今、頭の中には、どれくらいの「考え事」が残っているだろう。
献立を考える。予定を組む。忘れないように気にかけ続ける。
一つひとつは小さいのに、そのどれもが少し重い。
体は止まっていても、頭の中だけは、まだ働き続けている。
必要なのは、もっと頑張ることじゃない。
「考えなくてもいいこと」を、一つずつ増やしていくこと。
頭の中は、思っているより忙しい。
なぜ、休んでいるのに心は休まらないのか

ソファに深く沈み込んでいるのに、頭の中はまだ動いている。
夕飯のこと。明日の忘れ物のこと。誰かに言わなきゃいけなかったこと。
体は止まっているのに、心だけがずっと働き続けている感覚。それ、単純な疲れとは、少し違うものなんだよね。
疲れの正体は「頭の中の負担」
体を動かした疲れなら、横になれば少しずつ抜けていく。
でも、休んでいるはずなのに晴れない疲れというものがある。あれは、体力の問題じゃない。
頭の中では、判断がずっと繰り返されている。今日の献立、在庫の確認、予定の段取り。一つ一つは小さくても、判断というのは重ねるほど、次の判断の質を鈍らせていく、なんて言われたりもする。
パソコンでたくさんのアプリを開きっぱなしにしていると、画面の動きが重くなる。あの感覚に近い。
今、頭の中にいくつの「考えごと」が開かれたままになっているだろう。数えようとした時点で、もう疲れる気がするけど。
済んだはずのことが頭に残り続ける理由
不思議なのは、終わったはずの用事も、なぜか頭の中に居座り続けること。
夕飯の片付けをしながら明日の朝食のことを考え、お風呂に入りながら週末の段取りをなぞり直す。一つの作業から次の作業に移っても、注意の一部だけが、前の場所に取り残されたままになる。そういう現象に、名前がついているらしい。
途中で切り上げたことほど、頭に残りやすいんだって。
だから、真剣にやっているのに、なぜか身が入らない瞬間がある。それは怠けているからじゃない。まだ終わっていないことが、静かに気配だけ漂わせているからなんだよね。
……その気配を消す方法、実はちゃんとあるんだよ。ただ、思っているのとは、少し違う形をしている。
「楽をする」とは、考えなくていいことを増やすこと

「もっと楽になりたいな」
そう思ったとき、多くの人がまず思い浮かべるのは、時間を短くする方法だと思う。
でも、そこには一つ、見落とされがちな溝がある。
時短では、心は休まらない
カット野菜を使えば、調理の時間は縮まる。ネットスーパーを使えば、移動の時間はなくなる。
便利になった。それは間違いない。
……でも、「今日は何を作ろう」という問いそのものは、まだそこに残っている。
行動を早めることと、考えることをやめることは、似ているようでいて、まったく別の作業なんだよ。時短がしてくれるのは前者だけ。後者は、また明日、同じ場所に戻ってくる。
本当の「楽」は判断を減らすこと
だから、ここで一度、言葉を置き直しておきたい。
楽をするというのは、行動を早めることじゃない。
楽をするとは、考えなくてもいいもの、注意や意識を向けなくてもいいものを、増やしていくこと。
「水曜日はカレーの日」と決めてしまえば、水曜の献立について、もう二度と悩まなくていい。
このズボンには、この上着を合わせる。
疲れた日の夕食は、野菜多めのうどんかそば。
行動としては同じでも、頭の中で灯っていた小さな明かりが、ひとつ消える。
手抜きの話じゃない。頭の使い道を、選び直すだけのこと。
楽をする人ほど、大事なことに力を使っている

「楽をする」と聞くと、どこか怠け者のイメージがついてまわる。
でも、それ、案外逆なんだよね。
判断を減らすのは、怠けるためではない
アメリカの元大統領バラク・オバマは、似たような色のスーツばかりを着ていたことで知られている。スティーブ・ジョブズが、いつも同じ服を着ていたことも有名だ。
共通しているのは、毎日の小さな判断に力を使わないという考え方。
理由を聞かれて、その人はこう答えたそうだ。何を着るか、何を食べるかで頭を使いたくない。もっと他に、判断しなければならないことが山ほどあるから、と。
大きな決断を毎日いくつも背負う人ほど、些末な判断をあえて手放している。それは怠慢ではなくて、むしろ逆。自分の判断力を、どこに使うべきか、ちゃんと分かっているだけ。
限りある力を、どこに配分するか。それだけの話だよ。
疲れやすい理由
厄介なのは、責任感の強い人ほど、この逆をやってしまうこと。
「私がちゃんとしないと」
「先回りしておかないと」
その気持ちゆえに、些末なことまで自分で抱え込んでしまう。小さな負担を、一つ、また一つと拾っていくようなもの。軽いはずのものが、気づけば重たくなっている。
大切にしようという気持ちそのものは、悪いものじゃない。ただ、そのエネルギーを注ぐ先を間違えると、大事な場面のための力まで、先に使い切ってしまうことになる。
頑張るのをやめる必要はないよ。”頑張る場所”を、少しだけ選び直せばいい。
頭に余白ができると、毎日はどう変わるのか

考えることが減っていくと、実際に何が変わるんだろう。
それは、時間が増えるというだけの話じゃない気がする。
小さなことで疲れにくくなる
コップに水がなみなみと注がれている状態を想像してみて。
そこに一滴垂らしただけで、水はあっけなく溢れてしまう。
頭の中が「考えごと」でいっぱいのときも、これと同じ。小さなトラブルという一滴が、感情を溢れさせる。
でも、そこに半分ほどの余白があったら。
同じことが起きても、「まぁ、そういうこともあるか」と受け止められる自分に気づく。優しくなったわけじゃない。ただ、受け止めるだけの隙間が、頭の中にできただけなんだよね。
目の前の時間を味わえるようになる
誰かが、目を輝かせて何かを話しかけてくる。
相槌は打っているのに、頭の中では別のことを考えている。話の半分も、実は入ってきていない。
それは、心がそこにないからじゃなくて、頭の中の別の場所に、まだ小さな明かりが点いたままだから。
考えることが減っていくと、目の前の相手の言葉が、ちゃんと届くようになる。「それで、どうなったの」と、自然に聞き返せる自分が戻ってくる。
その時間は、思っているより短い。取り戻せるうちに、取り戻しておきたいね。
自分の感覚を取り戻せる
「好きなこと」って、聞かれてすぐに答えられるかな。
考えごとに追われているうちに、自分の心の声というのは、驚くほど静かになっていく。波立った水面の下に、何があるのか見えなくなるみたいに。
でも、頭の中が静まると、その水面にまた景色が映るようになる。
昔好きだった本を、なんとなく手に取ってみる。淹れたお茶の香りを、少しだけ長く感じてみる。
そういう小さなことが、戻ってくる。
……そうなってくると、じゃあ実際に何を手放せばいいのか。
「考えなくていいこと」を増やす4つの視点

考えごとには、実はいくつか種類がある。
全部をまとめて「仕組み化」と呼んでしまうと、かえって何から手をつけていいか分からなくなる。だから、少しだけ分けて見てみる。
気にかけ続けることを減らす
「そろそろ在庫が切れそうだな」
まだ何も決めていないのに、頭の片隅でずっと気にかけている状態。これは、選ぶ手前の負担。
日用品を定期便に任せてしまえば、気にかけ続けるという作業そのものが消える。決めることすら、もう発生しない。
迷う場面を減らす
クローゼットの前で、毎朝同じように立ち尽くす。
これは、選択肢が多すぎることによる負担。
着る服の組み合わせを、あらかじめ二、三パターンに絞っておく。そうすると、「今日は何を着よう」という朝の小さな会議が、なくなる。
迷う余地をなくすというのは、可能性を狭めることじゃない。エネルギーの使い道を、他に譲るということ。
その場で決めない仕組みを作る
朝という時間は、判断が連続しやすい。
だから、前の晩のうちに、明日着る服、持ち物、朝食の段取りを、先に済ませておく。
朝の自分がやることは、「決める」ではなく「動く」だけになる。判断から解放された朝は、思っている以上に静かなものだよ。
頭に残さない
未完了のことほど、頭に残りやすい。ツァイガルニク効果とか、そんな呼び方だった気がする。
だから、思いついたことは、スマホのメモでもいいし、紙切れでもいい、頭の外に出してしまう。私はいつも付箋にメモを書いて頭の中をすっきりさせてるよ。
「明日の朝、パンと珈琲とりんご、夜はシチュー」
こんな感じ。
たったそれだけを書き留めておくだけで、頭の片隅にいた気配が、そっと消える。
すべてを仕組みにしなくていい
……ただ、一つだけ。
すべてを仕組みに変えてしまうと、それはそれで、また新しい息苦しさを連れてくる。
偶然にまかせる余地や、気まぐれに揺れる時間も、悪くないものだから。
仕組み化は、頭を空っぽにするための道具であって、生活を型にはめるための檻じゃない。
そこだけは、間違えないでいたい。
固定するものがあってもいい。でも、遊びや変化の余地までは、なくさなくていい。
……まあ、それくらいの緩さは、残しておいてもいいんじゃないかな。
一つだけ「考えなくていいこと」を作ってみる

いろんな角度から同じことを言ってきた気がする。
楽をするというのは、考えなくてもいいもの、注意を向けなくてもいいものを、増やしていくこと。
それだけ。
大きな仕組みを、全部整えようとする必要はないよ。
手元の紙に、明日の朝ごはんを書いておく。それだけで明日は一つ考えなくていいことが増えている。
その小さな一つの積み重ねが、思っているより効いてくる。
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