感情は、自分の中で起きている。それなのに、思いどおりには動いてくれない。
嫌な気持ちが湧けば、早く消そうとする。
腹が立てば、気持ちを静めようとする。
人はずいぶん昔から、感情を「どう扱うか」について考え続けてきた。静める、律する、手放す。どれも、感情は何かしら扱うべきものだという前提から始まっている。
けれど、上手く流せるというのは、感じなくなったということなのだろうか。
それとも、感じたそばから、片づけているだけなのだろうか。
言葉にならないものは、言葉にならないまま、そこにあっていい。
すぐに理由を探さなくても、何かを変えようとしなくても、感情はそこにある。
なくそうとするのをやめたとき、それまでとは違う何かが見えてくるのだろうか。
あるがまま感じるとは?

気持ちが動いたとき、私たちはその理由を考えたり、気持ちを落ち着かせようとしたりする。何かを感じた瞬間から、もう次のことを始めているんだよね。でも、感じることと、その感情について何かをすることは、本来、別々に考えられる。
まずは、その間にある小さな余白に目を向けてみたい。
今ある感情を否定せずに認める
人の何気ない一言で、胸がちくり。
そういうとき、たいていは反射的に流す。
「気にしてない、気にしてない」
流すのが上手な人ほど、ちくりがあったこと自体を、なかったことにしてしまうんだよね。
あるがまま感じるのは、その手前で足を止めること。「あ、今ちくっとしたな」と、そこにあるものを、あるとおりに認める。良いとも悪いとも言わない。
対象は、嬉しさや楽しさだけじゃない。不安も、怒りも、寂しさも、あまり見たくない種類の気持ちも入る。
それに、認めることは好きになることとも違う。嫉妬している自分を好きになる必要はなくて、「嫉妬してるな」と気づければ、それで足りる。
ちなみに「あるがまま」は、森田療法という日本の精神療法にも出てくる言葉。森田療法では、不安をなくそうとやりくりするのではなく、不安があってもそのままにし、目の前に必要なことに取り組む姿勢を「あるがまま」と表す。
ただ、これは治療の枠組みの中で使われる言葉で、日常で言う「あるがまま感じる」とまったく同じ意味というわけではないよ。重なるところはあるけれど、同じものとして扱うのは雑かな。
認めたあとに、まだ決めなくていいこと
腹が立った。
ここまでが、認めるということ。
その先に、三つの分かれ道が残っている。
一つ目は、行動。
言い返したくなる。言葉が喉まで来ている。感情には、向かいたい方向みたいなものが付いてくることが多い。怒りなら相手のほうへ、不安なら遠ざかるほうへ。でも、傾きがあることと、そのとおりに動くことは、別の層の話だよ。
その場で怒りを外に出さないのは、配慮として十分ありえる。ただ、出さないのと、そもそも怒っていないことにするのは、中身が違う。前者は感じたうえで選んでいて、後者は感じたこと自体を消している。
二つ目は、解釈。
「相手が悪いに決まってる」
腹が立っていることと、相手が悪かったことは、別々の出来事。怒りは、自分の中で本当に起きていること。でも、相手の行いを証明してくれるわけじゃない。
三つ目は、理由。
「なんでこんなに腹が立つんだろう」と、すぐ掘りはじめる。理由を探すのは悪いことじゃないけれど、認めるための条件でもない。探し当てられなくても、腹が立っているという事実は、そこにある。
この三つは、認めたあとも、手つかずのまま残る。どれも、急いで決めなくていい。
なぜ感情をあるがまま感じられないのか

気持ちを認めるだけなら、何か特別なことをする必要はない。それでも、私たちは感じたままにしておくことが、案外苦手だったりする。
嫌な気持ちは早く消したいし、望ましくない感情が湧けば、そんな自分をどうにかしたくなる。感じることに加えて、感じている自分まで何とかしようとすると、負担は少しずつ重なっていく。
感情を消そうとすると、かえって気になる
もう済んだ失敗のことを、考えないようにしている。そう決めた途端に、頭の隅でそれが居座りはじめる。
考えないようにするには、「今、考えてないかな」と確かめる必要があるから。確かめるたびに、避けたいものに目が向く。
心理学者のウェグナーたちが1987年に発表した「白クマ」の実験が、よく知られている。白クマのことを考えないようにした参加者は、その後、考えてよいと言われた段階で、白クマを思い浮かべる回数が多くなる傾向が見られた。
ただし、これは思考を抑える実験で、感情そのものを調べたものではないよ。反動が必ず起こるわけでもなく、状況によって結果は変わるんだよね。
それでも、似た形になる日はある。「緊張してはいけない」と思うほど、動悸が気になってくる。森田療法でいう「精神交互作用」は、そういう循環の説明で、感覚に注意が向くほどその感覚が強く意識されて、強く意識されるから、またそこに注意が向く。
眠れない夜も、そう。
眠れない理由はいろいろあるから、全部が同じ形とは限らないけれど、「早く寝なきゃ」が、眠りの邪魔をしている夜はある。時計を見るたびに、眠れていない時間が、一つずつ増えていく。
感情にまで正解を求めてしまう
仕事で失敗して、落ち込む。
ここまでは、ただの落ち込み。
そこに「いつまで落ち込んでるの」「早く切り替えないと」が乗ってくる。
落ち込みの上に、落ち込み方への評価が、もう一枚。
気づくと、感情に採点をしている。落ち込むのは仕方ないけど、三日まで。怒るのは大人げない。嫉妬は恥ずかしい。不安になるのは弱いから。どの気持ちにも、持っていていい、持ってはいけない、の札が貼ってある。
札があるうちは、湧いた瞬間から減点が始まる。落ち込みは、落ち込みとして来ただけなのに、「正しい落ち込み方」に届いていないことで、また苦しくなる。
札の出どころは、たいてい「こうありたい」という像。
いつも前向きでいたい、感情に振り回されたくない。
像を持つこと自体は、悪くない。ただ、その像が感情の採点基準になると、基準から外れる気持ちが湧くたびに、点を引かれた気分になる。
フォードたちが2018年に発表した研究では、否定的な感情や考えを受け入れる傾向が強い人ほど、心理的な健康状態が良い傾向が見られた。
実験室でストレス課題に取り組んだ研究では、受け入れる傾向が強い人ほど否定的な感情反応が小さく、日々のストレスを記録した研究でも、否定的な感情が少ないことが半年後の心理的健康と関連していた。
ただし、受け入れれば誰でも必ず楽になる、という意味じゃないよ。
その札、いつ貼られたんだろう。
あるがまま感じると何が変わる?

感情があることと、その感情に何をさせるかは、同じじゃない。けれど、気持ちが強く動いているときには、その二つがひと続きになって見えることがある。不安だから危険だと思う。
腹が立つから相手が悪いと思う。そこに少し間ができると、感情を抱えたままでも、別の見方や選択肢が残っていることに気づける。
感情と現実を分けて考えられる
胸がざわつくと、不安が予言みたいに聞こえてくる。
「きっと失敗する」
ざわつきは「今、そう感じている」という出来事で、予言のほうは、まだ誰にも確かめられていない。同じ胸の中に並んでいるから同じ種類に見えるだけで、別物だよ。
睡眠不足の日は、同じ一言が、いつもより刺さる。そういう日に重いのは、言葉のほうじゃなくて、こっちの余裕のほうかもしれない。
古い研究だけど、シュワルツとクローアが1983年に発表した研究が面白い。
電話で人生全体の満足度を尋ねたところ、晴れの日に調査を受けた人のほうが、雨の日に調査を受けた人より満足度を高く答える傾向が見られた。
一方、今の気分が天候によるものだと意識されると、気分が人生の評価に及ぼす影響は弱まったという。
気分の”出どころ”に目が向くと、その気分を人生全体の評価と結びつけにくくなることがある、という読み方ができる。ただ、効果の大きさには議論もあるし、日常の判断すべてで同じことが起こるとは言えない。
「今日は余裕がないんだな」と気づけた日は、同じ言葉でも、受け取り方が少し変わることがある。
気持ちが消えるのを待たずに動ける
発表の前、心臓がうるさい。そのまま、資料の最後の確認をする。
緊張が消えてから始めよう、と待つこともできる。でも「落ち着いたらやる」は、気づくと「落ち着かないから動けない」に変わっている。気持ちが整うまで動かない、というルールは、条件がなかなか満たされないルールでもあるんだよね。
待たなくても、手は動く。心臓はうるさいまま、スライドを一枚ずつ見ていける。緊張はその間もそこにいるけれど、確認の邪魔をしているとは限らない。
もちろん、安全に動ける場面での話だよ。危険のサインまで無視する話じゃない。
次のスライドをめくる。心臓は、まだうるさい。
自分の気持ちや大切なものに気づける
「大丈夫です」と引き受けた直後に、肩のあたりがずんと重い。
その場では、何が重いのか分からない。しばらくして、「断りたかったのかもしれない」と思い当たる。あとから見ると、あの重さが手がかりだった、と分かる日がある。
嬉しさにも、似た働きがある。思わず頬がゆるんだとき、それは自分が何を大事にしているかを、ちらっと見せてくれた瞬間かもしれない。
ただ、身体の感覚も感情も、いつも正しい答えをくれるわけじゃない。寝不足や空腹で重いだけの日もあるし、思い込みが混ざることもある。肩の重さは、気持ちに気づくための手がかりの一つで、結論ではないんだよ。
それでも、「重い」と気づかなければ、手がかりは手がかりのまま、通り過ぎていく。
あるがまま感じるには?日常での向き合い方

気持ちを無理に変えようとしないことは、何もせずにいることとは違う。今の自分に何が起きているのかを認めると、そこから先を急いで決めなくてもよくなる。
理由を探すことも、状況を変えることも、少し時間を置くこともできる。感情を出発点にしながら、その先のことは、あらためて選んでいけばいい。
今の感情に気づく
理由は分からないけれど、とにかく重い。そんな日の重さを、もう少しだけ近くで見てみる。
一つの塊に見えていたものが、案外いくつかに分かれる。疲れかもしれないし、悔しさかもしれない。寂しさや、空腹が混ざっていることもある。「嫌な気分」と一括りにしているうちは見えなかった違いが、少し見えてくる。
身体の感覚も、手がかりになることがある。
胸のざわつき、肩の重さ、お腹の縮こまり。
ただ、どこがどの感情、と一対一で決められるものじゃないし、身体の不調には気持ちと関係のない原因もある。「ここが重いな」と気づくだけで、十分。
名前が見つからない日は、見つからないままでいい。
今、何を感じてるんだろう。それくらいの問いで足りるよ。
理由や答えを急がない
友人と気まずくなった日の夜、「なんで自分はいつもこうなんだろう」と、頭の中で何周も回る。考えるほど、沈んでいく。
「ちゃんと感じ切らなきゃ」と考え続けてしまうときも、形は同じ。
感じているようでいて、実は同じ問いを回しているだけ。
心理学者のワトキンスは2008年のレビューで、同じことを繰り返し考えることには、役立つ場合と苦しさを強める場合があると整理している。
「なぜ自分はこうなのか」と抽象的に問い続けるのか、それとも、具体的に何が起きていて、次に何ができるのかを見るのか。考え方の抽象度や状況によって、繰り返し考えることの働きは変わるという。
だから、振り返ること自体をやめる必要はないんだよ。
「今こう感じている」と認めることと、「なぜそう感じるのか」を突き止めることは、別々に進められる。理由が見つからないうちは、認めるところで止めておいてもいい。
答えは、置いておくこともできる。
変えられるところと、そうでないところを分ける
仕事が合わない、と感じている。その気持ちを認めても、すぐに答えを出す必要はない。
「合わない」の中身を、少しほどいてみる。仕事の量なのか、人との関係なのか、やり方なのか、そもそもの方向なのか。分けてみると、自分で変えられることと、すぐには変えられないことが見えてくる場合がある。
準備不足の不安なら、準備を整えることで変えられる部分がある。過去の失敗そのものは変えられないけれど、その経験を踏まえて次の準備を変えることはできる。とはいえ、何でも自分の努力で変えられるわけじゃない。今は動かせない事情があるなら、それも含めて考えていい。
認めることは、その職場に居続けると決めることでも、辞めると決めることでもない。
変える、変えない、様子を見る。どれも、まだ開いている。
あるがまま感じるときに気をつけたいこと

感情を認めることは、どんな状況でも同じように向き合えばいい、という話ではない。気持ちを受け止めることが助けになるときもあれば、距離を取ったほうがいいときもある。
つらさを感じている自分を無理に見つめ続ける必要はないし、苦しい状況をそのままにしておく必要もない。自分の感情を認めることと、自分を守ることは、両立できる。
感情を認めても、すぐに楽になるとは限らない
悲しみを認めても、悲しいまま。
寂しさを認めても、寂しさは居座ったまま。
認めた直後は、むしろ重さがはっきり見えて、きつく感じることもある。それでも、やり方が間違っていたわけじゃない。認めることと、消えることは、もともと別の話だから。
楽になったかどうかで、成否を測らなくていいよ。
受け止めることと、耐え続けることは違う
「大丈夫です」と答える日が続く。気持ちの重さは、毎日同じ場所にいる。
耐えながら、つらさをきちんと分かっていることもある。
反対に、つらいと気づいていても、「大丈夫」と言い聞かせ、感じていないことにしてしまう場合もある。
外から見れば同じように続けているようで、内側は違う。
受け止めることは、今の状況をよしとすることや、すぐに変えると決めることでもない。今は続けるしかない事情があるなら、その事情も含めて考えていい。変えられるところを探すことも、今は動かないと決めることもできる。
今すぐ状況を変えられないことと、この先も何も変えられないと決めることは、同じじゃない。
つらいときは無理に向き合わない
強い不安に飲まれそうなとき。あるいは、何も感じなくなっているとき。
そういうときに、一人で全部感じ切る必要はないんだよね。その場を離れる。休む。誰かに話す。
専門家に相談する、という道もある。
感情を細かく見つめるのがつらいなら、いったん距離を取っていい。今は考えずに別のことをしたり、安心できる場所で休んだりすることもできる。距離を取ることは、感情がないことにするのとは違う。
身体の重さや痛みには、医療的な原因があることもある。気持ちのせいだと、決めつけなくていいよ。
向き合うのは、向き合えるときで足りる。
感じること自体にも意味がある

感情について考えるとき、私たちはつい、その感情が何を教えてくれるのか、どう役立つのかを考える。
苦しさが減ったり、自分の気持ちに気づけたりするなら、たしかに意味がある。でも、何かに役立つことだけが、感じることの価値ではないんだよね。何も解決しない時間にも、答えの出ない気持ちにも、そのまま置いておける余地があっていい。
感情をすぐに役立てなくてもいい
お茶を飲む。
音楽を聴く。
窓から入る風が、頬に触れる。
その時間に、教訓も成果もいらない。何かを学ぼうとしなくても、ただ、温かいな、と感じていればいい。
嬉しいのに、寂しい。そういう日もあるよね。どちらかが本物で、どちらかが偽物、ということはなくて、両方がそのまま、今日の気持ちとしてある。無理にひとつにまとめなくても、困ることは意外と少ない。
何となく落ち着かない。理由は分からない。後から「あれは、そういうことだったのか」と分かる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。分からないまま、一日が過ぎていく。それでも、ちゃんと感じてはいた。
「あるがまま」を新しい理想にしない
「ちゃんとあるがまま感じなきゃ」と思いはじめると、今度は、うまく感じられているかどうかが気になりだす。
感じている自分を、もう一人の自分が見張っている。できていないと、「また認められなかった」と、小さく点を引く。……あの採点が、「あるがまま」に向かって、もう一度始まっているんだよね。
あるがまま感じようとすること自体が、新しい努力になる。そういうことは、起こりうる。
この記事に書いたことも、できない日は使わなくていいよ。認められない日があって、責めてしまう日があって、それも、その日の感じ方の一つだから。
まとめ

自分の中に生まれる感情を、いつも思いどおりにできるわけではない。
不安が消えない日もあれば、理由の分からない重さが残る日もある。どうにかしようとしても、すぐには変わらないことがある。
それでも、感じていることと、その先をどうするかは、同じではない。気持ちが晴れるのを待ってもいいし、晴れないまま何かをしてもいい。今は何も決めずに、そのままにしておくことだってできる。
感情は、いつも何かを教えてくれるわけでも、すぐに役立つわけでもない。
ただ、そこにある。
そのことに、何か意味を与えなければいけないわけでもないんだよね。
【こちらの記事も読まれています】




コメント