と、実際にやりたいことは違う
弾けるようになりたくて、ギターを買う。
最初の1週間は、毎日ケースを開けた。弦に触れると、指先が少しひんやりする。
ところが、続けるうちに気づく。やることは、同じ音階の繰り返し。同じ指の動き。想像していたのは、人前で曲を弾いている自分で、こんなに地味な作業の連続は、頭になかった。
…だんだん、ケースを開ける回数が減っていく。
こういうとき、「根気がないな」ってなる多いんだけど、見えているものは、もう少し違うかもしれない。
憧れていたのは、”演奏するという活動”なのか、”演奏できる自分の姿”なのか。その両方が、同じ顔をして、「弾けるようになりたい」という一言の中に入っていた。
店を持ちたい人が、仕入れや会計の作業に気が重くなる。本を出したい人が、長い原稿を何度も直すのが苦しくなる。これも似ているよね。結果の輝きと、そこへ至る毎日の手触りは、別々に感じるものだから。
ただ、ここで「だから、本当はやりたくなかったんだ」と決めてしまうのは、早い。好きな活動にも、退屈なところや、きついところはある。最初は地味に見えた反復が、あとから面白くなることもある。結果への憧れだって、立派な願いのひとつ。
苦しいかどうかで決める必要はなくて、何に惹かれていて、何を実際に経験したいのかを分けて眺めてみると、同じ「弾けるようになりたい」の中身が、解像度高く見えてくる。
ステージの上の自分と、指先の痛み。買ったとき、どっちを想像していたんだろう。
「いつかやりたい」を行動につなげる方法

理由が違えば、必要な対応も違ってくる。時間が本当に足りない人に、気合いを入れて始めようと言っても、暮らしの条件は変わらない。
何をするか決まっていないなら、まず行動を具体的にする。
大きすぎて手が出ないなら、小さくしてみる。動けるようになるために、気持ち以外のところで変えられることもある。
実現を妨げているものを具体的にする
「どうして始めないの?」と聞かれたとする。英語を話せるようになりたいと言い続けて、もう何か月も経っている人が。
「忙しいから」
返事は早い。何度も自分に言ってきた言葉だから、角が取れている。
でも、「忙しい」をほどいてみると、中身がばらばらなんだよね。
平日は本当に、帰宅が遅くて何も入らないのか。
帰ってから空く30分はあるのに、それを英語に使うと決めていないのか。
教材すら選んでいなくて、手を付ける場所が見つからないのか。
始めても続かなかったらどうしよう、という予感のほうが先に来ているのか。
同じ「忙しい」という顔をして、入っているものがぜんぜん違う。
「続かない」も「自信がない」も、似たようなものでね。「お金がない」にしても、必要な額をまだ知らない人も、収入に対して費用が重い人も、ほかの支出を優先している人も、みんな同じ言葉で話している。
大きな言葉でひとまとめにしている間は、何を変えればいいのか分からない。しかも、言葉にした時点で、整理がついたような気にもなる。そこが、ちょっとした罠かな。
ほどいたあとに見えてくるのは、「変えられるもの」と、「すぐには変えられないもの」の区別。
教材を決めていないだけなら、決めれば済む。帰宅が遅くて本当に時間が取れないなら、気持ちで動かせる話じゃない。始める時期をずらす、やる量を減らす、そういう、現実のほうに合わせる話になる。
自分の工夫だけで押し切ろうとして、先にくたびれてしまう人もいるからね。
望む未来と、その手前にある障害を、一緒に並べて考える方法がある。
Gabriele Oettingen と Klaus Michael Reininger(2016)が整理した「メンタル・コントラスティング」。
望む未来を思い描くだけで終わらせずに、それを妨げている現在の障害も考える。そうすると、実現に向けて動くのか、目標を見直すのかを判断しやすくなる、という考え方だよ。
障害を見るのは、夢を諦めることとは違う。何が必要なのかを知ることだから。
「忙しい」を、3つくらいに割ってみる。紙に書かなくても、電車の中でできる。
割ってみたら、教材を決めていなかっただけだった、という人もいる。逆に、やっぱり時間はないんだな、と静かに分かる人もいる。どちらでも、そこでようやく、何の話をしているのかが見えてくる。
いつ・どこで・何をするかを決める
「時間ができたらやろう」
この言葉も、よく使うよね。で、時間ができたかというと、帰ってきて、ごはんを食べて、洗い物をして、気づけば布団の中。空いた時間は確かにあったのに、そこに英語は入っていない。
「できたら」と言っているうちは、できた時間を、誰も英語に割り当てていないから。
決めてみる。
「明日の夕食のあと、ダイニングテーブルで15分、英会話の音声を聞いて声に出す」
何が違うかというと、まず、迷う場面が減る。
今日はやるのかな、やらないのかな、とその都度考え直さなくていい。夕食のあとのテーブルという場所は、もう決まっている。食器を下げたら、そこに教材が置いてある。
それから、ぶつかるものが先に見える。夕食のあとには洗い物があるし、見たい番組もあるかもしれない。決めた時点で分かるから、動かすなら先に動かせる。
「夕食が終わったら、ダイニングテーブルで教材を開く」というように、特定の状況と行動を結びつけておく方法は「実行意図」と呼ばれる。Peter Gollwitzer と Paschal Sheeran(2006)のメタ分析では、94件の独立した検証を通じて、こうした実行意図が目標達成を促す効果が報告されている。
もちろん、決めたからといって、どんな日も予定どおりに動けるわけではない。体調も急な残業も、計画の外で起きるからね。
守れなかった日のこと。
守れなかったから失敗、と決めてしまう前に、見ておきたいことがある。夕食のあとは眠すぎたのかもしれない。あの時間帯が、そもそも合っていなかったのかもしれない。予定は、現実に合わせて直せるもの。
直しながら使うくらいが、ちょうどいいんじゃないかな。
カレンダーに「英語 1時間」と入れてみる。
入れた瞬間は、ちょっと誇らしい。
最初の一歩を小さくする
水曜日。帰ってきて、靴を脱いだ瞬間に、カレンダーの「英語 1時間」を思い出す。
1時間。シャワーも浴びたい。ごはんもまだ。足の裏が重い。考えただけで、カレンダーの文字が遠くなっていく。始める前から、もう疲れている。
そこで、やる量のほうを見直してみる。
教材を開いて、短い音声をひとつだけ聞く。それだけにする。2分で済む。これなら、靴を脱いだままの勢いでも、手が出る。
始める負担が小さいほど、手は出しやすくなる。ひとつ聞いて終わる日もあれば、そのまま10分続けられる日もある。実際にやってみて初めて、自分に合う量や、つまずくところが分かる。
教材を出しっぱなしにしておくくらいでも、手を付けるまでの手間は少し減る。
調べることも、最初から全部を知っておく必要はないよ。安全面や最低限の道具を確認したら、まず一度試してみる。
うまくできなかったところや、分からなかったところをあとから調べて、もう一度やってみる。経験してからの疑問は具体的だから、必要な情報も見つけやすい。
調べてから試すだけでなく、試してから調べる。その往復が役に立つこともある。
もちろん、事前に十分な情報を集めておく必要があることもある。大切なのは、何でも調べずに始めることではなく、今必要な情報と、実際に経験してから必要になる情報を分けて考えることだよ。
時間が本当にない状況なら、2分にしたところで、その2分をどこに置くのかは残る。やりたいことが多すぎる人なら、何を選ぶのかが先。それに、楽器の反復練習に興味が持てない人が、練習を1分にしても、興味が湧くわけじゃない。
小さく始めるのは、重さの正体が「始めにくさ」だったときに効く方法。正体が別のところにあるなら、別のところを見る必要がある。
小さく始めても、続かない日はある。
(今日は、ひとつ聞いて終わり)
それでいい日も、あるよね。開いたままの教材のページが、テーブルの上に置いたままの時だってある。
何かを始めるとき、最初から大きな決断をする必要はないよ。まずは一度、気になっていたことを試してみる。それだけでも、想像していたものと実際の違いが見えてくることがある。
普段は選ばない体験に目を向けてみるのも、ひとつの方法だ。気軽に試せるものから探してみるなら、さまざまな体験を見てみるのもいい。
すべての「いつか」を実現する必要はない

「いつかやりたい」と思ったまま、長い時間が経っているものがある。
クローゼットの奥にしまった楽器。本棚の端にある、まだ読んでいない本。ブックマークに残った、行ってみたい場所のページ。
どれも、最初に見つけたときは、ちゃんと心が動いたものなんだよね。いつか弾けるようになりたい。読んでみたい。あの場所に行ってみたい。その気持ちは、きっと本物だった。
でも、時間が経つと、少しずつ変わってくる。
楽器のケースの前を通る。以前なら、弾いている自分を想像していたかもしれない。今は、ただそこにあるのを眺めて通り過ぎる日もある。反対に、誰かが演奏しているのを見て、やっぱりいいな、と思う日もある。
同じものを見ているのに、心の動きはいつも同じではない。
昔、強く憧れていたことが、今も同じくらい大切だとは限らない。暮らしが変わることもあれば、関心の向きが変わることもある。実際にやってみたいと思っていたものが、いつの間にか、憧れのまま持っていたいものに変わっていることだってある。
もちろん、気持ちが変わったとは言い切れないものもある。
ずっと行きたいと思っている場所がある。今でも行きたい。ただ、仕事や暮らしの都合もあって、すぐに実現しなくてもいいと思っている。行きたい気持ちは残っているし、実現を諦めたわけでもない。
それとは反対に、今も実現したい気持ちはあるのに、事情があって手をつけられないものもある。時間が足りなかったり、費用を用意できなかったり。そういう願いまで、何年も実現していないという理由だけで、もう必要ないものとして扱うのは違うよね。
実現していないという点では、どれも同じ。でも、その願いが今の自分にとってどんな存在なのかは、それぞれ違っている。
「いつかやりたい」という言葉は、その違いをあまり教えてくれない。ずっと実現したいと思っているときも、いつかできたらいいなと憧れているときも、以前の気持ちがそのまま残っているだけのときも、同じように使えるから。
だからといって、ひとつずつ実現するかどうかを決めて、きれいに整理しなければいけないわけでもない。
何かをやりたいと思ったからといって、それを必ず実現しなければならないわけではないし、まだ実現していないからといって、諦めた方がいいとも限らない。
今もやりたいと思っているなら、少しずつ行動につなげていけばいい。今はそこまで気持ちが動かないなら、そのまま置いておくこともできる。
選ぶことと、ほかのものを捨てることは、同じではないんだよね。
楽器のケースを買ったとき、弾けるようになった自分を想像していた。今でも、演奏している人を見ると、少し憧れることがある。でも、自分で練習したいかと聞かれると、すぐには答えが出ない。
ケースは、ずっと同じ場所にある。
取っ手のところだけ、少し白っぽく乾いている。通りかかったとき、指先がそこに触れる。ひんやりしている。
指がそのまま、少し止まる。
いつかやりたいことを、少しだけ試してみる
気になっていたことを、実際に体験してみるのもおすすめ。日常に変化を加えたいときに、実際に楽しめる体験の選択肢を探してみてもいいかもね。

【こちらの記事も読まれています】



