結果を待っているときは、時間まで止まっているような気がする。
合格か、不合格か。採用か、不採用か。
答えが出るまでは、何も決まっていない。
でも、そのあいだにも、何も起きていないわけじゃない。昨日は分からなかったことが、今日は少し分かる。うまくいかなければ、やり方を変える。考えているうちに、目指していたものそのものを見直すことだってある。
結果が出たときに初めて、それまでの時間が「報われた時間」になるのだとしたら、その途中にあったものは、いったいどこへ行くんだろう。
もしかすると、私たちは結果を見ているつもりで、結果になるまでの時間まで見落としているのかもしれない。
あの時間は、結局、何だったんだろう。
なぜ結果が出るまでの時間を「無駄」と感じるのか

結果が出ていない時間は、ときどき「何も起きていない時間」に見える。
合格したか、採用されたか、勝ったか。結果が出れば、それまでの時間は意味のあるものだったように思える。けれど、まだ結果が見えていないあいだは、そこに何があったのかが見えにくい。
私たちは「結果」という、たった一つのものさしで、自分の時間全体を測ろうとしてしまうのかもしれない。
その一点だけを見て、そこに至るまでの日々を「まだ価値の定まっていない時間」として扱ってしまう。
……分かるよ、その感覚。結果さえ出れば、今までの苦労も全部報われる気がする。逆に結果が出なければ、積み上げてきたものまで、まるごと消えてしまう気がしてくる。
でもそれ、結果というものさし一本で、時間そのものの価値を測ろうとしているだけなんだよね。ものさしが一本しかないから、結果が出るまでの間、測るものが何もない。だから「無駄」に見える。
……本当に、何もなかったんだろうか。
結果とプロセスは、そもそも見ているものが違う

結果とプロセス。よく並べて語られるけど、この二つ、そもそも比べられる関係にあるのかな。
結果は一瞬、プロセスには時間がある
結果というのは、たいてい一つの判定として現れやすい。
合格か、不合格か。
採用か、不採用か。
勝ったか、負けたか。
でもその判定が出るまでには、何日も、何か月も、時には何年もの時間が横たわっている。
その間に、何を理解したか。
どこでつまずいて、どう考え直したか。
前はできなかったことが、いつのまにかできるようになっていたか。
そういう時間の厚みを、たった一つの判定で塗りつぶしてしまうのは、少し乱暴。結果が悪かったからといって、その途中にあった経験まで消えるわけじゃない。
結果が出るまでの時間も、すでに始まっている
「結果が出てから、本番」
そう思っていると、それまでの時間は全部、準備期間とか、待機時間みたいに見えてくる。
でも、実際にはその間も、ちゃんと動いているんだよ。考えて、試して、失敗して、少し直して。誰かと話して、何かを感じて。
それはもう、起きていることなんだよね。
結果が出るまでの時間を「保留」として扱うと、人生のかなりの部分を、まだ始まっていない時間として過ごすことになる。……それって、結構もったいないと思わない?
結果が出るまでの時間も、もう人生の一部だ。
結果は、あとから現れる一つの答えにすぎない。
時間のほうは、先に、もう生きられている。
結果を求めながら、プロセスを大切にする

じゃあ、結果はもうどうでもいいのかというと、そういう話でもないんだよね。
結果は自分の力だけでは決まらない
合格したいから勉強する。
採用されたいから準備する。
勝ちたいから練習する。
結果を望む気持ちがあるから、そこに向かう行動が生まれる。それは、自然なこと。
ただ、結果には”自分以外の要素”も混ざってくる。面接なら、相手の状況や、他の候補者、その日のタイミング。試合なら、相手の調子や、当日のコンディション。
だから、努力すれば必ず望んだ通りになる、とは言い切れない。……ここは、ちゃんと認めておいた方がいいところ。
プロセスには、自分の選択が表れる
一方でプロセスのほうは、完全にではないけれど、自分の選択が反映されやすい場所ではあるんだよね。
何を調べるか。
どう準備するか。
うまくいかなかったとき、どこを直すか。
そのあたりは、たいてい自分で決められる。
力の及ぶものと及ばないものを分けて考えるとする。
評判や結果、他人の反応は、力の及ばない側。
自分の判断や、取り組み方は、力の及ぶ側。
全部そのまま当てはめられるわけじゃないけど、この分け方は結構実用的だと思う。結果は自分だけでは決められない。でも、”その日どう動くか”には、自分の選択を反映させられる。
結果は方角、プロセスは一歩
結果を目標として持ちながら、日々の意識をプロセスに置く。それは矛盾しない。
結果は、向かう方角を示してくれる。プロセスは、今日その方角に向かって、実際に歩く一歩。
ただ、この例えも、あまり固く考えなくていいと思う。歩いているうちに、方角そのものがずれていたと気づくこともあるし、目標を書き換えたっていい。
プロセスの途中で、進む先を見直すことも、歩き方を変えることも、それはそれで一つの選択だから。
「プロセスを楽しむ」とは、時間を自分のものにすること

「プロセスを楽しむ」って、実際には何をすることなんだろう。
楽しむことと、楽をすることは違う
「楽しむ」と聞くと、なんとなく楽な状態を思い浮かべやすい。ワクワクしていて、苦しさがなくて。
でもそういう意味だとしたら、この考え方はしんどい場面ですぐに崩れてしまう。難しいこと、うまくいかないこと、思い通りにならないこと。そういう瞬間にまで「楽しい気分」を求めたら、それはただの無理になる。
私が思う「楽しむ」は、もう少し違う場所にある。
その時間を、自分のものとして扱うこと。
自分のものとして扱うというのは、結果を待つだけの時間として過ごすんじゃなくて、今、自分が何を選び、何を試し、どう直しているか。そこに視線を戻すということ。結果を見る目から、今していることを見る目へ、少しだけ動かす感じ、かな。
そこにある工夫や、変化や、手応えに、目を向けること。
たとえば何かを作っている時、思い通りにいかなくて手を止める。それでも「ここをこう変えたらどうなるかな」と、もう一度手を動かしてみる。うまくいかなくても、その場に参加していられるなら、それはもう楽しんでいるんだと思うよ。
楽であることとは、また別の話。
結果が動かない日にも、途中では変化している
結果って、案外変わらない日が続くんだよね。模試の判定も、作品への評価も、そう簡単には動かない。
でも、その間に何も起きていないわけじゃない。
昨日わからなかった問題が、今日は解ける。前は雑だった手つきが、少し丁寧になる。同じ失敗を、前より早く直せるようになる。
そういう変化は、結果という一つの数字には、まだ表れていないだけ。見えていないだけで、ないわけじゃないんだよね。
結果を見て一喜一憂する前に、少しだけ、その日にあった変化のほうに目を向けてみる。今日、何が前と違ったか。
見てみると、たとえば「この部分は前より分かるようになった」と気づくことがある。気づくと、「昨日より少し進んだかもしれない」という手応えが残る。
楽しむというのは、案外、そういう”小さな気づき”の積み重ねから始まっているのかもしれない。
望んだ結果が出なくても、その時間まで無かったことにはならない

それでも、結果が望んだ通りにならないことは、当然ある。
正直に言うと、それは悔しいし、痛いよ。「頑張ったのに」という気持ちを、無理に軽くするのも難しい。
ただ、望んだ結果が得られなかったということと、そこに至るまで何も得られなかったということは、同じじゃないんだよね。
身についた理解。使えるようになった技術。試したこと、失敗したこと、そこから見えた自分の癖。誰かとの出会い。……そういうものは、結果とは別の場所に残っていることが多い。
もちろん、全部の努力が必ず財産になる、なんて綺麗事は言わないよ。何も残らなかったように感じる時期だって、あると思う。
でも、うまくいかなかったことは、「この方法ではだめだった」という情報でもある。それは、次にどう動くかを変えるための材料になる。
だから、プロセスを大切にするというのは、今のやり方をそのまま続けていい、ということでもないんだよね。やり方が合っていなかったなら変えればいいし、目標そのものが今の自分に合っていないなら、そこを見直したっていい。無理のあるペースを続ける理由には、しない。
結果が出なかった。それは事実として、そのまま置いておいていい。
ただ、そこから「だからこの時間には価値がなかった」と決めるのは、また別の判断。
プロセスを楽しめない日があってもいい

プロセスを大切にする話をしてきたけど、正直に言うとね、毎日そんなふうに思えるわけじゃないと思う。
疲れている日。気力が湧かない日。何をやっても、ただ苦しいだけの時期。そういう時に、無理やり「楽しもう」とする必要はないんだよね。
「楽しめない自分は、この考え方に失敗している」なんてこともない。
そもそも、プロセスを楽しむというのは、その過程にあることを全部好きになることではないと思う。
つまらない作業もある。思うようにいかない日もある。もうやめたいと思う日だってある。
それでも、その時間を「結果が出るまでの待ち時間」として片づけずに、今の自分が何をしているのかを見てみる。
今日はうまくいかなかった。
思っていたより進まなかった。
やり方を変えたほうがいいかもしれない。
そうやって、その日の出来事を、その日のものとして受け取っていく。
うまくいかないことに気づく。向いていないやり方を手放す。思っていた目標そのものを、少し疑ってみる。
結果だけを見ていれば、そういうものまで「失敗」という一言で終わってしまうかもしれない。
でも、途中を見ていれば、一日の中にもいくつかの選択があったことに気づく。
何を続けるか。
何をやめるか。
どこで立ち止まるか。
それもまた、結果が出るまでの時間に起きていることなんだよね。
答えはすぐに出ないと思うし、無理に出すものでもないんだと思う。
結果は、いつか出る。出ないこともある。
でも、その手前にある時間は、もう今、生きられている。
それだけは、確かなことなんだと思う。
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