PR

お気に入りの飲み物を持つということ

全ての記事

湯気を、ぼんやり眺める。

眺めて、口に含む。

それだけの時間。

そういうものには、飲む以外にも役割はあるのだろう。

それだけが好き、というわけではない。

その一杯だけではなく、そのまわりにあるものまで含めて、「お気に入り」というのだろう。

味が好きだったはずなのに、いつの間にか、その時間まで好きになっている。

朝の静けさや、仕事から帰ったあとの一息。飲み物の味だけでは、そこまで説明できない。

旅先で出会った特別な一杯もいい。

でも、明日もまた飲みたいと思う一杯には、別の何かがある。

それはたぶん、味だけで選んでいるのではないのだろう。

お気に入りは「一番おいしいもの」とは限らない

好きの中にも、種類があるんだよ。派手なものと、静かなもの。気づかれやすいものと、気づかれにくいもの。

特別な一杯と、何度も飲みたい一杯は違う

旅先で飲んだ一杯を、今でも覚えている人もいるだろうね。知らない街の、小さな店。湯気の向こうに知らない言語が飛び交っていて、出てきた一杯はやけに濃くて、香りが鼻の奥まで残るような。あの時の衝撃は、本物だったんだと思う。

でも、それを毎朝飲みたいかと言われると……ちょっと違う。

不思議だよね。あんなに感動したのに、家に帰って一週間もすると、案外いつものコーヒーに戻っている。あの濃さ、あの主張の強さは、たまに味わうから輝くのであって、毎朝顔を合わせるには、少し重たいのかもしれない。

一番おいしいものと、何度も選びたくなるもの。

似ているようで、求めているものが違うんだよ。

前者は驚きが欲しい。

後者は、多分、”驚かなくていいこと”が欲しい。

お気に入りは、暮らしとの相性でも決まる

スーパーの棚に並んでいる、なんの変哲もないティーバッグ。別に誰かに自慢できるようなものじゃない。パッケージも至って普通だし、専門店の店員が丁寧に淹れてくれるようなものでもない。

それでも、家に帰ってお湯を注ぐと、なぜかほっとする。

味の順位だけの話じゃないんだろうね。近所でいつでも買えること。淹れ方に迷わないこと。使っているマグカップに、ちょうどいい量が収まること。

そういう、”細かい摩擦のなさ”が積み重なって、「これでいい」が、いつの間にか「これがいい」に変わっていく。

もっとおいしいものは、多分どこかにある。でも、今日の自分の生活には、これがちょうどいい。……そのくらいの温度で選ばれているものが、案外お気に入りの正体だったりするんだよ。

お気に入りの飲み物は、探すより気づく

新しいものを探しに行く前に、もう持っているかもしれないんだよね。

いつも選んでいるものに「好き」が表れる

コンビニの棚の前で、けっこう長く迷う。新商品のパッケージを眺めたり、季節限定の文字に目を止めたり。今日はどれにしようかな、なんて。

でも、レジに持っていくのは、結局”いつもの”だったりする。

自分でもちょっとおかしいなと思うんだよね。あれだけ迷ったのに、選んでいるものは毎回同じ。冷蔵庫を開けても、同じパッケージが並んでいる。買い足すタイミングまで、なぜか一定。

「お気に入りなんて特にないよ」と思っていても、こういう繰り返しの中には、案外「好き」が混ざっていたりする。頭の中で考える「好き」と、実際に手にしているものは、案外違う場所にあるのかもしれない。

迷っているつもりで、もう手は伸びている。

……気づくと、少し面白いよね。「なかった」んじゃなくて、「気づいていなかった」だけ。

味より、暮らしに合うことが大切なこともある

なんであれをいつも選ぶんだろう。

味がずば抜けているわけじゃない。誰かに勧めるほどでもない。それでも手が伸びる理由を辿っていくと、味の話からどんどん離れていく。

迷わなくていいこと。買い忘れても、大抵どこかで手に入ること。飲むまでの”流れ”に、負担がないこと。……挙げてみると、どれも地味なことばかりなんだよね。

もっとおいしいものは、たぶんどこかにある。探せば見つかるんだろうとも思う。それでも、今の生活に馴染むのは、この一杯の方。

評価の高さより、生活との噛み合わさり方。

そこに寄りかかっている部分が、思っているよりずっと大きいのかもしれない。

「飲み物が好き」から「その時間が好き」へ

好きだったのは、味だけだったのかな。

……少し違う気もする。

お気に入りの飲み物には、いつもの時間がある

朝、まだ部屋が薄暗いうちに、お湯を沸かす。ぽこぽこと、少しずつ大きくなっていくあの音。それを聞きながら、まだ半分眠っているような頭で、カップを用意する。

湯気がふわりと立って、香りが先に届く。両手でカップを包むと、指先からじんわり熱が伝わってくる。窓の外は、まだ静かで。

……このコーヒーが好きなんだと、ずっと思っていたんだけどね。

でも、よく考えると、これって「味」の話だけじゃないんだよ。

 

この時間の、この静けさ。まだ誰にも邪魔されていない、朝のこの数分間。

 

そこにコーヒーがあるから成立している空気であって、コーヒーだけを別の場所に持っていっても、多分同じものにはならない。

好きなものは一つだと思っていたのに、実は二つ重なっている。飲み物と、その時間。いつの間にか、境目がなくなっていた。

一日の中に、小さな区切りが生まれる

仕事から帰ってきて、上着を脱いで、鞄を置いて。それだけじゃ、まだ気持ちは仕事のままだったりする。

お湯を沸かして、いつものカップに注ぐ。一口飲んで、ふう、一息。……そこでようやく、今日はおしまい、という感覚になる。

ソファに倒れ込んでも、案外休まらないのに。決まった動作を一つ挟むだけで、外の顔から自分の顔に戻れる。

多分、飲み物”だけ”で切り替わっているわけじゃない。「これを飲んだら、今日はここまで」っていう、目印みたいなものを自分の中に置いているだけ。

境目のない一日に、自分で句点を打っている。

……そのための一杯、なのかもしれないね。

同じ一杯でも、味わい方で時間は変わる

画面を見ながら、無意識にカップに手を伸ばして。気づいたら、もう空っぽ。……そういう飲み方をしていることが、意外と多いんだよね。

味わったという実感がないまま、ただ液体が減っていくだけ。悪いわけじゃないけど、なんだか、素通りしたような感覚が残る。

一方で、たまに手を止めて、香りだけ先に感じてみたり、温度を確かめながら一口飲んでみたりすることもある。同じ豆、同じお湯、同じカップなのに、残る時間の感触がまるで違う。

飲み物を変えなくてもいいんだよ。ただ、少しだけ意識を向けるだけで、「作業の合間に流し込むもの」から、「その数分間を味わうもの」に変わる。

……そのくらいの違いなんだけどね。案外、大きいよ。

「いつもの一杯」があるという自由

毎回選ばなくていいというのも、案外、贅沢なことなんだよ。

「今日はこれ」と選べる気楽さ

疲れて帰ってきた日、棚の前でじっと考え込んでしまうことがある。何が飲みたいのか、自分でもよく分からない。頭が回らないと、それだけのことが妙に重く感じるんだよね。

そんな時、「今日はこれでいいや」と迷わず手が伸びるものがあると、肩の力が抜ける。

選ぶという行為そのものが、思っているよりずっと疲れるものなのかもしれない。

選択肢がたくさんあることを、自由だと思っていたけど。……選ばなくていいことにも、”同じくらいの自由”があるんだよね。毎回ゼロから決めなくていい。

いつもの一杯があるから、新しいものも楽しめる

休みの日、ふらっと入ったカフェで、普段は頼まないラテを試してみたりする。コンビニの棚で、見たことのないフレーバーに手を伸ばすことも。

新しいものを試して、「今日はちょっと違ったな」で終わることもあれば、「意外といいかも」と思うこともある。……どっちに転んでも、実はそんなに怖くないんだよ。

なぜかと言うと、明日には”いつもの一杯に戻れる”ことを、心のどこかで知っているから。戻る場所があるから、外れても平気で試せる。定番があることは、冒険を狭めるどころか、むしろ後押ししているんだよね。

いつもの、と、新しい。

反対にあるようでいて、隣同士に並んでいるだけなのかもしれないね。

お気に入りは、一つに決めなくていい

朝はしゃきっとしたコーヒーがいいけど、夜はもう少し優しい味がいい。……そんなふうに、時間帯によって欲しいものが変わることってあるよね。

暑い日は冷たいお茶、疲れた日はやけに甘いものが飲みたくなったり。同じ自分なのに、求めているものが場面ごとに違う。

「お気に入り」って言葉のせいで、なんだか一つに絞らなきゃいけない気がしてしまうけど。……そんな決まりは、どこにもないんだよ。

朝用、夜用、疲れた日用。

いくつかの小さな「好き」を、場面ごとに置いておけばいい。順位をつける必要もない。フレーバーティーとか、並べてるだけでもちょっと楽しい。

それに、場面だけじゃなくて、時期で変わっていくこともある。去年はよく飲んでいたのに、最近はあまり手が伸びない。……それも、別に不思議なことじゃない。「いつもの」も、そのときどきの自分に合わせて、”少しずつ入れ替わっていくもの”なんだと思う。

それぞれが、それぞれの場所でちゃんと役に立っている。

……そう考えると、なんでもない一日にも、案外いくつもの居場所があるんだよね。

何でもない日に、お気に入りの一杯を

今日は、特に何もなかった。会議は長引いたし、天気もどんよりしていたし。……そういう日って、案外多いんだよね。

お気に入りの飲み物があるからって、そういう日がなくなるわけじゃない。忙しさも、疲れも、そのまま残る。劇的に何かが変わるなんてこと、正直、ないんだよ。

それでも、帰り道でふと思う。

帰ったら、あれを飲もう。

たったそれだけのことなんだけどね。予定でもないし、誰かに言うほどのことでもない。頭の片隅に、小さく灯っているだけの、ささやかな見込み。

家に着いて、電気をつけて、お湯を沸かす。

ぽこぽこという音を聞きながら、今日あったことを、特に整理もせずぼんやり眺めている。カップにお湯を注ぐと、いつもの香りがふわりと立って。一口飲んで、ふう、と息をつく。

……それだけ。気分が劇的に変わったわけでもない。ただ、今日という日の中に、自分で選んだ心地よい数分間が、ぽつんと一つ置かれている。

豊かさって、多分、こういう小さな置き場所のことを言うんだろうね。特別な予定も、大きな出来事もいらない。何でもない日に、何でもない一杯を置いておけるかどうか。

一杯の飲み物に、これだけ小さな楽しみを置けるのなら、毎日の食事にも、そんな小さな楽しみを置いてみたい。人生を豊かにする食にも、きっとそういうものがある。

飲み終えたカップを洗って、伏せておく。明日の朝も、また同じように、お湯を沸かす音から一日が始まるんだろう。

【こちらの記事も読まれています】

人生を豊かにする食|一日三回の食事をどう豊かにするか
人生を豊かにする食とは何か。記念日の料理や高級な食事だけではなく、一日三回繰り返される普段の食事にある豊かさを考える。朝の一杯や疲れた日の食事など、暮らしの時間を支える食の選び方を紹介。
小さな喜びの価値。幸せは積み重なる
幸福感は、年に一度の大きな出来事より、「何でもない日の積み重ね」に強く左右される。空がきれいだった。コーヒーが美味しかった。小さな喜びが“存在しない”のではなく、拾い上げられないまま通り過ぎている。
幸せと豊かさを求めて|人類永遠の問いを今、深掘る
物質的な富に限らず、豊かさは様々な部分に現れる。モノを買っても、収入が増えても、満たされないことがある。豊かさにはきっと「法則」がある。人は何によって満たされ、幸せになるのか。幸せは偶然の感情ではなく、「再現できる部分」がある。
Lpanda
Lpanda

Lパンダと申します。

【汝、己の憩いをなんと見る】をテーマに、

「自分にとっての幸福とは何か」

という哲学をぜひ考えてもらいたいとの思いで探求・発信しています。

様々な知恵や視点を知り、「物事のとらえ方・考え方」にたくさんの選択肢を持ってもらえるように、情報発信を行っています。

Lpandaをフォローする
全ての記事探求生き方
シェアする
Lpandaをフォローする
タイトルとURLをコピーしました