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1次元から11次元までわかりやすく解説

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真上から見れば円。

真横から見れば長方形。

異なる形を主張し合うふたつの影は、視点を「立体」へ引き上げた瞬間、ひとつの円柱として重なり合う。

次元を増やすとは、世界を複雑にすることではなく、引きの視点を得ることだ。

3次元までは、なんとなく想像できる。でも、その先の数字になると、急に異世界の話みたいに聞こえてくる。

高次元は、不思議な世界を語るためではなく、世界を説明しようとした先で現れた考え方だ。

その数字は、一体何を説明しようとしているんだろう。

次元とは?まずは基本をわかりやすく解説

難しい言葉ほど、実は日常のどこかにこっそり紛れ込んでいたりするものだよ。

次元とは「位置を決めるために必要な座標」の数

電話越しに「今、駅前の交差点にいるよ」って言われて、ピンと来なかったこと、ない?

地上の歩道橋なのか、地下道なのか、それとも信号待ちの列の中なのか……「駅前」という言葉だけじゃ、相手がどこにいるのか像を結ばない。もう少し情報が要る。

たとえば「東口から50メートル」

これで、ぐっと絞られる。1つの数字。でも、まだ足りない。

道は縦横に伸びているから、「そこから右に30メートル」で、ようやく地図の上の一点が決まる。

数字が2つ。

平面ならこれで終わりだけど、現実には建物がある。同じ座標でも、1階のカフェにいるのか、3階の会議室にいるのか。

だから、もう1つ。

「そのビルの3階」

3つの数字が揃って、初めて「そこ」が確定する。

……これ、当たり前すぎて意識したことなかったでしょ。でも、私たちは日常的に、無自覚のうちにこの「数字の数」を扱っている。次元っていうのは、要するにこれだよ。

位置を1つに絞り込むために、”いくつの数字が要るか”。

それだけの話。

魔法でも、階級でもない。かなり事務的な概念だよ。

まずは1〜11次元を一覧で見てみよう

知らない街を歩く前に、まず地図を広げてざっくり全体を見ておきたいタイプなんだよね、私。

11という数字は、いきなり降ってきたわけじゃない。段階を踏んで積み上がっていったものだよ。

まず、0から3次元。これは今の話の延長。点、線、面、そして立体。数字が増えるごとに、動ける方向が増えていく、ごく身近な世界。

次に、4次元。これは空間に「時間」が加わったもの。物理学ではこれを時空って呼ぶ。

そこから先、5~10次元。ここで一気に景色が変わる。日常の延長では説明できない、ミクロの世界のルールを成立させるために必要とされている、余分な方向たち。

そして最後に、11次元。5つに分かれてしまった理論を、1つにまとめ上げるための、もう1つの視点。

……こうして並べてみると、5次元も11次元も、なんとなく同じ「よくわからない高次元」の箱に放り込んでいたのが、少しもったいなく思えてこない?ちゃんと境界線があって、順番に積み上がっているのに。

さて。まずは一番シンプルなところから。

数字を極限まで削ぎ落とした世界。

1次元とは?線だけの世界

数字を1つだけ持った世界って、想像したことある?

前後にしか動けない世界

一本の細い糸の上を、ひたすら前へ歩くアリを思い浮かべてみて。

糸から外れるという選択肢が、そもそも存在しない。曲がることも、避けることも、飛び越えることもできない。ただ、前に進むか、後ろに戻るか。動ける方向は、その2つしかない。

もし向こうから、別のアリが歩いてきたらどうなると思う?

すれ違う、なんて芸当は無理だよ。糸の上には、横に逃げる場所がないから。どちらかが立ち止まって、後ずさりするしかない。……ちょっと気の毒になってくるくらい、不自由だね。

でもね、これはこれで、恐ろしいくらいシンプルでもある。

「ここから3メートル先」

たったこれだけの情報で、相手の居場所が完璧に決まる。迷う余地がない。数字が1つしかないというのは、そういうことだよ。自由もない代わりに、迷いもない。

分岐のない単線のレールを走る電車も、似たようなものかな。ピンと張られたロープの上を歩く綱渡りも。前後にしか進めない世界には、ある種の潔さがある。

……とはいえ、正直に言うとね。もし私がこの糸の上のアリだったら、けっこう早い段階で音を上げていたと思う。障害物が来たとき、ほんの一歩でいいから横にずれられたら。

それだけで、世界はずいぶん変わるはずなんだけどな。

2次元とは?面の世界

さっきの糸の上のアリが、もし少しだけ横にずれられたなら。それだけで、世界はどれくらい変わるんだろう。

縦と横に動ける世界

紙の上にペンでキャラクターを描いて、その周りをぐるりと丸で囲む。

線が1本増えただけなのに、囲まれた本人からすれば、これはもう完全な檻だよね。

前にも後ろにも進めないあの糸の世界とは違って、ここでは”横”に動ける。斜めにも動ける。だから、前から何かがやってきても、ひょいとよけられる。

1次元では絶望的だった「すれ違えない」問題が、あっさり解決してしまう。縦と横、2つの数字があるだけで、これだけの自由が生まれる。

床にチョークで大きな円を描いて、その中に立ってみるのもいい。ドット絵の古いゲームを思い出してもいいかもしれない。上下左右にしか動けない、あの画面の中のキャラクターたち。

でも、さっきの丸で囲まれた絵のことに戻るけど。あの中のキャラクターは、結局、外には出られない。囲む線をどれだけ避けようとしても、線そのものを消さない限り、脱出のしようがない。

だって、跨ぐという発想が、この世界には存在しないから。

……跨ぐ。

何気なくやっているこの動作、地味にすごいことなんだよね。段差を上る。障害物を飛び越える。囲いの上を、フワッと通り過ぎる。

当たり前すぎて意識したこともなかったと思うけど、これができるのは、2次元の住人には決して許されていない特権だよ。

面積が生まれて、避けることができるようになった。でも、まだ越えることはできない。

ここが、面の世界の限界線かな。

3次元とは?私たちが暮らす空間

さっきの丸い檻。2次元の住人にとっては、あれは絶対に出られない牢屋だった。

縦・横・高さを持つ立体の世界

チョークで床に円を描いて、その中に立って、上にジャンプしてみて。

……もう出られてる。

線を消したわけじゃない。囲いは、ちゃんとそこにある。なのに、外にいる。”上へ跳ぶ”という、たった1つの動作だけで。2次元の住人が命がけで挑んでも解けなかった問題を、息をするみたいに、無意識にやってのけている。

階段を上る。棚の上に物を置く。目の前の水たまりを飛び越える。

当たり前すぎて、これまで一度も「次元」だなんて意識しない。でも、これ全部、3つ目の数字、「高さ」のおかげ。縦と横だけじゃ絶対に届かなかった場所に、私たちは手を伸ばせる。

縦、横、高さ。

3つ揃って、初めて体積というものが生まれる。奥行きが生まれる。2次元では絶対に抜け出せなかった迷路も、上から見下ろせば、ゴールまでの道筋が丸見えになる。次元が1つ増えるというのは、こういう圧倒的な優位性を持つことなんだね。

……最初の話、覚えてる?駅前のビルで待ち合わせをするとき。東口から50メートル、そこから右に30メートル、そのビルの3階。3つの数字が揃って、初めて「そこ」が確定するって話。

まさにこれだよ。縦・横・高さ。この3つで、空間上の「どこ」は、もう完璧に指定できる。それ以上は、もう要らない。

……要らない、はずなんだけどな。

3つの数字を完璧に揃えて、指定された場所にちゃんと辿り着いたのに。なぜか、そこに誰もいない。そんな経験、心当たりない?

4次元とは?時間を加えた「時空」

東口から50メートル、右に30メートル、ビルの3階。完璧な3つの数字を握りしめて、指定された席に着いたのに。

目の前には、誰もいない空っぽの椅子。

なぜ時間も「次元」なのか

縦・横・高さがどれだけ正確でも、埋まらない何かがあるんだね。

「今日の3時に」って言われていたのに、来たのが4時だったら。あるいは、実は「明日」の話だったなら。空間の座標がどれほど完璧でも、出来事は交わらない。誰もいない椅子を前にして初めて気づく、その欠落。

縦・横・高さの3つで、「どこ」は完璧に決まった。

でも、「いつ」が抜けている。

不思議なんだけど、私たちは時間のことを、なぜか「数字」として扱う発想を持っていない。空間は動いて選べるものなのに、時間はただ勝手に流れているもの。そういう感覚、あるでしょ。針が刻む音を、ただ受け身に聞いているだけの何か。

でも、次元の定義に戻ってみる。

位置を決めるための数字だったはずなのに、時間が加わると「いつ・どこで起きた出来事」まで指定できるようになる

縦、横、高さ、そして「いつ」。

この4つ目の数字がなければ、出来事は永遠に特定できない。ビルの3階の席という「場所」は完璧に指定できても、「いつ」がずれていれば、そこに人はいない。

時間も、ただの4つ目の座標。

4次元も、結局、場所と時間、それだけの話。

相対性理論が示した4次元時空

でもね、この「当たり前」、実はそんなに単純じゃない。

新幹線に乗っている人と、ホームで立ち止まっている人。この2人の腕時計、実はほんのわずかに、進み方が違う。速く動くほど、時間の進み方が遅くなる。1秒の長さは、宇宙のどこでも誰にとっても同じだと思い込んでいたけど、そうじゃなかった。

空間を移動する速さが、時間の進み方に干渉する。

これ、アインシュタインが見つけたことだよ。別々のものだと思っていた「空間」と「時間」が、実は1枚の布みたいに織り込まれている。だから物理学者は、この2つをまとめて「時空」と呼ぶ。

4次元時空、って。

空間の3つ、前後・左右・上下は、自由に行き来できるでしょ。前に進んで、後ろに戻る。右に行って、左に戻る。でも、時間という4つ目の方向だけは、絶対に戻れない。未来へ向かって、ただ一方向にしか進めない。

同じ「次元」なのに、この非対称さ。

……面白いよね。3つは自由に往復できて、1つだけは一方通行。時空って、そういう歪な構造をしている。

私たちが生きているのは、まさにこの4つの数字でできた現実だよ。空間3つ、時間1つ。

……でもさ、物理学者たちは、”この先にまだ数字がある”って言うんだよね。

5つ目、10個目。空間も時間も、もう出し尽くしたはずなのに。

5〜10次元とは?超弦理論で考えられる「余剰次元」

空間3つ、時間1つ。もう出し尽くしたはずなのに、物理学者たちは平然と「5次元」「10次元」なんて数字を口にする。

もし紙の上だけで暮らす2次元の住人がいたら、高さという方向を認識することはできない。どれだけ説明されても、その世界には「上」という感覚そのものが存在しないから。

私たちも、高次元を前にすると、案外それと同じ立場なのかもしれない。

なぜ5次元以上が必要なのか

私たちの暮らすスケールでは、4つの数字で何もかもが片づいていたはずなんだけどな。

物質を、これ以上分けられない「点」だと考えていた頃は、それでよかった。でも、点じゃなくて、振動する「ひも」だと考え始めた瞬間、数式がうまく閉じなくなる。矛盾が出る。破綻する。

超弦理論というのは、まさにこの「ひも」の話なんだけど、この理論、数式の辻褄を合わせるためには、どうしても10個の数字がないと成り立たない。

空間9つ、時間1つ。

これ、誰かが「高次元があるはずだ」って夢想して見つけたものじゃないんだよね。順番が逆。ミクロの世界を矛盾なく説明しようとしたら、”足りない数字”が出てきてしまった。

仕方なく、絞り出された。そういう類の話だよ。

……縦・横・高さの他に、動ける方向なんて、いくら探しても見当たらない。大きすぎて見えないのか、それとも別の何かなのか。

余剰次元はどこにある?

遠くの空に張られた、一本の電線を見上げる。

人間の目には、ただの線にしか映らない。

1次元。太さなんて、ないも同然に見える。

でも、その電線に止まっている虫にとっては、事情が違う。虫からすれば、電線には「ぐるりと回り込める」方向がある。円周。人間には見えていない、もう1つの次元がそこにある。

ただ、細すぎて、遠すぎて、私たちの目には潰れて見えているだけ。

紙を筒状に丸めて、その半径をどんどん小さくしていくのも近い感覚かな。遠くから見れば、いずれ1本の線にしか見えなくなる。でも、その表面を歩くアリにとっては、もう1つの方向がちゃんと存在し続けている。

余剰次元も、これと同じ発想で説明されている。

大きすぎて見えないんじゃない。小さく、丸まって、隠れているんだよ。私たちが大きすぎて、その極小のすき間に気づけていないだけ。

……見えない次元は、遠いどこかにあるんじゃなくて。今、この目の前の空間の、ごく小さな隙間に、もう畳まれている。

5次元・6次元…にそれぞれ意味はある?

ネットの解説記事とか、SF映画で見かけない? 「5次元は別の時間線」「6次元は別の宇宙」。ワクワクする響きだよね。

……でも、標準的な超弦理論の中では、そういう個別の意味づけは、ない。

縦・横・高さ。

この3つのどれかに「これが特別な次元だ」なんてラベルが貼られていないのと、同じ理屈だよ。余剰次元も、まとめて「6つの追加の方向」として扱われているだけで、5番目がこう、6番目がああ、なんていう個別の役割は割り当てられていない

ただ、その6つがまとまってどんな形に丸まっているか。

これは、物理法則に関わってくるらしい。カラビ・ヤウ空間なんて名前がついた、複雑な形状の候補があってね。この「形」次第で、私たちが観測する素粒子の性質が変わってくる可能性がある。個別の番号に意味はないけど、集合としての形には、意味がある。

そのあたりは、少し不思議な塩梅だね。

次元を、マンションの階層みたいに考えてみる。上に行けば行くほど、偉くてすごい世界が待っている、みたいな。

物語としては、そのほうが面白いんだろうけどね。実際の物理学は、もう少しストイックだよ。

ただの、動ける方向の数。

……10個の数字で、ミクロからマクロまで、辻褄は合ったように見える。なのに、今の物理学者たちは、まだ足りないって言うんだよね。

11個目が要る、って。

11次元とは?M理論が描く世界

10個の数字で、辻褄は合ったはずだった。…なのに、まだ足りないという。

M理論とは何か

円柱を、真上から覗き込んでいる人と、真横から眺めている人がいたとする。

「これは円だ」

「いや、長方形だろう」

2人とも、間違ってはいない。ただ、”見ている角度”が違うだけ。視点をもう1つ上げて、立体として、円柱として眺めれば、2人の言い分はあっさり1つに重なる。

超弦理論でも、これと似たようなことが起きている。

同じ理論のはずなのに、数式の組み立て方によって、微妙に違う顔を見せてしまうものがあって、気づけば5つも別々のバージョンができてしまった

IIA型、IIB型……名前は置いておくとして、優秀な学者たちが、それぞれ違う「正解」を手に、途方に暮れていた時期があった。どれも間違っていないのに、5つもある。

そこに、ウィッテンという物理学者が現れて、こう言った。

 

次元をもう1つ足して、11個で見てみたらどうか、と。

 

やってみたら、繋がった。

5つの理論は、実は”同じものを別の角度から見ていただけ”だった。円と長方形が、円柱という1つの答えに収束したみたいに。

……次元が増えるというのは、世界が複雑になることだと思ってたんだけどな。

むしろ逆。視点が1つ上がったことで、バラバラだったものが、すっと1つにまとまった。11次元って、そういう接着剤みたいな役割を持っている。

ちなみに「M」が何の頭文字なのか、ウィッテン自身、明言していない。Magic、Mystery、Membrane。諸説あるまま、今も宙ぶらりん。

ブレーンと11次元の考え方

遠くから見て、細い1本のひもだと思っていたものに、近づいてよく見てみる。

……幅、あるね。テープみたいな、筒みたいな。面になっている。

M理論の世界では、宇宙の基本の材料は「ひも」だけじゃなくなる。面のような、立体のような、もっと広がりを持った構造。これを、ブレーンと呼ぶ。

0次元の点も、1次元のひもも、2次元の膜も、みんな同じ仲間として扱われている。

さらに面白い仮説があってね。私たちが「宇宙」だと信じているこの3次元空間そのものが、実は11次元という広大な空間に浮かぶ、1枚の薄い膜にすぎないかもしれない、という話。

光も、電気も、この膜の上に閉じ込められている。でも重力だけは、膜を通り抜けて、余剰次元のほうへ漏れ出しているかもしれない。だとしたら、重力だけが他の力に比べてやけに弱々しい理由も、説明がつく。

……ひもだと思っていたものが、膜だった。

宇宙だと思っていたものも、膜の上の出来事にすぎないかもしれない。点や線でできていると思っていた世界が、こんなにも柔らかく、広がりを持ったものだったなんてね。

でも、ここまで壮大で美しい話を、私たちは実際に「見た」ことがあるんだっけ。

11次元はまだ仮説

地下深くに掘られた巨大なトンネルの中で、目に見えないくらい小さな粒子同士を、ものすごい速度でぶつけ合っている人たちがいる。

LHCという加速器の話だよ。人類が持っている、最強の装置。

M理論が予測している効果が現れるのは、プランクスケールと呼ばれる、途方もなく小さな領域。今の最強の加速器でも、そこに届くには、桁がまるで足りない。15桁くらい、足りないらしい。

数式の上では、完璧に辻褄が合っているんだよね。美しいくらいに。なのに、それを確かめる手段が、まだ人類の手の中にない。

理論があるということと、証明されているということは、別の話でしょ。11次元は、絶対の真理として確定した事実じゃなくて、今この瞬間も、誰かが解き明かそうとしている途中の、最高の仮説。

……なんだ、まだ仮説かって、がっかりする必要はないと思う。むしろ、私たちが生きているこの時代は、そんな壮大な謎の途中にいるってことだから。

数式の中には、確かに11次元が広がっている。でも、私たちがこの手で触れて、目で見て、確かにあると言い切れているのは、一体どこまでなんだろうね。

実在が確認されているのはどこまで?

今、実際に確かめられているのは、私たちが生きているこの4次元、空間3つと時間1つまで。数式の中には、確かに11次元が広がっている。でも、いま手を伸ばせば触れる、この感触は、その先までは届かない。

頭の中で、どれだけ丸まった6つの方向や、広大な膜の宇宙を思い描けても。実際にコーヒーカップを掴むときに使えるのは、結局、縦・横・高さの3つだけ。

冷めていくコーヒーの温度を、引き止める術もない。

時間は、こちらの都合を聞かずに、ただ前へ進む。

どれだけ理論が壮大でも、直接触れて、確かめられるのは、いつもここまで。3次元の空間と、1次元の時間。合わせて4つ。

私たちが日常の中で、この手足で実感できているのは、その範囲だけなんだよね。

残りの7つは、どんな精密な顕微鏡を使っても、どんな強力な加速器を回しても、まだ姿を見せてくれない。

でも、それを「ないもの」だと切り捨ててしまうのも、少し違う。

見えないから存在しない、じゃなくて。もしかしたら、この当たり前の日常そのものが、見えない高次元のルールの上に、ちょうどよく浮かび上がっている「結果」なのかもしれない。そう考えると、目の前の景色が、ほんの少しだけ違って見えてこない?

窓の外の景色。椅子の固さ。刻々と進んでいく時計の針。

……何も変わっていない。同じ4次元の中に立っているだけなのに、その向こう側を少しだけ想像してしまうから、不思議だね。

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